第56話 黄昏

 一月半ば。

 第二回ソルアラ北平原会戦。

 雨雪の降る黄昏時、レイは剣を振るっていた。


 特訓中に頂いたルートの言葉を反芻する。


「――力を持つ者は自分が力を持っていることを自覚しなければいけない。善人で在りたいと願うなら尚更、力を持たない者を意識した立ち回りが必要だ」


 そしてあなたは、力を持つ側であると、そう唱えた。


 レイは、仲間と刃を交える敵に接近し、相手の腹に真っ直ぐ剣を突く。

 続いて襲い来る敵は無視。それより前で戦う仲間の助けに入る。

 注意をこちらに向け、その間に仲間が剣を振り下ろして傷をつけたので、少し下がる。

 礼を言う声が聞こえたけれど、聞き流して次の敵に狙いを定める。


 剣を立てるたび、一瞬だけ、その人の境遇を思う。

 誰のために戦っているのか。息の根を止めるべきか、それとも傷を残して生かすべきか。

 本当に一瞬だけだ。答えなどわからない。


 ――情を捨てる覚悟はできた。

 今回は防衛に徹する。護るために斬る。


「レイ!そろそろ下がれ!」


 隊長が駆け寄ってきた。もうそんなに時間が経っただろうか。


「まだ行けます」

「いや、無理はするな。お前しばらく戦いっぱなしだろ」

「無理はしてません。もう少しだけでも」


 本当は一日中平原を駆け回っていたい。危険な仲間全て助けて回りたい。

 でも、そんなことしたら身体がもたない。いくら力があっても理想には全く足りない。


「お前に倒れられたら困るってことを自覚してほしいな」

「私が戦場にいなくても困るでしょう」

「はは、否定できねえなぁ」

「ウワァアアア!」


 突如、東の方で悲鳴が上がる。戦士たちに混乱が生じているようだ。

 声の中には、人ならざるものも混じっている。まさか。

 間髪入れず駆け出した。隊長もついてくるのがわかる。


 少し人だかりを抜けたらわかった。



 ――黄昏時。

 それは、光と闇の境界が曖昧になる時間。


 地の裏から魔獣が湧いたのだ。


 狼のような姿をしている、最も一般的な低級魔獣ウォー。


 知能は低いが靭やかな肉体を持つ中級魔獣レオラパクス。


 そして今回の大物、地上ではしばしば現れ、風を司る大型魔獣、テラドラゴン。

 木々を超える胴体と、全身を覆う硬い鱗。

 騎士になった者が一番最初に行き詰まる敵だ。


 とはいえ地上ではよく出現する魔獣たちだ。魔獣処理を生業とする騎士たちにとっては何ということもない。

 既に剣を構えて戦い始めている勇者もいる。


「待って!倒さないでください!」


 慌ててレイは叫んで、ソルアラの騎士を引き止める。


「なんでだよ!?」

「ちょっと…」


 不意に、流れが他所に向いた。

 魔獣から背を向けて一目散に撤退していくマグナ軍に。


 獣の習性として、彼らは逃げるものを狩る。

 あんなの、狩ってくれとでも言っているようなものだ。


 テラドラゴンがそちらに狙いを定め、どっと駆け出した。地面が鳴る。

 図体が大きいこともあって、すぐさま彼らに追いつき、その鋭い鉤爪で獲物を薙ぎ払った。


 ソルアラの騎士たちは、襲いくるウォーの群れを処理しながら、その様子を見守っていた。


「あーあーあんなふうに逃げるから」

「レイはあれを狙って言ったのか?」

「せっかくなので利用した方がおいしいかなと…」


 ルナが考えた作戦の一つとして、魔族戦争の利用がある。

 王国軍が間違いなくマグナに勝てる点といったら、魔獣との戦闘よりほかない。


「ふうん。優しくないね」


 近くにいた同僚が妙に耳に届く声で言った。


 優しくない?


「だから何?」


 その返答は自分でもびっくりするほど冷たく響いた。

 同僚含む周囲の人が一斉にこちらを向いたのには些か恐怖を感じたが、ウォーが踊りかかってきたためこちらの表情は見られなかったはずだ。


「私だって心が痛まないわけじゃない。でも、優しく在るだけじゃこっちばかり損する。現実はそんな優しくない。

正しく向き合うためには、誰かは厳しく在らなきゃいけない。でも誰もやりたくないみたいだから、私がやる」


 気持ち的には、かの副団長の状況によく似ていると思う。

 たかが王家の地位を守るために騎士が消費されゆくのを許せなかったエンが、王家に厳しく在ることを選んだ。


 正しいと判断した道はレイとは異なれど、彼の姿勢には拍手をしたいところだ。


 本当は戦争なんてしたくないのだ。それはどちらも同じなのだ。

 でも、互いを信用できないから。誰かしらは欲張るから。誰かは損するから。

 自分たちを守るためには、戦うよりほかなかった。


「ただ一つ言っておくと、ああやって襲われているのを見て、私の狙いを知っても尚、マグナ軍に救いの手を差し伸べようとした人は誰一人いないってことは自覚したほうが良い」


 優しくないのはお互い様だ。

 レイはただの筆頭に過ぎない。みんな、共犯者。


 居心地悪そうな隊長と目があったので、レイはニッコリと微笑む。


「撤退してもいいですか?」


 とりあえずはマグナも魔獣の対処で忙しいだろうし、こっちは魔獣に関しては何の心配もしていない。元々下がれと言われていたし。


 レイの浴びていた注目がそのまま移り、彼は苦笑いで返した。

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