バスが連れて行く先

 定期試験が終わり、部活も帰宅部なために、高校のHRが終わった後は逃げかえるように急いでバス停に向かうのが常だった。


 その日もバス停でバスを待っていた。秋の風が足に冷たい。特に冷え性が加速しているのか、制服のスカートを履いたままバスを待つのは一苦労だった。

 お腹も空く。

 昼に食べたお弁当はとうに消化しつくしてしまったようだ。バッグの中をあさり、小腹を満たすものはないかどうか探す。

 ――あった。

 固形のスティックタイプ。携帯できる、穀物がベースのシリアルバー。

 包装を破り、中身に口をつけようとしたが、バス停には既に人が列をなしており、人に見られながら食べ物を食べるのは恥ずかしい。

 思い悩んで、結局、後でこっそり食べることにした。

 しばらく待っていると、バスがバス停へと滑り込んでくる。

 わたしは定期券を手にすると、バスの入り口に設置された機械に定期を近づけた。ピッと小さく機械音が鳴り、定期を持ったまま、後方の席へと歩みを進める。


 ゴトッゴトッと、バスは揺れながら事務的に音声案内を流し、各バス停を停車、または通過して行く。

 窓から見える景色もいつもと変わらない。

 何だかすべてが事務的で流れ作業のようだった。

 変わらない、平凡な日常。何の違和感も感じない。


 ゴトッゴトッと音を鳴らしてバスが止まった。乾燥した音を鳴らして横側にあるドアがスライドする。

 通勤帰りの客が何人か乗ってきて、各自席に座ったり、吊革につかまったりしている。

 ふと、油の重たい排気ガスの匂いがした。

 窓の方に視線を向ける。

 家に帰ったら何をしよう。撮り溜めた、推しが出ているテレビドラマを見ようかな……。


 ゴトッゴトッ。

 頭を揺らすような振動音が聞こえて、わたしは目を開けた。

 気づけば、頭を窓にもたれさせ、軽くうたた寝をしていたらしい。

 ぼうっとした意識のまま、車窓に広がる光景を見つめる。焦点のぼやけた視界をはっきりさせるため、何度も目をしばたたかせた。

 窓の奥に広がるのは一面の緑。鬱蒼うっそうとした森林。頻繁ひんぱんにカーブの多い山道。

 見たことない景色だ。


 わたしは、はっとして辺りを見渡す。

 バスに乗っている客は、わたし以外には一人もいなかった。

 嘘。

 そう思って、首を伸ばし、バスの前方まで隅々に視線をめぐらした。

 バスの座席にいるのは、わたし一人だ。

 おそらく、運転席には運転手が乗っているはずだ。だが、後方の席からは運転手の姿は見えない。フロントミラーに目をやっても、角度のせいか、運転手は映っていない。


 そうだ。

 わたしは、側に置いてあるバッグを手に取ると、中に入っていた携帯できるシリアルバーを取り出した。

 包装を破り、口をつける。

 シリアルバーは、ほろほろとした食感が美味しく、既に忘れ去っていた食欲を刺激するには十分だった。


「バス車内では飲食をしないようにお願いします」

 注意の車内アナウンスが流れる。車内には私一人しか乗っていない。わたし一人を名指ししたアナウンスだと言うことはすぐにわかった。


 ここは、どこですか。

 そう尋ねようとして、わたしは席を立とうとする。

 だが、バスの移動中に席を立つのはルール違反だ。

 わたしは窓近くに設置された降車ボタンを押した。


 音は鳴ったが、よく見るとボタンの表示は光っていない。通常であれば『とまります』の表示が光っているはずなのに。


 おかしい。そう思って、反対側の座席にある降車ボタンを押す。

 まただ。

 音は鳴るけれども、ボタンは何の表示も示さなかった。

 おかしい。おかしい。


「お客様」

 運転手の非難めいた声がバス車内に響く。

「停車ボタンを、いたずらに何度も押すのは止めてください」


「でも――」

 わたしは、やっとの思いで声を上げた。

「ここはどこなんですか? いつも乗っているバスの最終目的地は隣町の団地なはずです。こんな景色、見たことありません」


 運転手は黙ったままだった。

 その間もバスはスピードを上げ、頻繁ひんぱんにカーブを何度も曲がっている。


「あのっ、聞こえていますか!」

 声を荒げ、つい席を立ってしまった。

「バス車内では目的地につくまで席を立たないようお願いします。急に立たれますと転倒事故につながりかねません」


 女性の事務的なアナウンスが流れた。

 わたしは、もう黙っていられなかった。

 バッグを片手に運転席まで走っていく。


「あのっ、早く止めてください! わたしは家に帰りたいんです!」


 山道を曲がりつつ走るバスは、前方に行くほど振動でよろけそうになった。

 運転席に手をかけ、反動を利用して運転手をのぞきこむ。


 わたしは、はっとして目を見開いた。


「バス車内では目的地につくまで席を立たないようお願いします。急に立たれますと転倒事故につながりかねません」


 女性の事務的なアナウンスが再度流れる。


 そこには運転手がいた、はずだった。

 なのに。誰の姿も――。


「次は、終点、『山の崖下がけした』。終点、『山の崖下がけした』。お降りになる際は、バス停に着くまで座席に座ったまま、お待ちください」


 やめて、そう思ったときには既に遅かった。

 わたしは叫び声も上げられず、その場に立ち尽くした。


 バスのフロントガラスからはカーブを曲がり切れず、突っ切ったまま逆様さかさまに落ちていく光景が、間延びしたように、ゆっくりと流れていくのだった。



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