第4話 学会発表

 食べ放題とかビュッフェスタイルには、重大なポイントがある。これは混雑しているときはおいしいが、空いているときは今ひとつ、ということである。理由は簡単で、混雑しているときは次々と新しい料理が登場し美味しいが、空いているときはどうしても調理サイクルが伸び、冷めて味が落ちるということだ。

「朝食、ビュッフェにする? それとも朝定食?」

 チェックイン前修二くんに聞かれた私は上記の内容を力説し、朝食を定食にしてもらった。平日の高級ホテル、混雑しているとは考えにくい。むしろゆったりとした朝食を演出してくるだろうから、ビュッフェには不向きと判断した。その判断が正しかったかどうかは、別の機会にまた宿泊してみないとわからない。

「杏はくいしんぼだな」

「否定しないけど、私の学会デビューの日だよ。朝食といえどもベストでありたい」

「ははは」


 もちろん美味しかったし、お腹もいっぱいになった。塩味の聞いた塩鮭は日本の朝食に欠かせないのだろうが、私は黙って修二くんの皿にのせた。修二くんは卵焼きをくれた。

 

 大学理学部のキャンパスは広島市ではなく、東広島市にある。私達ははじめもちろん東広島の大学近くのビジネスホテルに予約していた。しかし修二くんのご両親は学会が広島と聞いて広島市内と勘違いしたらしく、ホテルは広島駅前に取ってしまった。ご好意にもとづくことだから、私達はこのことをご両親には伝えていなかった。だから片道一時間の通勤が必要となり、朝食はかなり早く取る必要があった。

 

 山陰本線で景色を見ながら行く。通勤と逆方向だから、混んでない。

「春だね」

 修二くんに言うと、

「そうか、杏にとっては、季節を飛び越えてる感じかな」

「うん、桜さきそうな。そうだ、私うまくやれば花見二回できるかな?」

「どうやって?」

「東海村と北海道で」

「交通費どうすんだ?」

「それよね」

 くだらない会話をしながら大学へ向かう。

 

 東広島駅でバスに乗り換え、学会会場となる東広島キャンパスについた。広々としたキャンパスに木がたくさん植えてある。扶桑女子大、札幌国立大学どちらも木が多いが、ここは直線基調の現代的なキャンパスだ。

 

 受付をすまし会場に入ると、知った顔がたくさんいる。池田先生、榊原先生、網浜先生、そしてそれぞれの研究室のメンバー。札幌勢だけでけっこういる。残念なのはSHELの新発田先生の不在だ。なかなか退院できないらしい。

 

 午前の前半のセッションが始まった。高温超伝導は活発な研究分野だから、いろいろな発表があって私は最新の話題について行くのに必死で、質問する余力がなかった。気がついたらもう、休憩に入った。

 

 休憩時間に入ると、扶桑女子大の人たちがどかどかと入ってきた。先頭はもちろん澤田先生、宮崎先生、伊達先生もいらっしゃっている。澤田先生のハグは、腰を入れて受け止めないとけがをしてしまう。優花をはじめ同期の子達、秋に相談を受けた高木さんもいる。

「高木さん、結局進路どうしたの?」

「はい、四月から柏に行きます!」

 人が大学から大学へ動くことはいいことだ。人が動けば学問も動く。

 

 午前後半のセッション前、会場は超満員になってしまった。緊張してきた。

 

 私の発表はお昼休みの二つ前だ。自分の発表に時間的に近いほど研究分野も近いのでよく聞いていなければと思うのだが、全然頭に入らない。横に座る修二くんがツンツンしてくるが、小声で「だいじょうぶだいじょうぶだいじょうぶ」と返すだけである。

 

 でも私には秘策があった。一発で会場を自分のものにする秘策が。

 

 私の前の登壇者の番になり、私は次の登壇者の席に移動する。スライドを準備する手が震えるのがわかる。視線をあげると修二くんが、ウンッウンッとうなづいて元気づけようとしてくれている。のぞみや優花は小さなガッツポーズをしている。明くんのあれは変顔のつもりだろうか。

 見回すと、若い女子の数が異常に多い。物理の世界では異常事態だろう。

 

 自分の番が来た。まだ手が震えている。


 スクリーンに自分のスライドが映されているのを確認したら、震えは収まった。もう大丈夫。PC上にスライドが映れば言うべき言葉は自動的に出てくる。質疑応答も何の不安もない。なにかあっても実験上のことは修二くん、サンプルのことについてはのぞみが絶対に満足する答えを出してくれる。理論のことでは、私自身が絶対に負けない。池田先生と意見のあわない部分もあった。でも、今日、この場で池田先生に助けてもらう気はない。

 

 今まで私を応援してくれた、支えてくれた皆さん、見ていてください。

 

 今一度会場を見回し、発表を開始した。

「札幌国立大の唐沢杏です」

 わざとちょっと時間をとって、会場を見回した。修二くんが頭をかかえている。のぞみは眼をキラキラさせ、真美ちゃんが両手を頬にあてている。

 

「あ、失礼しました、旧姓 神崎です」

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