第71話 熱い血、冷たい血

 不自由な身体のまま、ハンクはじっと窓の外を眺めていた。


 先程まで闇に包まれていた空はだんだん赤みを増してきて、世界の終焉を彷彿させる。


「……勝たなきゃなぁ」


 このイカれた肩と回らない頭脳とで。

 守らないと。国も仲間も、約束も。


 不意に人の気配を感じて振り返ると、キィと部屋の扉が開いた。

 マグナ兵が立っている。恐らくただの監視役だが、何かあったのだろうか。些か緊張した面持ちにも見える。


「なんか――」


 用、と言いかけて、違和感を感じる。


 音もなく、監視のマグナ兵が倒れた。


 その後ろに立っていたのは、レイだった。


「は、お前、どうやって」


 彼女は、こちらの顔を見ると少し悲しげに顔を歪めたが、すぐに取り繕ってつかつかと歩み寄り、ハンクの手足を自由にした。


「説明は後。今からハンクを山麓に飛ばすから、現地の砂漠の民に事情説明して、怪我の処置もしてもらって。私のことは秘密で。」

「陛下は、」

「こっちで責任持って助けるから、信じて。」


 そう言って微笑む。


 ――あーもう、陛下みたいな笑い方しやがって。

 かっこいいなクソ。


 堪えきれなくなって、レイを抱きしめる。


「ありがと。ありがとな。」


 レイは黙って背に腕を回してくれた。

 小さくて逞しい。


 はー、あったけぇ。





 ひやりと、ナイフの冷たい感触が首に触れる。


 たどり着いた砂漠の民が、ルナの背後のウェヌムを睨む。


「ウェヌム・トレード。あなたの行為は、女神への冒涜です」

「お好きに解釈なさってください。ただし、私は本気ですよ」


 首の上を、鋭利な部分がツゥと滑る。今にも皮膚が切れそうな感覚にゾワリと背中が疼く。


「要望は何ですか?」

「ルナ様には、助けが来るまでに生きるか死ぬかを選ぶよう伝えてありました。そうですよね?」


 嘘をつく理由もないので、ええ、と肯定しておく。


 マグナに降伏するなら生を、しないなら死を。

 仮にルナが死んでも、魔王封印などお前以外にもできる、お前の選べる道は二択より他にはないのだと。


「あなた方はただのタイマー及び観客に過ぎません。

さ、時間ですよ。今から十秒以内にお選びください、ルナ様。」


 ルナの右手は自由だ。目の前にはペンと紙。マグナへの降伏を誓うその書の署名欄は空白になっている。


 ウェヌムの唱える数が十、九、と減っていく。

 誰かが、陛下、と呼んだ。


 答えは決まっている。

 ここで何もせずに死ぬほど愚かに生きてきた覚えはない。


 ゆっくりとペンを手に取って、数秒考えて、紙にペン先を置く。


 三、

 二、

 一、



 ――ポツ、と紙の上に鮮やかな血がはねた。


 ルナが、勢いよく身体を後ろに倒し、椅子ごと傾いたのと同時だった。



 直後、首元の新品ナイフが弾かれて前方にとんでいった。ほんの僅かだけ首の皮膚を削って。

 それに伴って、机上に更に鮮血がばら撒かれる。視界の隅に、赤く染まった短剣が一瞬映った。


 まもなくルナは椅子ごと倒れる。ビチャ、と音がして見ると、床に血溜まりが出来ていた。

 仰向けになったルナの横には四足の靴。


 うち二足は、倒れたウェヌムのものだ。背からルナの頭近くまで赤い湖を生み出している。


 その側にいる、黒尽くめの細身の男。


 ――ルート。


 彼はこちらを見下ろして、逆光の陰の中で微笑むと、


「すみません、陛下借りますね」


と言ってこちらに手を伸ばす。


 あとに残ったのは、気絶した宰相、及び、突撃して再び陛下を失った砂漠の民たちだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る