第6話 敵意ある視線と予期せぬお花見

「ねぇ」


当たり前の話だが、入学式は特に何事もなく無事に終わった。


「ねぇってば」


校長の挨拶と生徒会長の挨拶。それと新入生の挨拶があったことは知っているが内容は覚えていない。


「ちょっと!」


挨拶をする人たちは事前に予行練習などを行い、緊張しながらも真剣にやっているのだろうが、聞いている側としては特に失敗などなければ内容なんて覚えていないもんだ。ソースは学生時代の俺。


「ねぇ、聞いてるの? 聞こえているわよね?」


ただし、目に見えて無関心だったのは俺だけらしく、他の生徒は生徒会長や新入生の総代となった女性に憧れのような視線を向けているように感じた。あくまで俺がそう感じただけで実際は違うかもしれないが、それが当たっていようと外れていようと特に何があるわけでもなし。


「え? 無視? 私、無視されてるの?」


結局のところ俺にはどうでもいいことだと割り切ることにしたわけだが、それが気に食わないってやつもいるようだ。


「聞こえてるんでしょ! 返事くらいしなさいよ!」


俺の目の前で騒いでいる少女もその一人なのだろう。きっと。多分。

外見的な特徴を上げれば、髪は茶髪で、セミロング。身長は150くらいだろうか。

じっくり見るわけにもいかないので詳細は不明だが、胸部装甲はそこそこありそう。あとはやや高めの声も特徴的だが、最大の特徴は目つきの悪さだな。


下から見上げている関係上睨みつけているように見えるのも影響しているだろうが、それでも目つきが悪い。


「いい加減にっ! きゃっ!」


観察していたら何やら攻撃されそうになったので、とりあえず内心で『足元がお留守ですよ』と告げながら足払いを仕掛けてみると、少女はあっさりとしりもちをついた。


いやはや、攻撃を仕掛けるその時が最大の隙とはよく言ったものだ。


「え? え?」


足払いを仕掛けられたことを自覚していないのか、呆然とする少女。


それも仕方あるまい。なにを隠そう前世の記憶持ちであるこの俺は、文字通り物心ついた瞬間から体を鍛えることの重要性を理解していたため、しっかりと体を鍛えていたのである。


さらに、元々家には両親の仕事に関係していたのだろう、機士に関する本が多々あったのも大きい。


その本を読めばどの本にも『機体を動かすためにはイメージが重要。生身で想像できないことは機士になってもできないので、機士を目指すのであれば武術や射撃術を身に着けるべし』なんてことがしつこいくらいに書かれていた上、応用のためだろうか? 機体に乗る前に習得を推奨されていた武術の教本が多数あったので、機士を目指してはいないものの、機体を操ることにはそれなりに興味があった当時の俺はそれらを習得するために色々と頑張ったのだ。


ガン〇ムとか戦闘機系ゲームでも平衡感覚やG耐性は重要だって言ってたしな。


……体を鍛える過程で必死になってゼットな戦士やら聖なる闘士やら死神やらの技を再現しようとしていたことは妹様だけが知る秘密である。


いや、男なら自分が転生したって知ったらやるだろ? 小宇宙とか目覚めたら勝ち組じゃん!(なお目覚めないと巻き添えで死ぬことになると思っていたので、修行自体は本気でやっていた)


閑話休題。


そんなこんなで必死になってトレーニングをした結果、この体のスペックが高いことも影響したのだろう。今では石を原子のレベルで砕くような真似はできないものの、それなりの技術と身体能力を得ているのだ。


故に、今の俺が持つ力を十全に使えば、足元に注意を払わずに吠える少女の足を掬うことなど容易きこと春の夜の夢の如しなのである。


「な、なにが?」


少女は今も何があったか理解できておらず、腰を落としたまま狼狽している。隙だらけな少女に対し、某暗殺者風に「他愛ない」と煽ろうとしたときのこと。


俺は沙羅双樹の花を連想させる鮮やかな白が丸見えになっていることに気が付いてしまった。


「ふむ」


白い。体勢と位置の関係上、不可抗力、あくまで不可抗力で見えてしまった花の色は確かに白かった。


……ここで年頃の少年であれば何らかの行動を起こすのだろう。だがこの俺は違う。


ガワはともかくとしても、中身はいい歳した紳士なのだ。加えて今の俺は妹がいる身であり、洗濯だってしている関係上、女子の下着なんざ見飽きている。


だというのに今更女子の下着が見えたところでなんだというのか。


いや、さすがにちょっとは興味あるけど、それでも目の前に突如として現れたこの花を凝視した結果自分に何が齎されるかを考えれば、俺が取るべき行動は決まっている。


「……」


川上啓太はクールに去るんだぜ!


