第13話 山の向こう側

 意外と運動神経が悪くないことは既に知っていたが、体力の方も思った以上にあるらしい。たまに雪に足を取られつつも、ヨアは黙々と進んでいく。

 現役で騎士をしているレイでさえも少しばかり疲労が溜まってきたというのに。


 とはいえレイの疲労の原因はほぼ寒さのせいと言えるので、登山自体はむしろ楽しい。もう少し暖かかったら尚良い。


 道のりは、集落に着くまでよりいくらか険しかった。山奥はあまり人が立ち入らないらしい。

 

 雪が深くないのは幸いだった。今は比較的暖かい季節だから。これが冬だったら流石のヨアもこんな元気に登山なんてできまい。


「――初めて登ったのは、確か十歳だったかな」


 突如ポツリと、ヨアが独り言のように呟いた。

 いや、独り言だったのかもしれない。


「サンズ王子が誕生して、陛下が挨拶回りに行ったところについて行ったんだよね。」

 

 十歳で?あまりに若すぎ――むしろ幼すぎないか。今のサンズ王子と同じ歳じゃないか。


「社会見学みたいなものだよ。百聞は一見にしかず、とか言うじゃん。俺は城生まれ城育ちだからさ。実際の目で学ぶ機会が多かった」


 こちらの心を読んだかのような補足説明。

 城の中で育てばそんなこともあるか。きっと、幼い頃からしっかりとした教育を受けてきたのだろうな。


「城の官になったのは、もちろん家の事情が理由なんだけど。いろんな役柄を間近で見てきた中で外交官を選んだのは、自分がなりたかったからっていうのがやっぱり大きいかな」


 木々の間を縫って進んでいく。獣道の先に、青い空が見えた。


「俺にとっては、ソルアラじゃ狭い。自分の目で、世界を知りたい。」


 突如、視界が開けた。


 まず飛び込んできたのは広大な平野だ。

 マグナの領地。今日は雲がないから景色もスッキリ見える。ポツポツと町並みがあって、見たことのない建造物も多い。


 次に目に付いたのは、大自然だった。

 今いるここから北西方向にまだ山脈が続いている。

 東は森、西は砂漠。遠く先には地平線も見える。どれだけ歩けば辿り着けるのだろうか。


「こんな、」


 こんなに、世界は広かったのか。

 

 生まれてこの方、国を出たこともなければ、世界全体を見渡す経験なんてしたことなかったものだから、随分と新鮮な気持ちだ。


 うまく言葉にできない。


 自分はこの途方もない世界に生まれ堕ちてきたのか。

 自分の知る世界はどれだけ狭いものだったのだろうか。

 

 この世界にはまだ、どれだけの可能性が秘められているのだろうか。


 隣で、瞳に青い空を反射させながら、綺麗な横顔が微笑む。

 作り物みたいな顔が、人間の表情をして、笑う。

 

「いつか、外国を巡る旅がしたい。俺が今頑張る理由。」

 

 カチリと、錠の解ける音が聞こえた気がした。


 普通に考えて、親が城の官ならそれに倣って城の仕事についておけば将来は安寧なのだ。

 でも、ヨアは違う。

 自分の夢を叶えるために、その平穏さえ利用して手離してしまうつもりなのだ。


 ようやく、内側を覗くことができた気がした。

 ずるくて賢いくせに馬鹿みたいに真っ直ぐな根っこを見た。

 目を背けたくなるほどに眩しくて、だけどじっと見つめていたいほどに美しくて。


 ああ、好きだな、と思った。

 

 異性としてではなく、人間として。ひとつの理念として。

 彼の見ている世界を知りたいと思った。

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