第26話 告白

 村の離れ、坂に沿って墓地がある。坂道の頂上には一本の常緑樹が聳え、長いことこの村と死者たちを見守ってきた。


 その、守護者のような木の下に、彼はいた。


「イオくん、久しぶり。ハンクだ、覚えてるか?」


 彼は、酷い顔をしていた。

 力無い口角、頬も痩け、隈の浮かんだ目がギョロリと飛び出し、瞳には生気が感じられない。まるで感情が消え去ったかのように、なんの表情も浮かんでいなかった。


「…僕に、近付かない方がいい」

「今更魔王の生まれ変わりって気にしてんの?関係なくね。俺強いし。それよか、イオくんと話したい人がいるから応えてやってよ」

「ええと、こんにちは、ヨア・セブンスと申します。お話を伺っても宜しいでしょうか?」


 イオは、暫くなんの反応もしなかった。

 その目に映るのは諦めか、恐怖か、あるいは死への覚悟かもしれない。


「…僕は母を殺した。」


 やがてその乾いた唇から溢れたのは、懺悔の言葉だった。


「魔物に襲われて母は死んだんだ。魔王となる資格を持ちながら、僕は何もできなかった。」


 ああ、と納得する。

 自身の罪だと責めて責めて、苦しんでいる結果がこれなのだ。


「のうのうと暮らしていていいはずないんだよ。この命を持って生まれた以上、もっとやりようはあったはずだ。少なくとも、親を殺すような事態は防げた。」

「肉体にその資格があるだけで貴方は魔王ではありません。魔物を操れないのも当然じゃ――」

「そういうことじゃない」


 一際強い否定が、ヨアを遮った。


「そうじゃないんだよ」


 枯れ果てた涙を流して、悲痛な声を絞り出す。


「僕の存在が、罪だという話だ。僕が生まれていなければ母はこんな逃避行も必要なかった。考えても仕方ないのに、そんなことばかり考えてしまうんだ。苦しいよ。」


 イオは、なんだか泣いている子供のようだった。弱々しくて、今にも壊れてしまいそうだった。

 仮に今ここで彼が灰になって風に飛ばされても違和感は感じないだろうくらいに。


 苦しいよ、とイオの言葉が脳内で反芻する。

 自身を押し潰す言葉がどっと頭に流れる。

 どうしようもないことを考えて、悩んで、息が苦しくて、急に叫び出したくなるような衝動を、レイは知っている。


 お前は女だから、と何度も声をかけられた。もし私が女じゃなかったらと何度も考えた。


 苦しかった。


「――覆しましょう」


 ギョッとした顔でヨアとハンクが振り向いた。自分でも何故大胆な行動に出たのかわからなかった。


 でも、自分の言葉で、語りかけたかった。


 イオは、レイとは違う。もっと、重い。

 レイには騎士をやめるという逃げ道がある。

 魔王の定めからは、どうやっても逃げられない。わかった気にはなってはいけない。

 でも、存在を否定するにはまだ早い。


「私たちは、この繰り返しの歴史を変えるために、貴方に会いにきたんです。」


 砂漠の集落でヨアとハレナが相談していたのは、このような悲劇がもう繰り返されないための策だ。今回イオは宿命を受けるにしても、せめてその苦しみをここで途絶えさせることはできる――二度と同じ思いをする者が現れないように。


「魔王は、滅します。」


 ハレナの言葉を反復する。イオの黒い瞳が、微かに揺れた気がした。


「イオさん、あなたが生まれた日を教えてください。」


 ヨアが一歩前に出て、最も聞きたい数字を尋ねた。


「…君に、何が出来るというんだ?」


 イオの言葉は依然冷たい。しかしそれは相手に向けられたものではなく、常に自分が傷ついても良いように構えているためのように感じられた。

 ヨアの正体を知らないイオからしたら疑問以外抱くものはないだろうけど。


「大抵のことはできますよ。勿論、私一人の力ではありませんが。」


 自信に満ちた笑顔はレイを確信させる。ヨア――及びルナは、実現させる。この歴史を覆し、自分の夢までも叶え、レイ共々自由になるだろうと。


「貴方をただの人間にすることは出来ません。それは、私には責任を取れません。でも、せめて貴方にとって大事な人をもう傷付けないよう守ってみせることは、出来ます。」


 片手を差し出す。努力を重ね、勉学に励んできた、逞しい手だ。


「俺に、任せてくれませんか」


 イオは、しばらく何も言わなかった。いつか自分を封じる相手をじっと観察して、何やら思考していた。海風だけがひゅうと音を立てて沈黙を打ち壊す。


 ふと不安になって、ハンクを連れてどこか席を外そうかと思う。もしこの説得が足りないとすれば、原因は情報の少なさだろう。ヨアの正体を知らないハンクがいるせいでヨアが十分に話せないのなら、無理にでもハンクの耳を塞いで話をさせようと思う。


 だが、その心配はなかったようだ。やがてイオは、ポツリとその日付を告げた。


「三月十日」と。


 そしてゆっくりと頷き、王子の手を握った。華奢で細々しい、震えた手だった。


「ヨア、さん。お願いします、助けてください。」


 もう一方の逞しい手が、さらにその細い手を包む。


「必ず。」

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