七夕

や劇帖

七夕


 七夕の笹飾りが撤去されていた。ショッピングモールの広場や休憩ベンチ近くに毎年設置される笹の造花で、備えつけの短冊に願い事を書いてぶら下げることができる。客の食いつきも良い。気がつけば笹が短冊で太り、一層頭を垂れている。

 そういえば今年は書かないまま終わってしまった。何となくもったいないことをしたような気分になってくる。特に願うこともないが、短冊を前にすれば何かしら思い浮かぶだろう。例えば健康とか平和とか。書こうと思えばいくらでも思いつく。本末転倒な楽しさだ。そんなことを考えながら閑散とした通路を行く。

 テナント募集が並び、更に人気のなくなった区画に一つだけ笹飾りが残っている。例によって色とりどりの短冊がぶら下がっていて、きっと様々な願い事が書かれているのだろう。近寄って短冊に触れてみる。短冊、それから葉。

 ざらついた表面の感触は造花のものではない。多分本物だ。本物。曰く難い違和感がある。他のものはどうだったか。どうだっただろうか。

「ちょいと失礼」

 背後からの声に振り返ると、つなぎを着た姿勢の悪い小男がそばをすり抜けるようにして笹飾りに近づき、根本にうずくまった。

「撤去されるんですか」

「時期も過ぎましたしねえ」

「毎年楽しみにしてるんですよ」

「そうなんですか。今年は何か書かれましたか」

「いえ、まだ」

 小男は少し間をおいて「書かれますか?」と言った。

「いいんですか?」

「ええ、どうぞ」

 小男は振り返りながらペンと短冊を差し出した。

 その指も腕の細さも子供のようで、甲から腕に向かって毛がみっしり生え詰まっている。人のものではない。いや、そもそも小男というにも小さすぎる。うずくまる小男。何故、今の今までこれを人だと思いこんでいたのか。

 猿の手がペンを軽く振る。「書かれませんか?」

「ね、願い事を」声が若干上ずる。「書いた短冊を、どうするんですか」

「叶えるんですよ」

 猿は言った。

 まずいことが、非常にまずいことが起きる気がする。だがどうすればいいのか。どうすればいいのか。すべてを収束させる願いを書くことができるだろうか。内容すらここからでは分からない多くの願い事の、その先を。

 短冊と笹の葉がシャラシャラと音を鳴らす。猿はもう一度言った。

「書かれませんか?」

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七夕 や劇帖 @yatheater

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