第54話 出来心
北平原会戦は、ソルアラがマグナを退かせて勝利を収めることができた。
死者数は戦闘中と同様、向こうが僅かに上回り、かつその中には軍隊の指揮官もいる。
戦果は上々、といったところだ。
さて、次に相手はどう出てくるかが問題となってくるところだが。
「人と物資の移動を見るに恐らく、二手に分かれてくるつもりだと。」
騎士団長の仕事部屋にて、地図を広げてダウンは言った。
一つは、北平原。引き続き城の陥落を目指す。
もう一つが、ルートの塔のほど近くにある、花畑の村。山から流れる川を下った先、城の西側にある。外堀から埋める算段だろう。
「北平原の戦いは私が指揮を執る。エンには、花畑の村の方を守ってもらう。」
隣で、エンが「わかりました」と返事をする。
「レイには北平原の方で主力として戦ってもらおうと思ってる。それで、三人で軍の配備について話し合いたいから集まってもらった。」
どうせエンはまだ寝返りを諦めていないだろう。手合わせで裏切らないと誓わせたのは前回の北平原戦でのことだから。
ウェヌムの思惑通りにはさせない。レイが食い止める。
「光栄です」
チラとエンの方を見る。いつも通りにこやかな愛想笑いを浮かべているが、どこか不満げに見えるのは気のせいだろうか。
もし本当なら少し愉快だな、と思いつつ。
レイは騎士団の名簿表に目を落とした。
「――寝返るの、やめませんか?」
夜更けまでかかってしまった。
騎士団長の部屋を出た後、レイは早々に帰ろうとするエンを呼び止めた。
ダウン団長にはエンが裏切り陣営であることは伝えてあった。エンはきっとそれを察していた。
だから上司の前であろうと自身の意思を貫いて発言した。その姿勢には感服させられる。
団長も団長で、立場上レイの言葉を鵜呑みにするわけにもいかなかったようだ。だから、レイが代わって反論した。
結果、ほとんどレイとエンの討論をダウン団長が聞かされている状態となった。
妥協に妥協を重ねて、考えられる最悪から順に可能性を潰していったが、これでもまだ、エンは好き勝手出来てしまうだろう。
こちらに背を向けたまま立ち止まった彼は半身だけ振り向く。
「君が死ぬことになったって、罪悪感を抱えながら生きる覚悟はある」
そんなことは聞いていない。エンの覚悟なんてどうでもいい。どちらが勝てるか、どちらが幸福かが重要なのに。
そこではたと一つの策が頭に浮かぶ。
違う。まったく。こんなもの。
でも、最も効果的だと確信してしまったからしょうがない。
「じゃあ、人質をとりましょう」
そんな台詞を聞くなんて思ってもいなかったのだろう、エンが驚いて身体をこちらに向ける。
「こっちにつかなければ、あなたは仲間殺し」
ただし、他の人には迷惑をかけない。
レイは踵を返して駆け出した。「おい」とエンが叫ぶのも聞かずに。
段を飛ばして階段を駆け上り、バルコニーに飛び出る。冬の夜風がヒュッと駆け抜ける。
人影が数名。構わない。
柵の上に立って、後ろを向く。
息を切らしたエンが、目を剥いて「やめろ」と訴えた。
「私が死んでも、罪悪感を抱えながら生きる覚悟はあるんでしょう」
「そうじゃない」
「私がいなくなれば楽にことが進みますよ」
「冗談はよせ」
「試してみましょうか」
レイは、身体を後ろに傾けた。
足が宙に浮いて、心臓がキュッと締め付けられる感覚に襲われる。
腕を縮めたくなったけれど耐えた。
目は開いていたかわからない。
気付けば夜の闇に呑まれていた。
誰かの悲鳴と、怒声が聞こえた。
――カクン、と衝撃とともにレイの左手首が痛んだ。エンの腕が、レイの全体重を掴まえていた。
容易くレイは救助され、無事にバルコニーに戻ることができた。
「馬鹿か!!やりすぎだ」
深夜にはそぐわない大声が響く。
「悪趣味通り越して狂気だよそれは…。」
「…私が死んでも罪悪感を抱えて生きていく覚悟はある」
「は、だからそれは、」
「死んでも良いと言われたようで悲しかったです」
もちろん説得が目的ではあったけれど。感情的にさせた要因は間違いなくそれだ。
レイだって死ぬ気で戦う覚悟はある。でも、死ぬ気は更々ない。死ぬ前提で話をするな。
しばらく呆気に取られていたエンは、不意に吹き出して、ふっふっふと笑い出した。
「…何か面白いこと言いましたか?」
「ふふ、いや、だって。あまりに人間らしい理由で人間離れしたことして見せるもんだから可笑しくて」
笑いが止まらないようだ。ツボがどこか変わっている。
「そっかそっか、悲しかったか、そりゃこっちが悪いわ、ごめんね。」
もしかしたら余計なことを言ったかもしれない。なめられた気がしてならない。
エンは、レイの肩をぽんぽんと叩いて、ふうと息を吐く。
「お願いだから、早まるな。こっちももう少し、考えてみるからさ」
それは朗報だ。怖い思いをした甲斐があった。
瞬間移動が使えるこの身で、落下で死ぬ気なんて毛頭なかったけれど。
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