第65話 今を生きる者

 剣も振るえなければ、軽い運動も禁止、雑用すら止められる始末。

 仕方がないのでレイは、ルートの住まう塔を訪れた。


 ところが珍しい、彼は塔の壁にもたれかかって眠っていた。

 そばにはいつもの書物が積み重ねられている。


 初めて、彼も人間だったことを実感した。

 本人は自身のことを、「かつては人だった」と評価しているが、この姿を見るに今を生きる他の人間と何の変哲もない。


 ふと気になって、彼の記した『過去』を手に取って開いた。

 一ページあたりの文字数が多い。しかし書いてある内容に無駄は見られない。歴史書で見るような過去の事実が子細に記されている。


「――何か用?」

「わ、」


 起こしてしまったらしい。気付くと深緑の瞳がレイを見つめていた。


「暇を、持て余していたので…。」

「怪我はどう?」

「痛みはそこまで。ただ、魔王復活までには治します」

「そっか。歴史を勉強したいなら僕の書いた『過去』より世にある歴史書読んだほうがおもしろいよ」


 ここで、彼が『過去』の話題を出すのは些か意外だった。何も触れずに無視するかと。けれど都合がいい。


「聞いてもいいですか」

「ん?」

「どうして、『過去』を残してきたんですか?」


 およそ一千年分の蓄積。こんな、一生かけても読み切れないほど積み上げて、誰に見せるでもなく、廃墟の塔に刻々と貯まりゆくのみ。


 ルートは僅かに考えたようだった。それでも、返答までそう深くは迷わなかった。


「理由は二つ。

一つは、僕の知的好奇心。

これだけの時間と魔力があり余っているなかで、それらを無駄なく消費して、世界から個人まで幅広い項目で過去の事実全て知られるなんて、それ以上の魅力的な生き方が他にある?」


 要は、暇潰しってことか。

 ルートはすぐそばの書を一冊持ち上げて、ペラペラとページを捲る。


「元々は、僕の尊敬する人の生き様を残すために始めたんだけど。

自分は確かに彼の傍に生きていたのに、記してみれば知らないことだらけで、彼の過去から、それを取り囲む世界すべてを知りたいと思うようになった」


 気持ちはよくわかる。

 何か一つ知れば、それに関連して様々な知らないものが見えてくる。全てに目を向けていれば時間が溶けるばかりだが、彼の寿命ではそれも有意義なものなのだろう。


 でも流石に千年も文字を見続けていたら疲れてしまう気もする。


「二つ目は、生きていることを忘れたくないから。」


 続けて彼が放った言葉で、思考が止まる。


「自分の記憶を探るよりも、これを綴って読むのが一番、鮮明で正確に『過去』を思い描ける。

僕の時代を、出会った人に焦点をおいて、より詳細に書き直しては読み返し、様々な人の視点で知る。

そうしていれば、僕も人間だったことを忘れずにいられるんじゃないかなって。」


 ああ、そうか、だから。

 彼は自分を過ぎ去ったものとして語る。

 『過去』に綴られる、他者視点の自分ばかり眺めてきたから。今との間に隔たりを感じて、ますます遠ざける。


「この術を僕が所持していたのは望んでのことじゃなくて、偶然だった。でも、きっと世界にとっては必然だった。

使わない選択肢はない」


 だから、残し続ける。

 『過去』――大事な人の生きた世界を。そして、自身の生きた形跡を。


「今を生きる君に一つ助言を与えよう」

 

 パタリと手にしていた書を閉じて、ルートは微笑む。


「過去を見ることも大切だけど、過去なんて記憶でしか見れないものだし、その記憶すらどう足掻いても不確かに歪んでいるものなんだから、それに囚われてはいけないよ。

今を生きなさい。あわよくば未来を見なさい。

人生なんてあっという間だよ」


 孤高で寂しげで、でもその眼差しは強く、あたたかかった。


「ルートさんは?」

「僕は、『過去』に捕まって抜けられそうにないから、遠目に見守るとするよ」

「でも、あなたも今生きています」

「…君は妙に僕を人間に戻らせたがるね」


 お節介なのは重々承知だ。でも、その憂いを帯びた表情を見ていると、いたたまれなくなる。晴らせたいと思ってしまう。


心を読んだかのように、「そんな必要はないよ」とルートは首を振る。


「僕は、永遠を生きると決めた。人間だった自分はとうの昔においてきた。

寂しさを感じていることは否定しない。けれど、この生き方に矜持すら抱いている。

生き方を変えるつもりはないよ」


 ――そう。

 彼がそれを望むのなら。


「私の『過去』も覗いていいですよ」


 正確には、レイを通して見たルートを。

 むしろ覗いてみて欲しい。レイの中では、彼もちゃんと生きている。一人の人間としてここに在る。


「気が向いたらね」


 ルートは、その長い腕を頭上に伸ばしながら、ふわぁと眠たげに欠伸をした。

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