第17話 隠れた月

「――廃嫡されて、悲しくないのですか?」

「別に、なんとも。元々前王に決められた結婚だったからね。陛下は俺を愛しちゃいなかった。俺としてはむしろ外交官の仕事をもらえて嬉しいくらい」


 少し考えて、理解した。彼は本当に合理的な人なのだろう。


 仮に彼が今すぐに、魔王復活の予言もソルアラを狙うマグナも見ないフリをして、外国に亡命できたとして、その仮初の平和は長続きしないかもしれない。


 サンズ王子が魔王を封印できなければ魔の脅威は外国にまで影響を及ぼす。

 そして、マグナがソルアラに勝てばソルアラ人は捕まってしまう。


「マグナとの外交を、上手く機能させるために?」


 長官ではなく副長官という立場ではあるが、発言権は大きいはずだ。


 彼は微笑んで頷く。


「陛下に頼んでそうしてもらったんだ。」


 ここまでの思考に、約五年前――まだ彼が十五歳の時に既にたどり着いて、ずっと計画を進めていたというのか。


「友達になろうと言ったのも、私に協力してもらうためですか?」

「俺一人じゃ出来ることに限界がある。あちこち走り回って情報を集めたいけれど仕事だって暇なわけじゃないからね。

元々ダウン殿から、護衛の騎士をつけるよう口酸っぱく言われていたから、いっそその人を協力者にしてしまおうと。」


 そりゃあそうだ。これはレイもダウン団長に同意する。

 廃嫡されたとはいえ、魔王戦の要になりうる一国の王子が一人でほっつき歩いて良い訳がない。


「でも聞いて、俺はちゃんとレイと仲良くなりたいって思ってたよ」


 いや、別に、利用しようとしていたならそれはそれで構わないけれど。賢いヨアのことだから悪くは扱わないだろうし。

 だが随分真剣な眼差しで訴えてくるので、ひとまずその気持ちは受け止めておくことにして、「それで?」と続きを促した。


「元々は、魔王戦の混乱に乗じて国を出てしまおうと思っていたんだけど、俺がいなくなればその騎士が責任に問われる可能性がある。だから今のところは、俺が国を出る前に上手く任務解消するつもり。」


 なるほど。確かに、世間に国を出たことを内密にするなら、レイだけが残っては違和感があるだろう。

 ただ――


「それは、私が騎士として城に残るため、ですよね?」


 キョトンとしながらヨアは当然だというふうに頷く。


 どうする。

 言って良いのか。でもここを逃したらもうその時は訪れないのではないか。


 こちらが何か言いたげなことに気がついて、ヨアはじっと言葉を待っている。

 彼なら、否定しないのではないか、と思った。

 言うなら今だ。


「私が、騎士を辞めるという選択肢はありますか」


 声が震えてしまった。恥ずかしい。顔が熱くなっているのを感じる。目線を上げられない。

 けど、言った。ついに。


「…じゃあ、一緒に亡命しちゃう?」


 次に紡がれた言葉にハッとして、顔を上げる。

 そこには、いたずらを仕掛けた子どものような、楽しげな笑みがあった。


「いいよ。全然、組み込める。ああ、だとしたらそうだな…」


 そう言って彼はぶつぶつと独り言を呟きながら、雑多な机の上から紙を引っ張り出してきて何やら書き始めた。

 よくわからないけれど、思考の邪魔をしちゃ悪い。


 手持ち無沙汰になったレイの頭にヨアの唱えた言葉が浮かぶ。


「――誰にだって好きに生きる権利はある。決められた道筋を拒む権利がある。俺はただ、好きに生きようとしているだけ。そのために今頑張るんです。」


 先程、王子ルナの事情を聞いた時、レイもルートと同じことを考えた。

 王位継承権さえ持つ地位に満足できず手放すのは、むしろ強欲なのではないか。この国の最高地位につける役職以上に何を望むというのだろうと。


 でもよく考えれば、それもあくまで一般論でしかない。

 人が高い身分を欲しがるのも自己の幸福のためだ。


 幸せの感じ方は人によって違う。もっとささやかな、知らない国で息を潜めて静かに生きるような生活を望む人だっている――今目の前で、時間と知能を費やして身分を手放そうとしている人のように。


 長い睫毛が持ち上がって透き通った黄褐色がレイを見る。

 綺麗だな、と思ってじっと見つめていたけれど、その瞳が細く笑ったのに気付いて慌てて目を伏せる。

 

「放置してたね、ごめん。今日はこれで切り上げようか。」


 頷こうとして、動きを止める。

 そういえば。

 ヨアが首を傾げて「どうかした?」と尋ねる。


「…まだ時間はありますか?」


 もう時刻は早くない。だが遅くならないうちに話しておきたいことがあった。

 うん、と了承が出たので懐から件の手紙を出して盤上に置く。


「これは?」

「実は――。」

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