「ちょ! 待ちなさいよ!」


なんか言ってるが知らん! 俺はクールに去るんだぜ!


―――


「……巡嗣、見えたか?」

「いや。見えなかった。一成は?」

「俺もだ。だが彼女が勝手にこけた、わけではないだろうな」

「そうだろうな。足をかけたようには見えなかったから、おそらく呼吸か何かを利用した技術でバランスを崩したんじゃないか?」

「達人か」

「可能性がないとは言い切れんだろ」

「そりゃそうだが……」


入学式の後、早速観察しようとした相手が絡まれていたことを知った一成は(何かあったら介入して恩を売るか?)などと考え、同級生であり同じ派閥に属する福原巡嗣と共にその様子を伺っていたのだが、その結果が目の前のこれだ。少し離れたところから見ていた二人から見ても啓太が何かをしたようには見えなかったが、間違いなく何かをしたというのはわかっている。


「もうっ! 一体なんだってのよ!」


素早く立ち去った川上啓太に対し座ったまま声を荒げる少女。彼女の名は、今年第四席として入学した才媛、五十谷翔子。啓太がいなければ三席として入学していたであろう彼女にとって、啓太は明確な敵であり競争相手である。


さらに彼女の実家が所属する派閥は主に近畿地方を守護する第六師団閥だ。彼らが九州やお隣の中国地方で防衛戦を展開している第二師団の動向に興味がないわけがない。


そういった諸々の事情から、彼女は第二師団の関係者と思しき川上啓太にちょっかいをかけることにしたのだろう。


そこで問題になるのが先ほどの一幕だ。第六師団の面目を背負って入学してきたのだから、当然彼女は優秀な人材なのだろう。4席として入学してきたことからもそれはわかる。だがその彼女を軽くあしらった川上啓太とは何者なのか。それがわからない。


「接触は控えるべき、だろうな」

「そうだな。何をしたかはわからん以上、警戒は必要だ。特に一成は第七師団を背負っているんだ。こんなところで怪我でもされたら困る」

「それはお前もだろうに」

「優先順位の問題だ」

「……面倒な」

「文句は第三師団に言え」

「散々言ったさ」


巡嗣が言うように、主席を逃したものの次席での入学を決めた一成に対する周囲の期待は大きい。例年であればここまでのことはなかったが、今年は違う。


その理由が、インパールにおける第三師団の壊滅である。


それが何故第七師団閥に所属する一成に関係してくるのかというと、これから数年の間にそれぞれの派閥がどれだけの士官を出せるかが師団同士の権力争いに直結していると見られているからだ。


もう少し細かく説明しよう。


まず、大前提として国防軍には大きくわけて九つの師団が存在する。

その管轄は以下の通り。


まず第一師団。管轄は関東。主な任務は首都の防衛。


次いで第二師団。管轄は九州・中国地方。現在は大陸側から侵攻してくる魔族との戦闘における主戦場を担当しているため、予算が多めに回されている。


第三師団の管轄は、本来は中部地方を管轄し、首都や近畿で何かあったときにバックアップできるよう備えていたが、遠征軍の主力として出征。今は壊滅して再建が急がれている。


第四師団の管轄は、本来中国地方であったが、それを第二師団に回して遠征軍として出征し、現在はベトナムあたりで戦っている。


第五師団の管轄は北海道であったが、こちらも第七師団に回して遠征軍として出征。現在はタイあたりで戦っている。


第六師団の管轄は近畿地方。現在のところは第二師団の後方支援部隊のような役割を担いつつ、中国地方からあぶれた魔物などの討伐を行っている。


第七師団の管轄は東北・北海道で主にロシア経由で迂回作戦を取ってくる魔物と戦っている。


第八師団の管轄は四国。現在のところは第六師団と同じように第二師団の後方支援部隊のような役割を担っている。


第九師団の管轄は中部・北陸地方。首都や近畿のバックアップはもちろん、第七師団と同じように迂回作戦を取ってくる魔物を主敵としているが、今のところそれほど活躍できる場はない。


