第60話 朔

 バルコニーの柵にもたれかかって、レイはじっと夜空を見つめる。天気は良くないようだ、星は見えない。


「レイ先輩、ここにいたんですね。風邪ひきますよ」


 可愛らしい声。

 まだ見習いの後輩、レイ以外では唯一の女騎士、ベル。


「何か用だった?」

「いえ…なんか、元気なさそうに見えたので」


 まさか、と一瞬思ったが、思い返せば城に戻ってからずっと気が抜けていたような記憶もある。それが、元気がないように見えたのかもしれない。


「陛下の演説が、お気に召さなかったんですか?」

「ううん。最高だったよ」


 彼の演説は素晴らしかった。

 もちろん、サンズ王子のファインプレーも。むしろあの呼びかけをきっかけにルナが空気を持っていった感じがした。十歳にして立派な王子様だ。


 あれは何一つ問題ではなくて。


「…何か決意をしたあとにさ。自分を理解していて欲しい相手に、本当にいいの、ってきかれると悲しくならない?」


 ずっと胸につかえていた。

 この間のは多分、そういうことなのだと思う。


 とっくに腹は括った。

 それを一番に知っていてほしいのはルナだった。

 騎士をやめたい意思を初めに話したのは彼だから。彼に背を押されたから。彼がエンジンだから。


 なのに。

 ようやく新たな道を開拓しているところに、彼が、もともと進んでいた道を指差すのだ。


「それはつまり、理解してもらえていなくて悲しいってことですか?」

「きっと、そう」

「それ、本人に言いました?」

「言えないよ」


 彼は良かれと思ってきいただけなのに。レイに選択肢を与えてくれただけなのに。


「それ、言ったほうがいい、っていうか言わなきゃだめですよ!」

「えぇ…だめ?」

「だめです。じゃなきゃ拗れるばかりですよ。」


 小首を傾げてみせる。

 こっちが一方的にネガティブになっているだけなのに?

 レイの様子を見てベルは言葉を繋げる。


「だって、その消化不良を癒せるのってその人しかいないじゃないですか。他者も自分も代わりにはならないんですよ。」


 ふと、レイの理解者ハンクの顔が頭に浮かび、確かに、と納得する。


「でも、なんて言えばいい?私の覚悟はもう決まってる、とは既に伝えたよ」

「要点はそこじゃないでしょ。あなたに理解されなくて悲しいって、そのまんま伝えればいいんですよ」


 果たしてその思いを吐露するだけで報われるだろうか。


「大丈夫です、想いはきっと伝わる」


 無邪気に笑うベルを見て、無性に愛おしく、少し寂しく感じられた。


 この美しい少女は将来どうなるのだろう、と。

 この子も、社会に揉まれてここを去る日が来るのだろうか。あの先輩のように、あの後輩のように。


「ベルに、女神のご加護がありますように」


 あなたの努力が、魅力が、報われる日が来ますように。


「どうしたんですか急に」

「ううん。なんでもない」


 今度、ここを去ることを話そうと思う。

 自分はその選択に悔いはないのだと、自分で幸せを選ぶのだと、伝えよう。

 それが、彼女に何かしらの教訓になれば、そんな光栄なことはない。

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