第39話 つぐ
「失礼します」
王妃と共に入った陛下の寝室には、サンズもいた。中央に置かれた大きなベッドには真っ白い布団が掛けられている。
「具合はいかがですか、陛下」
王妃が早足で駆け寄ると、枕の上の大きな頭がのっそりと動いて顔を向ける。
顔色は青白く、傷痕が未だ生々しく赤く残っていた。どこからどう見ても、ここから回復していくようには見えない。
「ルナ王子が、面談にいらしています」
「…ルナ」
掠れた声が、縁を切った息子の名を呼ぶ。
ルナは彼に愛されなかった。だから愛する理由もない。あるのは愛着だけ。でもその愛着一つに、感傷を覚えているのも確かだ。
「…陛下。国王がいなくなれば、王国はマグナに敗れたも同然です」
怪我を負っていると言うのにあまり頭を使わせたくはないが。最期に王としての責任はきちんと取っていただきたい。
「王位継承を、果たしてください。」
王の目の焦点が合う。毎朝鏡に映るのと同じ、澄んだ琥珀色の瞳だ。彼の目に自分はどう映っているのだろうか。
「…お前に、何ができるという」
「最低限の仕事は成人前に学んでいます。そしてこれは魔王封印までの一時的な処置に過ぎません。」
「今、最も解決すべきは、マグナの対処だ。」
「ええ。それも含めて、私がどうにかします」
「…お前は、知っていたのだな。」
何を。陛下たちの命が危険であることを。結果こうなることを。詳しく言えば、自分が王位を手にする結果となることを。
「申し上げたでしょう、マグナに話し合いの意思はないと」
自業自得とまでは言わないが、ヨアは救う努力はした。議会で声を張り上げる権利がなかっただけだ。陛下からの信を得られなかっただけだ。
「武力はきっと、マグナの方が強いだろう。その上、相手が戦争を持ちかけてきた分、こちらに不利だ。勝ち目のない国の王になって、お前はどうするのだ」
――ああ。陛下は、諦めているのだ。
死が近いことがそうさせているかもしれない。純粋に頭が回っていないこともある。
マグナへの憂慮も、ルナへの見限りもそうだろうけれど。それでも。
先も長くない絶望的状況で、せめて彼に、希望を見出して欲しい。安心してこの世を去れる心持ちであって欲しい。
一国の王として、一人の夫として、一人の父として、せめて家族二人の未来くらいは守る選択をしてほしい。
「戦力は均衡で妥協します。あとは国家のまとまりと知恵で勝機を待ちます。」
だがヨアが掲示するのは選択肢ですらない。
ヨアが導くのは一つの未来だ。丸かバツかしかなく丸以外に選ぶべきものがないのなら、それは選択肢とは言えないだろう。
別に、それでいい。それを彼の意思で選ばせることが重要なのだ。
王は呆れたように息を吐く。
「向こうの財力が大きい分、均衡を作ろうとも永遠ではない。お前も知っての通り、この国は見た目よりもまとまっていない。そしてそれらを補える聡い者がこの国にいると思うか?」
永遠じゃなくていい。一時、一点でまとまればいい。
聡い者は――少なくともルートは一人で国を滅ぼすくらいわけない気はするけれど――見せかけでいい。
「二人います」
「ほう。誰だと言う?」
「一人は、ウェヌム宰相です。彼は陛下と王子を暗殺する計画を企て、政権を握ろうとした。国の現状を冷静に見据えた聡い人です」
「何だと?」
現段階発覚している裏切り者は、ウェヌムとネブラの二人。そして他にも、騎士団の中には複数名いそうであることと、大臣の中にもウェヌム派がいてもおかしくない。人数は不明だが、いずれにしても、ウェヌムが主な主導権を握っているようだ。
「ウェヌムが私を殺そうとしたと言うのか」
「あくまで状況証拠に過ぎません。しかし元々彼は対等条約に否定的でしたし、彼は秘密裏にマグナと密通しています。その上彼が会談にサンズ王子を参加させるよう提案したことを考慮すれば、自ずとそこに行き着くかと。」
王が瞼を下ろしてしばし考え込んだ。目線を移すと、ベッド際のサンズがじっとこちらを見つめていた。
この子も可哀想に。世界規模の覇権争いに揉まれて、危うく殺されるところだったのだ。この歳で戦争を体験しなければならないなんて酷すぎる。
出来れば影に隠れていればどうにかなるポジションにいてほしいが、ルナがいなくなった後まもなく、サンズが前に立つ日が来る。その時王妃の負担を減らすためにも、裏の事情は知らせておいたほうがいい。
「…それで。世にも狡猾なウェヌムと同等に聡い者とは?」
意図的に、不敵な笑みを作る。ここでなけなしの自信を大きく見せることが重要なのだ。
「私です」
つまりは、ルナかウェヌムかの二択を選んで貰えばいい。
「…随分な自信のようだな」
「ええ。私は、宰相との勝負に命をかけられる覚悟でいます。」
正確には、命を賭けざるを得ないというのが現状だが。どちらでも同じだ。負ければ死ぬ。自由はない。
「この国は、女神信仰で成り立った国です。魔王復活が繰り返される歴史の中で、王家が雑に扱われていいはずがない」
仮に国民に支持されたのが宰相であろうと、魔王を封じられるのは王家だけと言われている。そこが、ヨア達の命綱だ。
「民は、我々を選びます。選ばないのは、戦わない方が得をする上層部だけです。」
魔王戦を利用してしまうのだ。マグナという点で国が降伏に傾こうと、数ヶ月先で待っている魔王戦は無視することができない。できるはずがない。だからそれまで、命を繋ぐ。
「事実を言ってしまえば、現状は王家に有利とは言えません。私の知恵がそれを反転させるほど甚だしいとは夢でも言えません。ただ、知恵を絞れば、必ず可能性は掴み取れます。私はその可能性に賭けてことを進めてきたんです。」
僅かな可能性だけ目指してきた。妥協せざるを得ないこともあった。結果陛下のことはうまくいかなかった。それでもまだ方法はあると考え続けてきた。
無駄にはさせない。絶対に。自分の手で自由を掴み取ってやる。
「陛下、ご決断を。証人はいます。」
王妃も王子も、ついでに部屋の隅に佇む侍女や騎士もいる。言葉だけで良い。あわよくば署名くらいは欲しいけれど、まずは。
「…ルナ・ソルアラ。其方を、次期国王に任命する。
条件は二つ。一つ、事が済んだらサンズに王位を渡すこと。時期は王妃に任せる。
二つ、仮に国が滅びようと、王妃とサンズ、そして其方自身が生き残る決断をすること。良いな。」
――なんだ。ちゃんと父親をやれるじゃないか。
「承りました。女神ルクスの御加護のもとに。」
さあ、第二段階、完了。
ここからが本番だ。
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