第5話 平安京遷都のフィクサーと伏見稲荷大社の関係

遷都(せんと)は、現代でいえば首都移転です。天皇が引っ越して、住まいである御所を建てれば、遷都できるわけではありません。朝廷の機能を移転し、貴族や役人だけでなく、都に住む多くの人たちが生活できるインフラの整備も必要です。


そのため、遷都の最大のネックは資金といえます。この時代、短期間に遷都を何度も繰り返しているため、簡単に遷都できるようなイメージがありますが、そんなことはありません。


平安京への遷都には、あるスポンサーが存在したといわれています。ここからは平安京遷都の背景について解説していきます。


平安京への遷都を可能にしたスポンサーが「秦氏」といわれています。秦氏の本拠地は、山背国葛野郡(かどのぐん)太秦(うずまさ)(現在の京都市右京区太秦)とされていますが、それ以外にも紀伊郡(現在の京都市伏見区深草)や全国各地に、技術を伝えながら土着していったようです。


「日本書紀」では、応神天皇14年(283年)に百済より百二十県の人を率いて帰化したと記される弓月君を秦氏の祖としています。つまり「秦氏」は渡来人であり、応神天皇とのつながりもあったと考えられます。


「秦氏」がスポンサーとなって資金を提供し、「秦氏」の本拠地に都を遷して、天皇や朝廷とのつながりを強化することは、当然「秦氏」にとって大きなメリットがあったのです。


「秦氏(葛野秦氏)」の氏神が「松尾大社」であることは有名ですが、実は「伏見稲荷大社」も「秦氏(深草秦氏)」の氏神であり、創建にも深く関わっています。そして、「稲荷神社」が全国に信仰を拡大させていった背景には、この時代のスーパースターとのつながりがありました。


奈良の仏教勢力の影響力を排除しようとした朝廷は、新時代のスーパースターともいえる二人と手を組みました。その二人とは唐に留学して「密教」を伝えた「伝教大師(最澄)」と「弘法大師(空海)」です。


最澄が開いた天台宗の総本山「比叡山延暦寺」は、平安京の北東(現在の滋賀県大津市坂本)に位置し、鬼門を守る重要な役割を担っています。創建は788年で、平安京遷都の前に一時的に、長岡京に都が置かれた時代のことです。


平安京遷都後の796年に東寺(教王護国寺)が官立寺院として創建、823年に空海に下賜され、真言密教の根本道場となりました。


最澄は朝廷のバックアップのある公費留学でしたが、空海は朝廷のバックアップのない私費留学でした。当初、朝廷は最澄に期待していたようですが、空海の実力を認めざるを得なかったようです。東寺が創建から27年後に空海に与えられ、空海と朝廷との関係は、最澄と同等になったといえます。


そして、東寺の鎮守神となったのが「稲荷大神(伏見稲荷大社)」です。「秦氏(深草秦氏)」の氏神が真言密教と結び付くことで、稲荷信仰を全国に拡大していきます。


渡来人である「秦氏(深草秦氏)」の氏神である「稲荷大神」とは五柱の神々の総称とされます。


五柱の神々とは「宇迦之御魂大神(うかのみたまのおおかみ)」「佐田彦大神(さたひこのおおかみ)」「大宮能売大神(おおみやのめのおおかみ)」「田中大神(たなかのおおかみ)」「四大神(しのおおかみ)」です。


秦氏の神様の祀り方として、複数の神々を総称で祀るようです。これは「八幡神(やはたのかみ)」でも同様です。


全国の神社数のランキングでは、もっとも多い神社は「八幡信仰」で、二位が「伊勢信仰」、三位が「天神信仰」、四位が「稲荷信仰」です。


「伊勢信仰」は「天照大神」を祀る神社で、「天神信仰」は「菅原道真公」を祀る神社です。しかし、「八幡信仰」と「稲荷信仰」は複数の神々の総称なのです。


複数の神々の総称にすることで、参拝する人のそれぞれが思い描く神様を拝むことになります。神話や歴史に詳しくない人は、五穀豊穣などのご利益を目的とした信仰になるため、より一層、神様の正体を隠すことに都合が良かったといえます。


「稲荷大神」の正体として、よくいわれるのが「キリスト教」とのつながりです。イエス・キリストが磔(はりつけ)刑にされた十字架の上に「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」と書かれていたようです。


ラテン語では「IESVS NAZARENVS REX IVDAEORVM」と表記します。この四つの単語の頭文字を並べた「INRI」が「キリスト教」を示しており、「INARI」と略すこともできるため、「稲荷大神」の正体は「イエス・キリスト」であるという説があります。


日本人には「稲荷大神」とは五柱の神々の総称、または五穀豊穣の神であると説明し、秦氏の一族は自分たちが信仰する神の布教のために、稲荷信仰として全国展開したのかもしれません。


その後、仏教の「荼枳尼天(だきにてん)」とも習合し、豊川稲荷(愛知県豊川市)や最上稲荷(岡山市)は明治維新の神仏分離後も、仏教寺院として存続し、「稲荷大神」は神様ではなく仏様として信仰されています。


日本人の気質として、良いものは受け入れて、新しい文化として取り入れます。現代のハロウィンを楽しむ日本人を見れば、よく分かるでしょう。


かつては神仏習合で、神様も仏様も一緒に祀るのが当たり前でした。日本人は協調性を重んじ、自己主張をしない国民性とよくいわれますが、そのお陰で宗教の対立がない、平和な文化を形成しています。


生まれたときには神社に初宮参り、結婚式はチャペルで行い、亡くなったら仏式で見送るという、ごちゃ混ぜの宗教観は日本人らしさを表しているのかもしれません。


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