第78話 人の子

「レイ!!」


 名前を叫ぶも返事はない。


 それは駄目だろ、レイ。

 肩の荷を下ろすかのように騎士を辞めると言った、やりたいことはまだないと言った、あのときのお前の生きる意思みたいなのを振り絞れよ。


 今すぐあいつのところに駆けつけたいのに。


「おい、放せよ!!」

「ハンク駄目、落ち着け!」

「落ち着けるかよ!!」


 ルートがそれを許さない。右腕を掴まれている。

 引っ張ると肩が痛むから、強く振りほどくことも出来ない。


「即死じゃない。レイはまだ助かる」

「だからだよ!手遅れになる前に助けねえと!」

「ここで焦ったら余計命取りになる」


 ルートの淡々とした口調が苛立ちを加速させる。


 分かってんだよ、んなことは。

 でもやっぱさ、すぐにでも安全なところに運んで、もう大丈夫だって言ってやりたいじゃんか。


 黙れ、と叫んだ次の瞬間には、ルートが懐に入り込んでいた。

 更に次の瞬間には、ハンクは胸倉をつかまれ背負投げされて砂浜に横たわっていた。


 目の前で、何考えてるかわからない緑眼が、赤暗く光っている。


 ――なんで、こんな。


 ルナがいなくなって、レイも危ういってときに、身内でゴタゴタ言い争ってんだよ。そんな場合かよ。


 涙が滲む。


「――ハンク。剣を握れ。」


 ルートの手がハンクの首元から離れ、視界に映る空が広くなる。

 と思うと、目の前に剣が差し出される。レイが、師匠に頂いて長年愛用してきた剣。さっき魔王にぶっ飛ばされたときに落としたようだ。


「君が、魔王を刺せ」


 刺せるかよ、あんな光速で動く怪物。


「なんで俺なんだよ……」

「あいつは、光と魔には鋭い。裏を返せば、おそらくそれをには疎い。

君しかいないんだよ。ただの人間は。」

「……ただの人間で悪かったな」


 目の前の剣に手を伸ばし、握る。


 そうだよ。どうせ非力な人間だ。

 人を操れるくらいに頭も良くなければ、武術だって一人で戦況を一変させられるほどのものじゃない。


 ルナは端から遠い存在だった。レイは魔力なんか手に入れてとっくに先に行っちまった。

 でも、あいつらだってただの人間なんだよ。


 ルート、アンタだって結局は、ちょっと長生きで物知りで強いだけ、ただ凄えだけの人間なんだろ。


 立ち上がる。

 まだ負けてない。


「良い?今から僕が三つ数えるから、三で前に突け。三って言ったら突くんだからね。フライングは駄目だよ。」


 一、で再び女神の光が闇にぶつかる。

 魔王はレイの前から離れてくれない。そろそろ彼女が踏まれてしまいそうで怖い。


 二、でルートが隣から姿を消した。

 魔王の周りをチョロチョロと瞬間移動しながら陽動する。その間にもう二度、女神が闇に突撃した。


 まだ、まだだ。

 その時を待つんだ。


 信じろ。


 ルートが攻撃をくらって、持っていた剣が後方に跳ばされた。手から鮮血が滴る。 

 瞬間移動で距離を取り、水の深いところに避難して。


 鋭い目つきで魔王を睨んだルートは、血まみれの手で腰に挿していた短剣を抜いた。

 魔王はルートを見ている。


 ――三。


 離れていたけれど、魔術でハンクの脳内に彼の声が届いた。


 左肘を引いて。

 全身を使って、利き腕を突き出す。


 レイのかたきだ。




 ――ぱっと見える世界が替わって、気付くと突き出した剣が目の前の魔王イオの背中を貫いていた。



 だがそれに驚くより先に、視界が再び切り替わる。


 ハンクがいるのは浅瀬。

 数歩先で剣を胸に刺したまま立っている魔王と、その正面で肩から上だけを水面から出しているルート。


 そして、ハンクの足元には、倒れたレイ。


「見事です。」


 すぐ横で、ルクスが剣を鞘にしまい、両の手の指を絡めた。


「遥か過去に生まれし魔王の魂よ。闇を彷徨うザートの呪縛よ。

光に還りなさい。もう二度と、苦しめられることはない。」


 また、光が闇にぶつかる。


 今回こそついに、闇は光に呑まれた。


 魔王の咆哮がビリビリと鼓膜を揺らす。

 風が荒れて波が立ち、魔獣たちが騒ぐ。

 空の赤が東の方へ集束していき、それを追いかけて藍が広がる。


 目まぐるしい変化の中で、魔王を包んだ光が太陽のように周囲を照らしながら、強く結ばれていた因縁をほどく。



 しばらくして眩い光が消えると、そこにはイオの姿があった。

 ひゅうと倒れゆくのを、ルートが慌てて立ち上がって、抱きとめる。


 が、イオの身体に触れたその箇所から途端に、風に吹かれた灰のように実体を失くしていく。


「イオくん!」


 名前を叫ぶも返事はない。


 ――さよなら、イオ・ザート。安らかに眠れ。


 ルートと共に、その遺灰が海に還る最期の時まで見届けた。

 悲しい運命を辿ったかつての魔王たちに追悼の意を捧げて。




 ぼしゃ、と音がして、振り返る。


 ハンクの脇に、ルナが倒れている。


「陛下!!」


 なんだこりゃ。左右にレイもルナも倒れている。

 女神様は何も言わず行っちまったのか。一言くらい欲しかった。ルナが頭でも打ったらどうするんだ。


「ハンク」


 水飛沫を上げながらルートが駆けてくる。


「城に戻ろう。運ぶの手伝うよ」


 ルートの背後で、まだ空が赤く光っている。

 それは、夜明けの到来を告げる色だった。

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