各師団の管轄と状況はこのような状態となっている。


上記を見ればわかるように、現状で比較的余裕があるのが第一、第六、第七、第八、第九の5師団だ。首都防衛を担う第一師団は別格扱いなので、残る4つの師団が第三師団に対する影響力を高めようとしている最中である。


第三師団はどうかというと。インパールで大量の将官が失われたものの、家族や親類縁者は残っているので、彼らを使えば第三師団を復活させることもそう難しいことではないと思われている。


だが、第三師団の関係者だけを後釜に添えると『少しでも早い汚名返上を!』と、武功を焦る師団ができかねない。


功を焦るとわかっている人間を上級士官に任命するほど軍という組織は甘くない――これまでは身内を贔屓する程度の甘さがあったが、今後必要以上に甘やかして失敗してしまった場合、その責任が自分にもくるので必然的に戒められている――ため、ストッパーの役割をもった士官が必要になるのだが、これからどこが戦場になるかわからないというのが現状である以上、それぞれの師団には他の師団に人員を送り出せるほど余裕があるわけではない。


そこで目をつけられたのがこれから軍学校を卒業する生徒たちだ。彼ら彼女らを最先任士官として送り込むことができれば、第三師団内における影響力を増すことができるのではないか? そう考えられているのである。


事実、現場で戦う士官が他の派閥で占められてしまえば第三師団閥は派閥として崩壊してしまうし、逆に第三師団閥の関係者が現場士官を用意できれば第三師団閥は維持できることになる。


こういった理由があるからこそ、第七師団に所属する一成や巡嗣。第六師団に所属する五十谷翔子にとって学内での序列とは啓太が思っている以上に重いのだ。


実質的な主席である啓太を警戒し、探ろうとするのもそこにある。


(尤も、一番焦ってるのは第三師団の関係者だがな)


今年Aクラスに入った生徒のうち、3人が第三師団閥の生徒だ。


具体的には主席と5席と9席がそれにあたる。


これは牟呂口大将を筆頭に多くの士官が死に、多くの参謀らが失職した彼ら彼女らにとって、自派閥から士官を排出することが至上命題となったからである。


だが軍によって暴走しないよう監視されている中で、武功を立てる機会を得るというのはかなり難しい。というか不可能だ。


しかしそんな状況の彼ら彼女らにも一つだけ武功を立てる機会があった。


それが機士となって戦場で活躍することだ。


本来であれば、士官とは兵を指揮する者であって自らが戦う者ではないのだから、戦働きで戦場での武功を求めるというのは士官としてふさわしくない行為と見做される。


しかし『戦場に於いて自らが戦わぬ者に兵が付き従うことはない』という古来からの常識もまた事実。


故に現在の第三師団の関係者は『まず尉官にして戦場に出て武功を上げることを第一とし、その間に佐官や将官の教育を行う』という方針を掲げている。


よって本来であれば軍学校ではなく、貴族や華族と呼ばれるような家柄の者たちが通う煌びやかな学校に行く予定だった派閥のお嬢様も今年は軍学校に入学することになってしまったという。


それが今年、主席として入学し新入生総代となった武藤沙織であった。


(どれだけ優雅を気取ろうと所詮は軍閥。軍事的な失態を犯してしまえば叩き落されるのが常ってな。くわばらくわばら)


「一成?」


「……あぁ、すまん。考えごとをしていた」


彼女も哀れといえば哀れだが、実力で主席どころか次席さえ取れなかった一成に他人を心配する余裕はない。


(川上啓太に接触するもあっさりと放置された五十谷翔子。一族のために戦働きを強要されている武藤沙織。両者の現状を対岸の火事として見て愉悦に浸るか、はたまた他山の石として己を戒めるものとするか。己の将来はここで決まると思え!)


無論、一成の選択は後者である。そもそも全力を以てあたったはずの入試の成績は主席ではなく次席、それも派閥の力で得た席だ。


そんなものを『どのようにして得たものであっても次席は次席だ』などと誇れるほど一成は達観していない。


「まったくもう。調子が狂うわ」


己を戒める一成の視線の先には、立ち上がりはしたもののいまだに納得のいかない顔をしている五十谷翔子の姿があった。


――幸か不幸か、一成と巡嗣からは啓太が見た白い花は見えなかったとだけ記しておこう。

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