21話、現世と隠世

 何もない無。

 ただ延々と砂利が敷き詰められた地を一人歩く。

 気が付けば水の無い河原にぽつんとただ一人立っていたんだ。

 

 本当に何もない。

 ここは現世うつしよにあらず、俗にいう隠世かくりよという世界なのだろう。

 それだけは、なぜかわかってしまう。

 

 賽の河原という方が一般的かもしれないな。

 肉体と魂が分離された世界では、ありとあらゆる感情が希薄だった。

 睡眠欲も、食欲も、性欲すらも薄れゆく世界でただ一人。

 今はもう自分が誰なのかすらよくわからない。それが気にもならないんだ。


 誰に命じられるでもなく。

 誰に頼まれた訳でもなく。

 道なき地を行く。

 水の無い河原に砂利のみが広がる世界で、気がつけば霧が出ていた。

 辺りはぼんやりとして、もう周りがよく見えない。

 少しづつ少しづつ霧が濃くなり、前すらも見えなくなってくる。

 それでも歩いた。

 まるでそれが使命か何かのように、黙々と。


 チリッ、チリッ

 時おりノイズのように現れる画像。

 黒い髪の美しい女性が笑う画像。

 うつく、しいのか?

 全てが希薄なこの世界では、美醜もまるで意味をなさない。

 性別すらもう興味はない。

 

 隠世かくりよに身を置く俺に、それ以上は進むな。

 と訴えるかのように、まるで警告するかの如く痛みを増していく胸の傷。

 何も無い世界で突如訪れた強い痛みファントムペイン

 胸元へ視線を移すと、なぜか黒い布が幾重にも巻かれていた。


「黒い布?」

 肉体からの訴えが、信号が、離れつつあった魂と肉体を結び付けようとする。

 ドクン、ドクン

 無音だった世界に命の律動が響き渡る。

 チリッ、チリリッ

 時おりノイズのように現れる女性が泣いていた。

 泣いて、いる?


 彼女を知っている気がする。

 忘れてはいけなかった……気がする。

 もう決して……、泣かせな、いと、誓わなかったか?


「ア、ア……

 アンリ、エッタ……

 さ……ん?」


 何かが大きく弾け、そして新たに繋がった気がした。


 その繋がりを皮切りに、アンリエッタさんや父さんに母さん。

 ベルガーさんにミゲル、マリーさんまでも、お世話になった沢山の人たちが浮かび、住んでいた家や訓練に明け暮れたあの庭の景色、数々の想い出や情景が胸に蘇って行く。

 胸が、胸が痛いほどに暖かいよ。

 

 今まで歩いてきた道のりが、まるで逆再生されていくかのように巻き戻り始めた。

 自分が立っていた、あの始まりの1歩であった場所すらも超えて戻っていく。

 隠世かくりよが去り、いつしか周りが暗闇に包まれたころ、俺は俺という戻ることが出来たのだと思う。


「はっ!? い、生きてる?」

 きょろきょろと周りを見渡し、目に映る景色に安堵する。

 ここは必死になってたどり着いた岩の窪みだった。

 何の想い入れも無いクソみたいなこの景色も、と知ると感慨深いものがある。


「はは、助かったのか……」

 助かった歓びに歓喜の声を上げようとした瞬間、胸から激痛が走った。

「ぐあ、痛ッ……」

 いてぇ、まぢでいてぇ。

 誰か、俺にフェンタニルを! 

 この際ロキソニ〇やボルタレ〇でもいい。

 アパーム! ヤク! ヤク持ってこいアパーム!


 馬鹿な事を言ってる場合じゃないな。

 よくよく考えると、あの大戦斧で胸を抉られてるんだ。

 魔力で無理やり傷を埋め止血したけど、肋骨が何本も切断されてるはずなんだよ。

 そりゃ痛いわな。

 

 体中に神経を張り巡らせ、魔力を確かめてみた。

 ある。間違いなく戻っている。

 深奥に感じる力の源泉。

 まだ万全とは言えないが、俺の肉体に魔力が戻っていたのだ。

 

