第62話 心海

 山麓に軍を送るとダウン団長が皆に告げた。

 山麓を奪還することでその下流――花畑の村を占拠するマグナ兵を孤立させる。


 今回は砂漠の民との共闘、つまり、牢固たる方法を取る。

 つまり、強者のワンマンである必要はないのだ。

 よってレイは今回、軍を外された。温存しろという団長からの暗示であろう。遠慮なく残らせてもらう。


 しかし、城に残ったとて心体が休まるわけでもなかった。

 

  ――エンが、遺体で帰ってきた。


 その報告を聞いた翌日、あまりの衝撃に、レイは珍しく朝練を休んだ。目は覚めていたけれど――むしろ一睡もしていなかったけれど、身体は寝台に縛り付けられたまま動かなかった。


 事故だった、と目撃した騎士が言っていた。

 たまたま騎士たちの間を抜けたマグナ兵がいて、気付いた時にはエンのすぐ背後にいたと。


 彼の遺体は妙に綺麗だった。心臓を刺されたようで、胸部周辺だけが黒ずんだ赤に染まっていたが、顔周りは存外そのままだった。


 あんなに早まるなと念押ししてきたくせに、あなたはもう逝くのか。


 四六時中考えていても違和感は拭えない。



「――レイさん、気をつけてください」


 更に、城内の警備中に受けた斥候兵の忠告が、重い体にますます足枷をつけた。


「レイさんの顔と名前がマグナに知れ渡っています。”かの英雄をも殺した魔女”って。」


 どこかの掲示板にでも貼ってあったのだろうか、差し出されたビラには、レイには似ても似つかない悪人相の女が描かれていた。


「戦場に出たら、狙われるかもしれません。気をつけてください。」


 そう繰り返すと、ビラを残して去ってしまった。


 ――生きなければ。


 義務のように心の内で唱える。

 その度、疲れたよとどこかで誰かの声がする。


 レイは、人を踏みつけたいわけではない。まして、殺したいなど考えたこともない。悪意などどこにも存在しない。


 でも、そうしなきゃ生きられないから。幸せになるための手段として自分が選んだから。蹴って這って進まなきゃいけない。


 それが、どうにも性に合わない。

 生きなければと思う度に息が詰まる。罪悪感に苛まれる。


 ――やはりレイは、ルナには敵わない。


 彼はどのように笑っているのだろう。彼なら、人を踏むことすら上手くやってのけられるのだろうか。


「――レイ!!危ない!!」


 誰かが叫んだ。誰だったろう、ベルの声にもハンクの声にも聞こえた。或いは、ルナだったかもしれない。そんなはずはないけれど。


 振り返ると同時に肩に痛みが走った。視界がぐわんと揺らいで、地面に倒れ込む。


 戦場に出なくても、狙われる可能性なんて十分にあり得る。

 忘れていた。

 これは、レイの失態だ。

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