第38話 聡く美しく

「――陛下が帰ってこられたぞ!」


 見張り兵の叫びが響き渡り、途端に訓練場がざわめく。


 数日前に既に、一人の伝達兵によって会談が崩壊した旨は伝えられていた。その時は陛下と王子はまだマグナにいるとのことだった。

 それが、帰ってきた。陛下たちが出発して二週間ほど経っていた。


 静粛に、と副騎士団長が手を叩き、訓練を再開する。

 だがきっと誰一人集中できている者はいない。レイも例外なく、陛下たちのことを考えていた。


 陛下たちは生きて帰ってきた。ヨアの出番だ。

 レイはレイで出来ることをする。

 

 

 

「失礼します、ヨア・セブンスです」

「どうぞ、お入りなさい」


 最後に顔を見たのはいつだっただろうか。彼女は窓辺に立ってこちらを振り向いていた。


 現王妃。サンズの母であり、陛下の次に権力を持つ人。

 彼女自身は王族の血を継いではいないが、目を惹く美貌と溢れる知性を陛下に気に入られ、家柄も悪くなかったためその立場を手に入れた。


「お久しぶりね。しばらく名前を聞いていなかったけれど、元気だったかしら?」

「はい、おかげさまで。」

「見ないうちに一段と綺麗になったわね」

「ありがとうございます。殿下こそ、相変わらずお美しいですね。」

「ふふ、ありがとう。」


 彼女は気は強いけれど賢明だ。実子ではない王子ルナに対し強く当たるような真似は過去一度もしたことがない。ヨア自身、接していて嫌われている自覚は全くないから、実際そんなものなのだろう。


「陛下の状態はいかがですか。」

「危ないわ。恐らくもう長くはないと。幸いサンズはそこまで重傷ではなかったみたいね。順調に回復しているわ」


 そうか。まぁ正直どちらでも良い。生きてくれれば嬉しいけれど、方針は変わらない。


「今日はひとつ、提案をしに参りました。」

「提案、ね。戦争が迫っているというのに、貴方は何がしたいのかしら」


 これは駆け引きだ。王妃だってヨアの立場には気がついているはず。結果は決まっている。

 重要なのは過程であって、今からする会話でどういう状態で結果を迎えるかが決まる。


「私に、一時的な王位継承を。正確には、陛下にそう助言をしていただきたいのです。」


 陛下には後で直接話すつもりではあるが、背後に王妃がいるといないとでは説得力が全く違う。説得に足る評価を持たないのならば、十分持つ者から借りれば良い。


「それをして、私に何か利益があるかしら?今の状態では、貴方のは提案ではなくただの頼み事よ」

「危険な役柄を私が引き受けると良いことですよ。十分な利があるのでは?」

「詳しく話して」


 そばの椅子に着いて、腕を組む。やはり彼女は聡い。説得の余地があればこちらの勝ちだ。


「ええ。まずはご想像の通り、魔王戦においての役割を私が受け持ちます。」

「そうね、それは貴方以外にできる者はないと私も思っているわ。でも王家の仕来りを無視してしまえば、そのために王位を渡す理由はない。魔王封印に必要なのはあくまで聖なる力だけなのだから、それを受け継ぐだけで良いでしょう。」

「そこで二つ目、私がマグナとの交渉を丸めます」


 王妃の眉が訝しげに歪められる。当たり前だ。彼女視点、ヨアがマグナの交渉材料を持っているようには到底見えない。

 実際、現時点でヨアの手元に自信を持って切れるカードはほぼない。ここにあるのは、それを手に入れるためのものだけだ。


「それ、貴方がやる意味あるかしら?陛下が倒れようと、国には宰相も外務卿もいる」

「現在内政を仕っているウェヌム宰相、及び外交官長ネブラに、ソルアラを王国として存続させる意思はありません。」


 証拠がないのが惜しい。本当に惜しい。でも、この情報が王国の最高権力を大きく左右させることを知っている。情報一つにそれだけの価値はある。


 現に王妃は身を乗り出して耳を傾けた。


「どういうこと?」

「密通していたのです。彼らとマグナの者が。一度だけしか目撃していませんが、秘密裏に手紙が交わされている事実は確かです。これは予想ですが、今回の暗殺を企てたのも彼らではないかと。」

「暗殺を…」


 しばらく王妃は黙った。急かす理由もないので待った。

 考えれば自然とこちらに傾くだろう。会談にサンズも参加させるよう掛け合ったのはウェヌム本人だと聞いているし、彼女はマグナ会談に関する会議に参加していたのだから。


「貴方は、王国を存続させるつもりなの?」

「はい。ソルアラを、連邦の一部にも、植民地にもさせません。しかし今の私では誰からも支持を得ない」

「だから王になるのね?」

「形だけでも権力を握っておく意味もありますし、陛下本人に後押しされることで印象も良くなると思うので」


 いくらルナ王子が国民に低評だろうと、宰相の方が信頼に足ろうと、この国が王政であることは忘れてはならない。議会もあくまで意見交流の場でしかなく、結局勝つのは王を説得できた者だ。


「協力しましょう、殿下。私は王家の安寧を望みます。」


 一番は、ヨアたちが国を出ても安心して暮らせるために。ついでにその他諸々付いてくる特典も手に入れて、国に残った思い出を守るために。

 そのためなら一時苦労するくらい構わない。


「…その前に一つだけ。」


 ポツリと、王妃が呟く。表情が読み取れない。何を言われるのかと思わず身構える。議論の準備はいくらでもある。


 だが彼女は椅子から立ち上がると、深々と頭を下げた。

 予想外の出来事に拍子抜けして、ヨアは思わずポカンと口を開けてしまった。


「貴方を廃嫡したこと、今とても後悔しているわ。こちらの都合に気を使わせてしまって、ごめんなさい。」


 まもなく自身の置かれた状況を理解して、慌てふためいた。

 どうして自分が王妃に頭を下げられなきゃいけないのだ。そんな立場じゃないのに。


「顔をお上げください、自分で望んで王家を出ただけです、本当に。」

「少なからず私たちの利も考えたでしょう」

「否定はしませんが…。むしろここで正式に王家に戻ってこいと頼まれる方が酷なくらいです」

「それは…こちらからすれば都合が良くはあるけれど。でも私の気が済まないわ、せめて何か謝礼を」


 それは素直に受け取ることにしよう。一応過去の財産は隠し貯めてきたが、外に出て生きていくには少し不安があったのだ。金があって困ることはない。


「詳しくは戦争が終わってからにしましょう。今はまだ成功するかも不確かですので」


 戦争の予算も立てられないまま戦争後の話をしたって机上の空論だろう。

 王妃も頷いて、今度は向こうが片手を差し出す。


「では、戦争に勝った暁には、金でも名誉でも、貴方の望むものを」


 ヨアも微笑み、手袋を外して、差し出された手を取る。


 第一段階、完了。

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