 脳内に鮮明な骨格標本を想い浮かべ、胸骨、右肋骨部へとフォーカスしていく。

 砕け折れ、切断された骨が繋ぎ合わさり、修復されるイメージを練り上げる。

「ーバインナート骨よ接合せよー」

 神々しいまでの淡い輝きに俺の上半身が包まれた。

 ふぅ、なんだか気持ちいい。


 魔力が消費尽くされ、神々しいまでの輝きが失われてしまうと、聖なる岩窪はただの暗くて陰湿でクソな窪みに成り下がる。

 痛みはかなり軽減されたが、1度では接合しきれないかもしれない。

 かなり大きな創部だったから、念のためもう1発いっておくか……。


「ーバインナート骨よ接合せよー」

 2度目の ー骨接合ーバインナート を唱えた。

 そして恐る恐る慎重に、胸をトントンと叩いてみる。

「い、痛くない?」

 骨格に軽く衝撃を与えて、試してみるが痛みはない。

 骨は全てくっついたようだった。

「やった! やったぞ!」

 あとは外傷だけだな。

 生きて帰れるかと思うと、最高に気分がいい。

 朝日に照らされた、新緑の深き緑が美しいと感じるほどに良い気分だった。


 ーインターヴェンション強化再生魔法ー 

 これは今までで一番お世話になった、俺の自慢の治癒魔法の一つだ。

 ただこいつは、肉体の強化に主眼を置いた魔法なんだよな。だから治癒魔法と言うよりは、どちらかというと強化再生魔法と呼んだ方がしっくり来る。

 

 ーファストヒール速攻治癒

 アンリエッタさんからヒール治癒を習った際に即席で作った魔法がこれ。

 ファストヒール速攻治癒 と言えば、アンリエッタさんとクルクル魔法だな、うむ。

 クルクルのお陰で一番感慨深い、俺の大好きな魔法ザ・1位!

 もうクルクル魔法でいいや。

 え? ダサすぎる? むぅ、面倒くさいなお前らは。


 効果自体は至ってシンプルで、浅い傷の修復と止血をメインに考えた魔法なんだ。

 だから今回の深く、範囲が広い創部には向いていなかったかもしれない。

 今後の為にも違う治癒魔法が欲しい。

 

 より治癒と復元に特化した魔法が欲しい。


 ファストヒール速攻治癒よりも深部へ意識を飛ばし、組織の修復を図った魔法。そうだな、あの岩窪の神々しいまでの輝きにちなんでこう命じて見るか。

「ーホーリーヒール神聖治療ー」

 俺の上半身が再び淡く煌めき、創部が癒されていく。

 痛みが引いていくさまで、その効果の程がはっきりとわかった。

 治っていると実感する事ができたんだ。


 夜中にひっくり返した収納袋の中身を元通りに収め、俺は起ちあがる。

 さて、帰るにはいいが……あの地獄の饗宴? 百鬼夜攻ならぬ、死の行進デス・パレードで無数に倒した魔物の魔石はどうしようか……。

 少しでも金がいるこの状況で、あれを捨てていくのは余りに惜しい。

 ただなぁ、闇雲に駆けたからもう場所が分からないんだよなぁ……。

 それに奴がいる可能性だってある。

 不意さえ突かれなければ勝っていたとは思うが、今はまだベストな状態には程遠い、出来れば会いたくない。

 なにせ魔力が心元ないからなぁ。

 

 くっそぅ。

 人とは困ったもので、死に直面している際は平気で捨てれた物が、快癒すると途端に惜しくなる。自分の俗物的思考に改めて生を実感するフェリクスであった。


 ◇◇


 カッ、カッ、カッ

 使い古された石畳を、靴底を鳴らして歩いている。

 ここはリヨンの中でも、端に位置するひなびた一角だった。

 手紙によると、どうやらこの辺りに彼の家があるらしいのだ。

 

