悪口

 わたしは関東圏のある田舎町出身で、東京の大学に合格したことをきっかけに上京した。

 都内のアパートに部屋を借り、一人暮らしするようになった。


 一人暮らしは別段悪くなかった。

 むしろ、自分に合ってさえいた。

 ただ、出身県の地元の人たちとは違い、東京は多くの地方、外国から来た人々が多く集まっている。

 中には最初からこちらに対して、意地悪で性格的に冷たい人もいる印象を抱いた。


 最近、あったことを書いてみようと思う。

 それは、私が意識しすぎた面もあるとは思う。

 だが、アパートを出てから大学に行くまでに、このところ、かなりの不安を感じるようになった。


 通りすがりの人から突然、消えろ、と言われた。

 相手とは初対面であり、何の関係もないのに、である。

 また、道路でおしゃべりしている主婦から、

「あんな格好しちゃダメよ」

 と、そばにいる子どもに言われた。まるで当てつけのように。

 ジーンズに長め丈のトップス、カジュアルなジャケットを着ていただけなのに、何が悪かったのだろうか。

 家に帰ってから、わたしは悩んだ。


 また他の日には、車内にいる男がこちらを見ながら、「変な顔」

 と、言ってきた。

 他にも、通りすがりの若い女性二人が向こう側からやってきて、

「一人で歩いているなんて友達いないの」

 と、からかわれるように笑われたこともあった。


 とにかく、わたしの外見をちらっと見た上で、キツイ一言を何人もが言い放ってくるのだ。

 勿論、こちらから反論することはなかった。だが、見知らぬ人から、こうした言葉を投げつけられることが日常茶飯事となっていた。


 とは言え、私は周りの人々がどうして、そうした言葉を使うのか理解できなかった。

 わたしは別に何も悪いことをしていない。なのに、どうして一部の人から、こんなに嫌がられるのだろう。


 普段は平常心を保ちながら、そうした言葉を無視して何とかやり過ごしていたが、ある日、ふと思い立って、そうした言葉を使う『彼ら』の様子を観察し始めた。

 わたしがそう言われるのは、何かわたしに理由があるかもしれない。そう思ったわたしは、『彼ら』の様子を観察し、何が『彼ら』を苛立たせているのかを観察した。


 見ていると、『彼ら』は普通の外見をしているが、何だか目元やら口元が軽薄で、さっと滑らすように人に悪口を言い立てているように見える。

 無論、これはわたし個人が、そう受け取っただけの印象だ。

 わたしは顔に少しだけ彫りの深いところがあり、特定の語学だけは人並み以上にできるところがあった。

 読書も好きで、ブックカバーを自分で作っては、文庫本に付け、電車移動中には夢中になって読んでいた。


 わたしは、この国で『異人』なんだ。

 そう思い、わたしは悪口に無視を決め込んだ。

 しばらくすると、不思議と誰も何も言わなくなって言った。

 この国では、『異人』にはキツイ言葉を使わず、からかうようなこともしない。それが一種、美徳のようになっているからだ。


 歪んだ考えではあるが、わたしはこのことを発見したとき、胸がすくような思いだった。


 その後、しばらく経った後のことだった。

 ある朝、目を覚ますとインターホンの呼び出し音が鳴っている。

 うるさいな、と即座に思う。

 誰かに代わりに玄関へ行って相手をしてほしい、と思う。けれでも、わたしは一人暮らしだ。

 ベッドから這いずるように出てくると、インターホンへと向かった。


 モニターに映っているのは見知らぬ男だ。

 しかも、巧妙に顔が映らないよう、首から肩しかモニターに映していない。


 なおも、呼び出し音は鳴っている。

 わたしは胡乱げな表情を浮かべた後、インターホンのボタンを押して言った。

「何ですか」


 男は一瞬の間を置いて、こう言った。

「人を探しています」

 わたしは少し嫌な気持ちになった。

「人って――どんな人ですか」

「だから、人を探しています。ここの近くに、××さんという人、住んでいませんか」

「いえ、住んでいませんけど……」

 名前がよく聞き取れず、しかし自分の名前のようにも聞こえなかったため、わたしは即座に否定した。

「おかしいなぁ、嘘ついてないよね」

 それだけ言って、男は無言でモニターを離れ、立ち去った様子だった。

 わたしは盛大にため息をつきたくなった。


 その日一日は、休日とはいえ家から出なかったこともあって、何事もなく過ぎていった。

 だが、翌日の夜、わたしは大学から自宅に戻る途中、電車に乗っておかしなことに気がついた。乗り換えもあるのに、気づけば、ずっと同じ車両にいる男を目撃した。

 路線を乗り換えた後なのに周囲を見渡すと、その男が偶然、乗り合わせた同じ車両にいる。席に座らず吊革につかまったまま、じっとこちらを見ているのだ


 単なる偶然かもしれない。わたしは脳裏をよぎった可能性を、偶然の二文字で打ち消した。

 駅から降りる。

 自宅まで徒歩で十数分はかかる。

 夜道を歩いていると、何となく後ろから気配を感じる。


 わたしは細い道の曲がり角に行き当たると、さっと右手に折れ、自動販売機の影に隠れた。

 後ろから足音がやってくる。

 足音はどんどん近くなって、自動販売機のすぐ近くまでやってきた。

 わたしは隠れたまま、足音の持ち主の姿を食い入るように見つめる。


 足音が自動販売機のすぐ横にまでやってきた。

 言い知れぬ緊張感で胸が高鳴る。

 足音が自動販売機を通り過ぎる。

 見えた。一瞬だけではあるが、横顔が見えた。やっぱり、あの男だ。

 駅からずっと、わたしの後をつけてきたんだ。


 わたしは恐怖に身が凍える思いで、男が通り過ぎるのを待った。

 男が完全に通り過ぎて少し時間が経った後。

 わたしは急いで駅に引き返し、親に起きたことを携帯で伝え、交番で相談した。


 親には大分心配されたが、幸いにも、その日以来、男を見かけることはなくなった。

 それから、アパートから大学に通うときには、同じ路線に乗り合わせる友達を見つけ、一緒に帰るようになった。


 以降も、通りすがりに悪口を言われることもなくなった。

 けれども、言われた言葉が記憶から消せるわけでもない。

 後ほどニュースで話題にもなったことだが、ある女性ユーチューバーのファンが、本人ではない第三者につきまとい、逮捕された事件があった。

 女性ユーチューバーは素顔がバレないメイク動画やコスプレ動画を出しており、動画ごとに印象が全然違うところが大きな魅力と言われていた。

 事件が起きた後に、わたしも彼女の動画をいくつか再生してみた。


 動画を見て、わたしは、あっと声を上げそうになった。

 驚くことに、彼女の顔の一部分が、わたしとそっくりだったのだ。

 わたしの脳裏にある考えがひらめいた。


 だから、あの日、あの男は彼女を探していた。女性ユーチューバーは『わたし』であり、同一人物であるとの推測を元に、彼は部屋のボタンを押したのだ。

 それから、もう一つ。悪口についてだ。

 だから、わたしは悪口を言われていた。

 わたしの顔を通して、別人の顔を見ていた人達から。



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