第30話 『過去』と伝承

 ルートは、前と同じ塔の頂上で、文字列の並んだ書物をそこら中に広げていた。

 ヨアが仕事で来られないことを伝えると、「信頼されたね」と笑った。


「北東の教会に行ったことはある?」

「はい。女神祭の護衛で。」

「そうだね、儀式や祭典で使われることが殆どなんだけど。本来、あそこには女神が眠っていて、王家の手により復活させられる日を待っているらしい。」


 不思議な伝承だ。

 レイが幼い頃から聞いてきた神話のイメージでは、女神は自ら天界に帰ったように感じられた。無論、それも人が作った物語でしかないが、多くの人が長い間語り継いできたものだから、疑う余地もなかった。


「”女神、民をして神殿を建てさす。遙か行末ゆくすゑにて、加護を給ひし王の血を継ぐ者にて、起こさるる日を待つ。おのがとがを償ふ、生まれ出しところへ帰るさだを待つ。

聖なる光の加護を賜りし王に告ぐ。

祖国ソルアラの三の門を閉じよ。女神、現世うつしよに立て込めらる魔王の魂許し給ふ、ここに女神、とがより解き放たれん。”

――僕が見つけた、女神に関するヒントだよ」


 後半の文句には聞き覚えがあった。

 砂漠の民たちが魔界で見つけたという、魔王の輪廻に関わる真実。


「女神は何か過ちを犯した。それは、魔王の魂を許すことで償われるもので、そのためには王家の手によって教会で復活しなければならない。

――っていうのが、僕の解釈。」

「一部は、砂漠の民から既に聞いている内容です。これによって、魔王は輪廻を絶つことが出来るだろう、と」

「ああ、なるほど。もしかしたら魔王を許すっていうのは、女神が魔に侵された魔王を輪廻から解放するってことなのかもしれないね」


 言語が現代の言葉と異なる古語なのが厄介だ。

 砂漠の民が見つけて書きつけた言葉も同じく、古語で書かれたものだったそうだ。古語は、標準語に近い言語だが今とは少しニュアンスが異なることが多いため、翻訳に困る。


「他に聞いておきたい補足説明はある?」


 補足説明、か。それより…


「砂漠の民たちがこの情報を手に入れるのにはかなり苦労したと聞きます。それをルートさんは一人でどのようにやってのけたのか疑問に思いました。」

「ああ、なるほど、そうなるか…。」


 ルートはガサガサと書物の山を漁って、裏面が空白の紙を見つけると、それをこちらに見せる。


「そういう魔術か使える、が答えかな。『過去』を書に記す魔術。試しに今日の君を覗いてみようか」


 するとみるみる空白に文字が刻まれていく。神秘的に見えるその動きに目が奪われた。


”花畑の村の宿、五時過ぎに起床、顔を洗って軽く近辺を一走り、準備運動、剣の素振り、六時頃に朝食、”


「健康的な生活だね」

「待ってください、もういいです」


 随分細かいところまで記される。少し恥ずかしい。


 彼が城の情勢についてある程度知識を持っているのも、これがあれば説明がつく。魔術の可能性も、そして彼の技量も計り知れない。


「これで、神話時代を探った。あまりに昔のことだから辿れる情報も限られているし、詳しく探ろうとすると魔力消費が酷くて時間もかかるんだけど。」


 今の時代、不確かな伝承でしか知る術のない神話時代を、彼は知っているというのか。


「――君は、女神を信じる?」


 突如、ルートが微笑んでその問いを口にした。

 真実を知る者が、ひとりの一般民に向かって。


 思わずレイは苦笑いを浮かべてしまった。


「配慮には感謝しますが、今更ですよ」


 残念ながらヨアは、レイの信仰に関しては気遣ってくれなかった。だから砂漠にも連れて行かれたし、彼が聞いた全ての情報がレイの耳にもそのまま入った。

 まあきっと、初仕事の際に交わした会話でこちらの立場を把握した上でのことだろうけれど。


「敬虔な信徒ではありません。ただ、宗教国に仕える騎士としているだけです」


 存在を信じていないわけではない。一騎士としては女神に跪く立場でもある。

 ただ、女神の加護が絶対的なものとは思っていない。

 それが答えだ。


「そう。じゃあ、遠慮なく話すね」


 ルートはパラパラと書物のページを捲る。

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