 何とか命をつなぎ留める事に成功した俺は、昨晩リヨンの街へ戻ることが出来たんだけど、着いてそうそうマリーさんに泣かれてしまったよ。

 一週間近く戻らない俺に、周りは死んだと思っていたらしい。

 マリーさんは必死にギルドを説得して、捜索隊を出すよう頼んでくれたそうなんだが、新人で冒険者になったばかりの俺を捜索なぞしてくれる訳もない。


 『こんなクソギルド辞めてやるわよっ!』と明日の朝一番で職を辞し、俺を探す気でいたらしいんだ。

 今世は本当に人に恵まれている。

 異世界と2人の女性に感謝したい。


 さて、何故こんな所を歩いているかと言うとだね。

 俺が戻らない間に、人が何度か尋ねてくれたそうなんだ。

 体の不自由を押して何度も尋ねるその姿に、気の毒に思ったマリーさんが戻ったら必ず渡すと約束をして、手紙を預かってくれていたんだよ。

 

 急いで金策を続けねばならない。

 正直こんな事してる場合じゃないとは思ったけどさ、泣いてまで心配してくれたマリーさんだ。そんなマリーさんが職を辞してまで俺を探そうとしてくれたんだぞ?

 そんな彼女が預かった手紙を、無碍には出来ないだろ……。

 クシャっと丸めて捨てたかったけど、うん出来ない、俺には無理だ。


 ただ、渋々中を開いて読んでみると差出人に驚いたよ。

 なんと、あのミゲルさんだったんだぜ?


「お、ここかな?」

 ふーむ、騎士? 騎士見習い? にしては家がボロくないかな?

 倹約家なのかなぁ、特別そんな風には感じなかったけど。


 コンコン

「……はい」

 ぼそっと聞こえる小さい返事。

「ミゲルさん? フェリクスです」

「! すまない、そのまま開けて入ってくれないか?」


 扉を開けて中へ入ると、ミゲルさんはベッドから丁度起き上がろうと身を起こしていたところだった。

「わざわざ、すまない」

「いえ……、どうされたんですか?」

「僕は君に謝らなければならない。そして恥を忍んで頼みたい事があるんだ」

「謝る? なにをです?」

 

 ミゲルさんは杖を片手に立ち上がり、必死に体を曲げ謝ろうとしている。

 右腕は利かず、左足も動かないようだった。曲がらない体を必死に曲げようと体の色々な箇所がプルプルと震えていた。

 なぜこんな姿に?

 一体なにがあったらこうなるんだ? ま、まさか。


「君の父上、そうアドリアンさんと僕はあの夜一緒に戦っていたんだ」

「黒いオーガと!?」

「あぁ、そうだ。忌まわしき、あの黒い奴だ」


「村の療養所になっていた建物を守るために、必死に抗ったけど奴は強すぎたんだ。僕は重傷を負ってしまい、アドリアンさんを一人で戦わせてしまった。あんな事になってしまうなんて……、本当にすまない」

「──心の底から君に謝罪したい」

 この話は、ベルガーさんが我が家を訪ねて来たあの日、父が亡くなった経緯と共に説明を受けたから知っていた。父を失った嘆きは未だ癒えず、到底『わかった』と許せるような軽い話ではないけれど、少なくとも彼のせいじゃない。

 

「……ミゲルさん失礼ですが、貴方が戦えた所で結果は変わらなかったと思います。亡くなった者が1人から2人に増えるだけでは?」


「そ、それは、そうかもしれないが……」

「父さんが亡くなった事は許せないけど、それは貴方のせいではありません。生き残れたことに感謝してくれれば、それでいいです」


「しかし……」


「僕もつい先日、あいつと戦いました」

「な!? 君も?」

「結構強くなったつもりでしたが、勝てませんでしたから」

「君ですら勝てないと言うのか? 私を一撃で倒した君ですら……」


「勝てそうだったんですけどね、奴は一体じゃなかったんです」

「そ、そんなバカな、黒いオーガは何体もいると言うのか!?」

 ミゲルさんは驚きの余り体をぶるぶると震わせていた。


「だから、生き残った事に感謝してください」

「くっ、だけど、だけど……」

「父が亡くなったのは、誰のせいでもありません」


「それでも、すまない」

「──本当に申し訳ない、くっ」


 ミゲルさんの頬を雫が伝い、床を濡らしていた。

 人は弱い生き物だ。

 誰かに許して貰わねば辛くて生きていけない時もある。


 俺は許さねばならない、彼を……。

 それこそが俺を受入れ、救ってくれた。

 温かいこの世界への、たった一つの恩返しだろうと思うから。

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