第2話 学会準備
「杏、大変申し訳無いんだけど、学会のホテル、キャンセルしてくれないかな?」
「どういうこと?」
インターネットのビデオ会議でいつもの夫婦の会話を今日もしていたのだが、急に言われて私は慌てた。
私は広島で行われる春の学会で、ビジネスホテルを予約済みだった。もちろん修二くんとツインでである。のぞみや真美ちゃんも、ついでに明くんやカサドンも同じホテルに宿泊予定で楽しみにしていたのだ。
「あの、あのね、両親がね、ホテル取っちゃったんだ」
「どこ?」
修二くんが答えたホテル名は、有名な高級ホテルだった。
「両親がね、新婚旅行と言うか、なんというか……」
私は事情を了解した。修二くんのご両親が、新婚旅行もいかずに別居生活をつづける私達にプレゼントしてくれたのだ。
「うん、わかった。キャンセルしとく」
「細かいことはメールしとくから」
「うん、じゃ、またね」
しばらくしてメールされてきた宿泊情報で私はさらに驚いた。
まず高い。一泊で一人分の学会出張費が出そうである。
さらに最初の晩だけとは言え、ホテルレストランでのディナーもついている。私は一応お嬢様学校の卒業生だからマナーなど問題は無いが、それでもなんか緊張してしまう。とりあえず修二くんの実家に電話をかけた。
出たのはお義母さんだった。
「杏です。なんかホテル取ってもらっちゃってありがとうございます」
「ううん、いいのよ。あなたたち式も新婚旅行もないでしょ。せめてこれくらいはさせて」
「はあ、ありがとうございます」
修二くんの実家には正月も含め二回しか伺っていないが、とてもよくしてもらっている。ちょくちょくと高級そうな食料品を送ってもらってそのたびにお礼の電話を入れているから、気楽な関係になりつつあった。それでも今回のプレゼントはすごかった。
豪華ホテルにディナーは楽しみではある。最後にそんな体験をしたのは、高校生の頃、父に連れて行かれた栃木県の国際サーキットに連れて行かれたとき以来だ。父がなんだかドライビングレッスンを受けるとかで、ついでにサーキット内のホテルに泊まったのだ。ランチもとても豪華で美味しかったのだが、サーキットだけあってレーシングスーツのまま入店してもOKと、ちょっと変わったレストランだった。
それはともかく、同時に落胆もしていた。部屋は別としても仲間と一緒に泊まるのは楽しみだった。実は一番楽しみだったのは、ビジネスホテルの朝食バイキングだった。研究室のメンバーからどこどこの朝食は美味かったとか散々聞かされてきた。もちろん安いビジネスホテルの話題ばかりだが、焼きソーセージとかスクランブルエッグとか、取り放題らしい。それを出張中のおじさんたちが遠慮も自制もなく食べまくっている姿を見たかった。もちろん私も食べまくりたかった。
高級ホテルの朝食ももちろん美味しいだろうが、ビジホにはビジホの魅力があると思うのだ。
最近の夕食は、のぞみや真美ちゃんと食べることが多い。まだまだ札幌は雪が多いし、修二もいないので夕食を女子で一緒にとり、そのままかたまって帰宅するのだ。明くんとかカサドンとかがエスコートしてくれることもあるが、女子だけで帰るときはついそのまま女子会になってしまうことが増えている。肝臓も心配だし、おじさん化した真美ちゃんが明くんの荷物を漁る。
それはともかく今日の夕食は、女子三人に明くんやカサドンを加えて、ホテルの件を報告していた。
「ま、そういうわけで、私達だけ宿泊別だから。ごめんね」
女子二人は「いいなぁ~いいなぁ~」を連発している。
「いいんだけどさぁ、ちょっと緊張するんだよね、ディナー」
とぼやくとのぞみは、
「テーブルマナーなら修学旅行でやったじゃん」
と言った。真美ちゃんは、
「なにそれ、さすがお嬢様学校」
と感心している。
「あ、俺わかった。聖女様、ガツガツ食べちゃって修二に嫌われるの怖がってんじゃ、イテッ」
明くんをのぞみがテーブル下で蹴っ飛ばしたらしい。
「そうじゃなくって、ちゃんとマナー守ろうとしたら、あんまり食べられなくなるんじゃいかなって」
と言ったらのぞみは、
「ああ、そっちか。大丈夫、聖女様はひとくち食べた瞬間に食べ物に集中できるよ」
などといいやがった。明くんと言っていることがあんまり変わってない気がする。
「そんなことより聖女様、服、持ってかなきゃだね」
と真美ちゃんに言われた。
「へ?」
と返すと、
「ディナー用の服、あるの?」
と言われた。
「あるわけないわな」
とはのぞみである。私はのぞみの足を踏んどいた。
「痛いなぁ、服選んであげないよ。だいたいさ、ホテルの出入りだってある程度はちゃんとしないと」
私は頭をかかえた。
その週末、のぞみと真美ちゃんに連れられ、札幌駅ビルで春物の外出着とディナー用のワンピースを買った。真美ちゃんのセンスは侮れなかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます