10 山に海風

第66話 知恵比べ

「はじめまして。ルナ・ソルアラです」

「やあ、はじめまして。マーチェンプト・ウビだ。」


 マーチェンプトがソルアラに到着したのは、三月九日、午後六時を過ぎた頃だった。


「お疲れでしょう、ごゆっくりなさっても良かったんですよ」

「いや。ゆっくりしたとて心身が休まるわけでもないからな。

こっちとしては、さっさと決着つけて家に帰りたいんだ。ご協力願う」


 それはきけない願いだ。最後に折れるのはそちら側、彼がさっさと帰れるかは彼次第。


 軽く微笑みだけ返し、卓に座らせる。

 マーチェンプトは、懐から封書を取り出して置いた。


「単刀直入に言う。マグナの一部となれ。」


 封書を開くと、マグナの議会の印とともに、無条件降伏を促す旨が記されていた。


「それによってソルアラに利がありますか?」


「マグナは、ここらの地域じゃデカい権力を握っている大国だ。領土面積で言えばソルアラと大差ないが、ソルアラにない資源だってあるし、他国との外交だって悪くない。

傘下に入っておけばもっと国が豊かになる」


「ええ、そちらの勢力は存じています。協定を結ぶことに関してはこちらも本望ですから。しかし、わざわざ従属国になる理由がありますか?」


 資源に関してはどっちもどっちだ。向こうにしかないものがあるように、こちらにしかないものもある。貿易という形で在らないとこちらが吸い取られるばかり。


 外交だって、マグナの後ろ盾はなくても十分な実力はある。たった今、戦争でそれを証明している最中ではないか。


「ソルアラを手に入れたければ、納得できる理由を提示してください。

我々は、閉鎖された領土で豊かな国を築いてきました。それはこれからも同じです」


「資源は有限だ。いくらソルアラが広くとも、一国の領土に留まって発展していくには限界がある。盛者必衰の理ってのがこの世にはあるんだよ」


「確かに、永久にというわけにはいかないでしょうね。だから、協定の道を選んだのです。

言っているでしょう、従属する必要はないと。

それじゃ、説得には足りませんよ」


 マーチェンプトは前のめりだった姿勢を一度後ろに仰け反り、顎に手を当てて唸った。


「まさか、説得材料がこれだけということはありませんよね?」

「いや…。感心したんだよ。随分なやり手だと聞いてはいたが想像以上だ。そりゃ計画も崩れるわけだ、若いのにようやってんな」

「ええ、はあ。」


 頭の片隅を、違和感が駆け抜ける。

 なんだ、何かがおかしい。何がおかしい。


 その正体を掴む前に、マーチェンプトの後ろ側にいたマグナ兵が、机を飛び越えて襲いかかる。と同時に、ハンクが剣を抜いて机に足を掛けた。


 ルナは少し椅子を下げて、立ち上がる。これでいつでも逃げられる。


 ハンク越しにマーチェンプトを見ると、彼は背もたれに身を預けたまま、目を細めてこちらを見つめていた。


「知恵比べをしようと言ったじゃないですか」


 剣のぶつかる音に負けじと声を張り上げる。


「もちろん。これは知恵比べの延長線上にある」


 ――命を賭けろと、そう言いたいのか。


 突如、ニヤ、と彼の口が歪んだ。

 背後に微かに人の気配を感じた。まもなくその体温が肩に触れる。


 ハンクが振り向いて、陛下、と呼びかけたが、直後表情を固まらせる。

 ごくりと、唾を飲む。


「刺し殺すよりもこき使う方が有意義だと、そう仰りましたよね、ルナ様。」


 妙にねっとりと聞こえる嗄れ声。

 振り向くと首に冷たい金属が触れた。


 目線を上げるとそこにはウェヌムの顔があった。ルナの首にナイフを突きつけている。


「存分に利用させていただきました。殺しはしないので憎まないでくださいね」


 身体の自由が効かない。催眠魔法。いつのまに。

 解除しようと思ったけれど、出来ない。魔術が使えない。魔力を封じられた。


 全く。自分の節穴に嫌気が差す。


 騎士団の中で、魔術を扱える者はレイ含め複数人いる。しかしいずれも、に属している。そして城の使用人の中に、砂漠出身の者はいない。


 だから、安心しきっていた。

 騎士とか使用人とかそれ以前の話だったのに。


 ウェヌムは、代々王家に仕えてきた家の出身だ。

 彼の祖を遡れば、何処かで王家に繋がる。

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