第63話 伝う
「山麓の奪還、完了いたしました。」
ハレナが跪いて告げた。
その報告に「ご苦労」とだけ答えて、ルナは机上に目を下ろす。でも頭に浮かぶのは仕事のことではなかった。
「陛下、きちんと休息もなさってください。疲れた顔をなさっていますよ」
その様子を見つめていたハレナが苦笑いを浮かべる。
自覚はあった。表情筋がどうにも上がらない。それがどれほど恐ろしいことであるかもわかっていた。
「…今は、休んだ方がかえって精神に良くない。仕事で紛らわせるなりしていないと、もたないんです」
全く紛らわせられてはいないけれど。何もしていないよりは何かしている方が楽なのは確かだった。
「仕事に関して言えば、恐らくダウン団長の方が忙しくしているでしょう。私の負担は大きくありません。大丈夫です」
エンのいなくなった残響が大きい。
新たにパウルを副団長を選出はしたが、急に替わっても仕事の受け継ぎには時間がかかる。
「…レイ様は、ご無事ですか」
――その名前を出さないで欲しい。
「…彼女の幼馴染が、そばについています。彼に任せましょう」
今、ルナの背後に控えているのは、ハンクではない。
王に忠実な、腕の立つ騎士。ハンクとダウンの方で選んでもらった。
あくまで一時的なものだ。
ハンクにはハンクにしかできないことがある。今は、そっちの処置が必要だ。
「――起きた?」
目を開けると、見慣れた天井が映った。
少し首を動かすと、椅子にもたれかかったハンクの顔があった。
「…陛下の護衛は…?」
「目覚めて一番に心配するのがそれかよ。他の奴に任せてきた、こっちは大丈夫だ」
寝台の上で少し身体を動かすと、左肩に鈍い痛みが走った。
そうだ。夕方、訓練場で斥候兵から報告を受けて。ぼんやりしていたら、どこかから剣が飛んできて、意識を失った。
「今、何時」
「夕方五時。丸一日寝てたぞ」
「嘘」
「ほんと。」
一瞬、単位を聞き間違えたかと思った。しかし時計を見て窓の外を見て、時間が少しだけ巻き戻っていることに気がついた。それでようやく本当だと理解する。
「お前さては、しばらく寝れてなかったんだろ。ごめんな、一人で戦わせて」
なんで、謝るんだ。
不覚にも目に涙が滲んで、慌てて布団に潜るが、バレないわけがない。ハンクは笑ってレイの頭を撫でた。
「今日くらい弱音吐けよ。全員の前で強がる必要はねえだろ」
なんで。
涙が溢れる。止めどなく。
「…どうしよう。私、向いてない」
人前に立つことも、優しくより厳しく在ることも、それを踏まえた上での戦争も。
それから、幸せに貪欲になることも。
「表に出ることを選んだのは私だけど、後悔ばっかり。自分の選択で人が左右される状況が怖い」
「あー、それはまあ、慣れもあると思うけど…お前の場合はさ、理想が高えんだよ。」
「身の程を知れってこと?」
「そんなキツイ意味じゃねえよ。誰一人傷つけずに人を動かせると思うな、ってこと。」
そんなこととっくに知っている。だから苦労しているのだ。
本当は誰も傷つけたくないのに、自分の為に傷つけにいかざるを得ないのがなんとも心苦しい。
たらればばかり湧いてくる。
「優先順位は見誤るなよ。自分が一番大事、それだけは曲げるな。それはお前、腹括んねえと失礼だろ」
「失礼、って、何に?」
「そりゃ、レイの幸せを願ってる人にだよ。」
――そう、そうか。
頭の中に、星が降ってきたみたいな感覚だった。
「いいか、お前は独りじゃないんだ。
俺も陛下も、ずっとレイのこと心配してる。もっと言うなら、団長とかベルとかカイとかもそうだ。
どこぞの知らん奴が
自分の幸せは自分だけと思うな。自分の不幸も自分だけと思うな。幸も不幸も伝染するんだよ。
だから、まずはお前が幸せになってやれよ。」
――ハンクのくせに。
「今のは、名言だね」
「残念、半分くらいエンさんの受け売りだ。」
「なんだ」
「いやでも、本音だからな。」
「うん、わかってる。ありがと」
また目元が熱くなる。瞬きをすると目の横から零れて伝ったが、シーツに辿り着く前にハンクの指がそれを拭った。
「まずは怪我の治療に専念しろ。幸い、腱は切れてなかったってさ」
それは朗報だ。怪我を負ったのが左だったのも運が良かった。
どうにかして魔王復活までには元通り動けるようになっておきたい。なれるだろうか。
「あと、もういっこ良いニュース。」
「何?」
「ダウン団長が、戦場復帰するってさ」
サンズ王子と今はもう亡き陛下をマグナから連れ帰ってきた、騎士としても人としても最高の団長。
彼の復帰ほど頼もしいことなどない。
これで、騎士団は本来の実力を取り戻す。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます