25話、初めての夜営、そして…

「では僕が見張りを引き受けますから、マリアンヌさんは先に寝てください」

「良いの?」

「ええ、どうぞ」

「わかったわミゲル君、よろしくお願いね」


 天幕の白い布地が焚き火の灯りに照らされて、影がゆらりと映りこむ。

 その影は美しい曲線を随所に描いており、間もなく天幕へ訪れる者が誰なのかを暗に示していた。

 もしかしてマリーさん?

 まさか、ここに?

 そういえば、天幕ってひとつしかなかったような……。

 つい先ほど、恥ずかしい台詞にいたたまれなくなった俺は、逃げるように天幕へと飛び込みココで一人、骨を休めていたところだったのだ。

 ど、どどどど、どうしよう。


 マリーさんであろう影が段々と濃くなり、いよいよ天幕へと近づいたとき。

 その影は動きをピタリと止め、振り返る動作を見せた。

「ミゲル君?」

「どうしました? マリアンヌさん」

「黒いオーガを倒すのが目的なんだから、無理して起きちゃダメよ? 2~3時間を目途に代わりましょう」

「わかりました。その時はすみませんが起こしますね」

「あ、次は僕が変わるよ。ミゲルさん」

 慌てて天幕から首だけを出し、会話に混ざる俺。

 こういうのは皆で分担し合わないといけない。寝たふりなんて出来ないよな。

 

「じゃあ、明日の為に寝ましょうか」

「そ、そうですね」

 天幕の中、向かい合うように2人は座ると、なぜか正座になってしまう俺がいた。

 べ、別に何かを期待している訳じゃあないぞ?

 ミゲルさんの為にも、出来るだけ早く寝なくちゃいけないし!

 

「フェリ君、おやすみなさい」

「お、おやすみなさい、マリーさん」

 何かがある筈も無く、何かがあってもいけない2人。

 ただ、俺の自意識と期待が過剰に、猛烈に反応しただけのことさ。

 初めての修学旅行で、「先生にバレちゃう、ごめんね」と、見知った女子が突然布団に潜り込んできたような感覚だと思って欲しい。

 ドキドキするだろ?

 え? しない? そうか、君は枯れてしまったのだな……。

 

 互いにおやすみを告げ、同じ方向へ足を向けて寝転がる。

 冒険の旅でよく使われる、持ち運べる程度の天幕だ。大きいわけが無かった。

 必然的に2人の距離は近くなる。

  

 スゥ……、スゥ……。

 僅かしか経っていないのに、マリーさんから微かな寝息が聞こえてきた。

 さすが元冒険者だよ。天幕で寝るのも慣れたものなんだろうな。

 素直に感心したし、こんな事すら自分はまだまだなんだとも実感したよ。

 マリーさんすごいや。

 ただ、それだけの思いで彼女へと視線を移す。


 夜の帳の中、天幕を仄かに照らすは焚火の灯り。炎の揺らぎに合わせるように、天幕を照らす僅かな灯りも揺れていて、暗闇の中マリアンヌさんのシルエットが浮かび上がっては消えていく。

 揺れる微かな炎は彼女の輪郭をなぞるように、時おり長いまつげや高い鼻筋に美しい双丘を照らしていて俺は思わず息を呑んでしまう。


 呼吸に合わせて、緩やかに上下しているたわわさん。

 こんばんはたわわさん、昨日ぶりですね。


 そこにあれば見てしまう。

 ましてや、炎に揺らされ幻想的に映るとあれば尚更じゃないか。

 あの想像を掻き立てるもヨクナイ。

 散々見ておいて何だけどさ……つい見て、いや結構ガッツリ見てしまったけれど、堂々とそこに有れば意外とどうでもよかったりするんだよなぁ、これが。

 仲良くなってはいけないたわわさんに別れを告げ、天幕の天井へと視線を移す。


 そういえば……、アンリエッタさんが帰ってきたらさ。

 ココで一緒に寝る日が来るのだろうか?

 焚火を囲って、彼女の美しい顔を見ながら会話したり出来るのかな……。

 あれ? アンリエッタさんの作った料理って食べた事あったっけ?

