第3話 学会前日
学会前日午後3時、広島駅改札で私はひとり、修二くんを待っていた。
私は朝新千歳から飛行機で広島空港、リムジンバスで広島駅までたどり着いていた。池田研のみんなといっしょに行動していたのだが、広島空港から別行動にしていた。修二くんは朝東海村を出て、東京から新幹線で広島入りである。
今回の旅は学会の出席だから出張であり、旅費もでる。しかし出張だから日程に余裕なんて無く、出発してから帰るまで休日はない。観光したければ学会のセッションの一部をサボるしか手はない。それでも前日に広島入りして最終日に帰る私達はいいほうだ。人によっては日帰りだ。
なお、私は観光する予定はない。だって学会だから、参加できるものはすべて参加しないと。ただ、宮島の厳島神社と鹿はみたかった。
修二くんの到着までもう少しある。修二くんのご両親になにか送らないとと思うが、しゃもじにするわけにはいかないので、やっぱりもみじ饅頭だろうか。
「おーい、杏」
向こうから手を振って修二くんがやってきた。
「修二くーん」
私も手を振った。
「ひさしぶりだね」
「うん、ひさしぶり」
私も修二くんも荷物を置いて向かい合って両手をつないだ。
修二くんの顔はネット会議で毎日見ていたし声も聞いていたが、手のぬくもりはネットではわからない。そんな当たり前のことを考えていると自然と視線がさがってしまい、気がつくと涙が溢れていた。
「杏、大丈夫?」
「うん」
修二くんは一旦手を離して、嫌だったので手をもう一度取ろうと思ったけど、抱きしめられた。
暖かかった。
今まで人前で抱き合うとか駅とかで見かけると、よくできるなと思っていたが、まさか自分がそういうことをするようになるとは思わなかった。
体を話して修二くんを見ると、スーツ姿だった。指摘すると、
「これならホテルでもぎりぎり大丈夫かなってね」
「うん、かっこいいよ」
「はは、行こうか」
ホテルは駅からも近く、歩いてすぐだった。レセプションは濃いブラウンの木製で、傷がついてしまわないか気になる。照明は真鍮製のスタンドで、やはり暖色系の光で心が落ち着く。
「予約していた唐沢ですが」
修二くんがチェックインしてくれる。
「唐沢様、2名様ですね、お待ちしておりました」
あまりに自分が場違いに感じられ宿泊拒否されたら野宿でもしないといけないかと考えていたから、受け付けてくれた女性職員の微笑みがそれこそ聖女様のように感じられた。がさつな私と同じ女に思えない。
部屋は広く、一言で言って素敵だった。花が飾られ、つい香りを嗅ぎに行ってしまう。将来修二くんと二人の生活をはじめたら、家の中に花を欠かさないようにしたいと思う。私は庶民丸出しになり、浴室とか、クローゼットとか、すべてのドアを開けて中をみてしまう。もちろん冷蔵庫もだ。オレンジジュースを二人分持って、修二くんのところにもどる。
修二くんはソファに腰掛け微笑んでいた。
駅から近いホテルに寄り道せずチェックインしたから、広島の様子はまだわからない。早めのチェックインだったが、街を見に外出する気はない。私達の学会発表は明日の昼前だったので、修二くんと二人で最後のチェックをしたかったのだ。
オレンジジュースをテーブルにおいて、さらにカバンから学会発表の資料も並べる。修二くんも自分の鞄からパソコンを出した。
修二くんのパソコンでスライドを見ながら、ここでこの話を、こちらではどの話を、と頭の中でチェックしていく。独り言はたくさんしていたと思う。
しばらくして修二くんに言われた。
「もうやってると思うけど、時間計って練習しなくていいの?」
「うんだいじょうぶ。私むかしからこういう発表は、自然と時間合わせられるのよ」
これは本当だ。大学1年のとき大失敗してプレゼン時間を大幅にオーバーしたことがあるが、それ以来不思議と一発で時間ちょうどでできるようになっていた。だから三年生くらいから時間を計測しながらの発表練習はしていない。
「そう言えば雑誌会も、時間ぴったりだったね」
多分このとき私は、ドヤ顔をしていたと思う。
窓の外が暗くなってきた。
「杏はやっぱり物理が第一で、観光とか後回しなんだね」
「ちがうよ。遊び行きたいよ。でもディナー、ワイン飲むでしょ。そしたら発表の練習あぶないじゃん」
「そうだね」
「夕食7時?」
「うん」
「そろそろ着替えたほうがいいかな」
「そうだね」
「エッチにならないでよ」
「だいじょうぶ」
「なにそれ、私魅力無いってこと?」
「いや、食欲をじゃましたらたいへんなことになるんじゃない?」
「もう、からかわないでよ」
幸せである。
今夜の服装は、うすいピンクのワンピースに、まだ夜は冷えるからジャケットである。この日のためだけに買ったサンダルをあわせる。パンストを履くところだけは修二くんには見せられないから、着替え中は後ろを向いていてもらった。
本当は部屋のどこかに私の姿が映っていたら、それを見ていてほしかった。言えないけど。
「修二くん、いいわよ」
修二くんは立ち上がって私を見て、抱きしめてくれた。
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