第76話 真相は闇の中

 空は依然として赤い。海に近づくほど生々しい魔が強く帯びた。

 その海は、空の赤を反射して燃えているかのように見えた。


 砂浜を覆い尽くすほどの魔獣。

 その中でひとつ、黒い髪がなびいている。


「遥か過去に生まれし、悲しき魔王の魂よ」


 ルクス――を宿したルナ――が彼に語りかける。


 振り返ったイオは、今のルクスに似ていた。

 つまり、作り物みたいだった。

 漆黒の瞳も、感情を伺わせない表情も、全てが人間離れして見える。


「あなたは、こんな世界に縛られている必要はありません。在るべき場所へ還りなさい。」

「断る」


 一際低い声が、鼓膜を揺らす。

 声帯はイオのものだ。

 でもそれは、イオの声ではなかった。


「こんな世界、といったな。この地がいかに我らにとって価値を持つか、おまえもわかっているくせに」

「ええ、もちろん。でも、私たちはもう、ここを統べる権利を持たない。私たちがここで醜く争ったとて、最後には光と闇は混ざり合っておしまい。だから、」

「だから諦めろと?古来、地の裏に追いやられてから幾度となく渇望してきた瞬間がここにあるというのに?

――なあ、ルクスよ。」


 魔王が、女神の名を呼ぶ。


 光と闇の決戦にしては妙に静かなひとときだった。

 波の音がさざめく。


「確かに私の率いる獣は凶暴で、光に生きる人の子にとっては魔と呼ぶべき災厄かもしれぬ。

しかし、私はこの地を愛している。愛するものを手に入れたいと願うことが、この地に一分一秒長く立っていたいと足掻くことが、どうしてお前に否定できよう。」


 王国にある歴史書には、こう残されている。


 大昔――まだここに王国がなく、女神ルクスが直接人々を統治していた頃。

 地の裏側より魔が這い出てきて、魔獣を引き連れさせてこの地を支配しようとした。


 人はそれを、魔の侵攻と捉えた。女神はそれを排除しようとした。

 自らの安寧のために、自らの正義に則って。


 でも、例えば。


 大昔――女神が人々を統治しているその裏で。

 地上に焦がれ、手を伸ばした存在があった。

 けれどその闇の性質故に、人に魔と呼ばれ、忌まれ、突き放された。


 例えば。

 元々は闇も地上に在った。

 ところが、闇が光に侵入したか、あるいは人の方が先に隣人を疎んだか、争いを始めた。


 そんな過去があったのかもしれない。


「過去のことなどどうでも良い」


 レイの脳内で繰り広げられる想像を覗いたかのように、魔王は笑う。


「重要なのは今と未来だ。

ルクス、お前はことごとく私を排除しようとする。お前はどうせ人の子の意思だと言うだろうが、そう仕向けたのは、闇魔を敵とみなし討ち倒す術を与えたのはお前ではないか。」

「否定はしませんが。私はただ、かわいい人の子が闇に侵されるのを、その輪廻に苦しめられるのを救いたいだけです」

「また私のせいにするか」

「あなたの行動の起因が私にあろうと、実際にあなたの行動が原因になっていますから」


 魔王の心情が荒れてきているのがわかる。風が先程より強く吹き付け、波の揺れが大きくなり、魔獣たちは唸り声をあげている。


「闇魔が消えることはないぞ」

「ええ。光もまた、呑まれ尽くすことはありません」

「たとえ一時でも私は、魔獣たちにとって安らかなる闇がこの地を包む瞬間を望む」

「ならば私は、人の子の安穏のために阻止するほかありませんね」


 女神が剣を抜く。魔王は異空間から棍棒のように重たい武器を生み出す。

 双方の殺気。戦いの気配。

 レイは身構える。


 直後、光と闇が塊になってぶつかった。

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