第87話 過去の夢を手放した日

「辞職願です。受理お願いします」


 ダウン団長の部屋に書類を届けると、彼は初め、それを受け取らなかった。


「前々から、いずれ辞める気でいるとは聞いていたが。騎士団のために留まってくれてもいいんだよ?」


 思わず笑ってしまう。

 それだけ、騎士団にとって価値のある人間になれたということだから。

 でも。


「騎士団のために、戦時中は全力を尽くしました。これからは、他の道で生きます」


 迷いはない。未練もない。

 レイの返答に、ダウンは「そっか」と寂しげに微笑んだ。


「聞いてもいい?」

「はい、なんでしょう」

「駆け落ち?」


 駆け落ち。

 誰と、なんて言わずもがな。


「ちゃっ、ちっ、ちがいます!」


 あまりの動揺っぷりにダウンは声を上げて笑った。


 数日前、ルナ陛下が、王室を去るとの意向を表明した。

 王位と女神由来の聖なる力はサンズ王子に託す。しかし彼はまだ幼いため、政治に関しては、王太后中心に進めていくと。


 辞職願をこのタイミングで出したのに深い意味はなかった。

 元々戦争の後始末の仕事までは手伝う気でいたし、それと同時に少しずつ自室の整理を進めていた。


 それがある程度片が付いたから、今日に至る。


「違うのか。てっきりそういう理由かと」

「……実は、一緒にマグナに来ないか、とは言われているんですが、まだ返事をしていないんです。陛下が国を出るまでには決めないといけなくて……」


 確かに先月、魔王戦後に話をしたときも、「一緒に自由を掴もう」と言われた。


 だがそれもてっきり、一緒に城を出る、という意味だとばかり。


 レイの方は、一人でフラフラと旅に出るつもりだったから、いきなり言われても気持ちの整理がつかず、保留にしている。


「まぁ、好きな方を選べばいいと思うけど。

いいかいレイ、陛下は策士な方だからね。道を囲われる前に逃げるんだよ。」

「とんでもないです」


 仮に無理に引き連れられようとしたって、断る意志くらいレイにもある。逃げるまでもない。


「そう。じゃあ、ひとつだけ約束して。」

「はい」


 ダウンはいつもの優しい微笑みを浮かべて、人差し指をピンと立てた。


「彼に付いていこうと行かなかろうと、自分の為に生きなさい。

これを約束してくれるなら、受理します」


 ――この人はどこまでもいい団長だ。


「もちろん。約束します」

「力強い返答ありがとう。じゃあ、お幸せに。」

「ありがとうございます」


 ダウンが書類に署名したのを確認して、レイは彼に背を向けた。

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