 きっと美味しいのだろう、なんせパーフェクツなエルフだからな。


 あともう少しだ、黒いオーガさえ倒すことが出来れば彼女と再び会える。

 いつしか俺の心は幸せで一杯になっていた。

 おやすみ……ア……ンリエッタ……さん。


「ふわぁ」

「んんっ、もう朝か……」

「あ、おはようございます」

 天幕の薄い布地から朝の光が透けて、辺りを柔らかく照らしている。

 耳を澄ませば、鳥たちが楽し気にさえずり朝の到来を告げていた。

 俺の人生初の『朝チュン』相手はミゲルさんだったか……。

 うーん、なんとも俺らしいではないか。はははは。


 朝共に起きたって意味だからな?

 そこは間違えないように、いいね?

 

 天幕から出ると朝の澄んだ空気が頬を撫でて、何とも清々しい。

「おはようフェリ君。よく眠れた?」

「マリーさん、おはようございます。堅い所で寝るのがまだ慣れなくて……」

「わかるわぁ、でも少しづつ慣れていかないとね」

 そう言って、木々の隙間から朝日が差すなか素敵な笑顔を浮かべていた。

 

「あれ? 僕の盾の色が……、少し黒くなってる?」

「ああ、ミゲルさん。夜中に暇だったので魔力で少し強化しておきました」

 ミゲルさんはゴンゴンと拳で軽く叩いて、盾の感触を確かめている。

「強度がかなり上がってるはずです」

「へぇ……、君はこんな事も出来るんだね。すごいよ、ありがとう」

「黒いオーガの攻撃は強烈でしょうからね、少しでも」

「た、確かに、有難く使わせてもらうよ」

「私も、フェリ君に弄られてしまったのよ」

「それ弓でしょ! もう、マリーさん。朝から変な事言うのは辞めてください」

「あはは」「ふふふ」

 今日は決戦の日になるだろう。

 誰かが欠ける。そんな事はありえない。

 でも、そんな事が起こりえるのが俺達冒険者なんだ。だから飲めるときは大いに飲み、笑う時は大いに笑う。今を一生懸命生きているんだ。

 最近少しだけ、冒険者の事がわかって来た気がするよ。

 

 ◇◇

 

 鬱蒼と茂る大森林を直上に差す陽の下、俺は黒いオーガを睨みつけていた。

 その巨躯はまるで山のようでいて、全身は不自然なほど限りなく黒い。

 真っ黒な出で立ちに双眸だけが怪しく赤く光り、明らかに異質で異様な、およそ自然が創りたもうモノとは思えない奴らがそこにいたからだ。


 愛刀が、いつになく日を反射して鋭く光り輝いている。

『フェリクス、俺が傍にいるぞ、負けるな』と父がここにいて。

『貴方ならきっと大丈夫。がんばれ私の宝物』とでも言うように、俺の命を助けてくれたあの黒い布は今や形を変え、俺の左腕に巻かれて風になびく。あの長く美しい黒髪が風に揺れて波打つように、揺れていた。

 俺はいつだって見守られてきた。

 そして今、傍らには弓を構えたマリーさんと、盾を構えたミゲルさんが立っている。父さんとアンリエッタさんを失って得た、新しい大事な仲間だ。

 

「悪いなお前ら、今日は1人じゃないんだ。

 俺には頼れる仲間がいる。今日がお前らの命日だ」

 ガアアァ、俺の言葉に答えるかのように唸り声をあげる仇。

 段々と唸り声は大きくなり、大地を、木々を震わせていく。

 その様相が、もう間もなくここで殺し合いが始まる事を告げていた。

 

「ミゲルさん、片腕の奴をお願いします。僕はもう1匹をッ」

「任せてくれ」

「マリーさんは、ミゲルさんをフォローしてあげてください」

「わかったわ、フェリ君無茶してはダメよ、いい?」

「ええ、いつか約束しましたからね」

「そうよ、ふふ」

 

「行くぞ!」

 フェリクスが力強く叫ぶと、マリアンヌとミゲルもそれに応じて動き出す。

 フェリクスは万感の思いと共に、地を強く蹴り、飛び出した。

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