第5話 深夜配車

 夜勤務として夜間に営業出来るのは実績売り上げが月に30万円以上である事が必須条件となっている。会社としては稼ぎの少ない甲斐性なしのドライバーを夜の街で営業させるなど無駄遣いの何物でもない。

拠って稼ぎの多い西村は夜勤務メンバーの一人だ。


 夜勤務は1日出勤して1日休む隔日勤務、17:30〜2:30までが稼働時間、1時間休憩の8時間勤務が原則となっている。しかしタクシー業務はいつ何処で長距離の客が手を挙げるか分からない水商売なので1時間丸々休憩を取るドライバーは殆ど居ない。それでも9時間連続しての運転は体力気力とも長続きせず事故の原因にもなる。疲れた時は北陸新幹線やサンダーバードがに到着する金沢駅のタクシープールでのんびり30分ほど順番を待つのが一番効率が良い。


 月曜日は観光から帰る一般客も出張の戻りのサラリーマンも陰を潜める、1週間で一番暇な夜でタクシープールの動きは鈍かった。

 自社、他社の多数のタクシーが行燈ルーフ上のランプだけを点けて客に呼ばれる順番を待つ、黒い池に色とりどりの蛍が飛び交うそんな蒸し暑い夏の夜の事だ。





 突然、ピーピーピーピーと無線が入り、タクシーのシートを目一杯倒して仮眠していた西村を叩き起こした。本社配車センターのパソコンからは西村の車が金沢駅でを取っている事は一目瞭然。配車が掛かる事は有り得ない。手を伸ばして無線機のボタンを押す。



「106号車、どうぞ」

「西村さん、寝てるところ悪いんだけど配車お願い出来ないかな?」

「何よ、俺いま、駅に居るんだけど」

「それは承知の上でお願いしてるんだよ」



 面倒臭いとシートを戻して確認すると、その列から抜けるには前に3台の他社のタクシーが並んでいる。



「駄目だわ、こりゃ出れねぇ。前、3台も居るわ」

「そこを何とか」

「何とか出来たら警察いらねぇんだよ」



 見回すと隣の列の先頭に仲間のタクシーの行燈が見えた。



「112号車が先頭にいるぜ。うち北陸交通をご指名ならそいつでも良いだろ、そいつに回せよ」

「太田さんじゃ駄目なんだよ」



 西村は頭を掻いて車外に出ると伸びをしながら無線のボタンを押し直した。腰がポキポキと鳴り、むくんだ脚、脛を軽くマッサージする。



「誰だよ、俺がご指名ならこっち携帯に連絡来るだろ?」

「・・・・・金魚なんだよ」

「はぁ!?何で?」

「知らんよ」



 最終の23:21”北陸新幹線はくたか”が到着したらしく何人かの客がタクシー乗り場で順番待ちをしている、色とりどりの蛍が動き出した。駅のドアマンに頼んで前2列に退いて貰えばこの黒い沼から出る事も可能だ。



「106号車どうぞ」

「はい、106号車どうぞ」

「出られそうだわ」

「そうか」

「配車先、どこさ」



 ガガガ、配車担当者の声が一瞬止まり、その背後には客からの配車依頼の入電や各タクシーからの問い合わせの無線がひっきりなしで騒がしい。



「106号車どうぞ。どこだよ病院?片町繁華街?ナビ入れるから教えて」

「・・・・・かが」

「ん?」

「加賀市なんだよ。1時間後に8号国道のすき家賀茂店」

「はぁ?加賀営業所の奴らのナワバリ担当だろ、暇なじーさんに頼めよ」



 北陸交通には金沢市西泉の本社営業所と石川県加賀市の加賀営業所がある。

原則として”手取川”を境目にそれぞれの担当地区以外のタクシーの流し営業や配車の営業は禁止されている。



「それがどうしても西村さんが良いんだと」

「・・・・何で俺の名前。テメェ教えたのか!?」

「まさか!個人情報だぞ」

「ならいいわ」



 制服のグレーのジャケットを羽織り、臙脂色のネクタイを締め直す。営業開始の儀式みたいなものだ。



「金魚の岡田病院からの送りあったんだろ?乗務員証顔写真入りの名札見てお前の名前覚えたらしいぜ」

「ぼんやりしてたぞ」

「気に入られたんじゃないのか?」

「まさか」

「変な気、起こすなよ?」

「俺、嫁いるんすよ」



 西村はガラスのドームがまばゆい金沢駅から、裏寂れた加賀山代温泉までの道のりを時速110kmのスピードで深夜のドライブを愉しんだ。多分に配車室のPCでは青く塗りつぶされた106号車がとんでもない速度で国道8号線を移動している事を呆れて眺めている筈だ。





 24:10、すき家加賀賀茂店到着。

 国道8号線の最果てとも言えそうな賀茂交差点を行き交う車は皆無で、数台の長距離トラックのハロゲンライトが飛び交う蛾を蹴散らして通り過ぎる。誘蛾灯がバチバチと細かい悲鳴を上げた。


 24:30の予約時間まで余裕が有るので牛丼屋の便所を拝借しようと運転席のドアを開けると、甘い飴の匂いにソールの低いのっぺりとした赤い靴が見えた。目線を上げるとそこには桜色の髪をサラサラとさせた碧眼、赤いワンピースを着た金魚が立っていた。海から吹く風は湿り気と潮風を運び、ワンピースの裾をひらひらと魚の尾鰭のように揺らす。



「うわっ!」



 一瞬、本物の金魚が立っている様に見えた彼はたじろぎ、素っ頓狂な声を挙げてしまった。まるでを見た如くの驚いた反応、これは客に対して大変失礼な行為だ。



「あ、驚いてしまって。申し訳ありません」

「なんで?」



 流石に(いやぁ、ホンマモンの金魚に見えましたぁ。)といつもの調子で笑い飛ばす事も出来ず口篭ってしまう。



「今日は早く来ました」

「は?」

西が早く予約したら良いよって教えってくれたから、早く電話しました」

「そうすか」

「はい」



 今夜の金魚は幾らかハキハキと言葉を口にしている。



「で?牛丼はもう召し上がられたんですか?」

「うん」

「温泉からここ迄歩いてこられたんですか?」

「おじいちゃんに送ってもらったの」

(あぁ、デリヘルの送迎の車か)



 デリバリーヘルスであろと何だろうと職業に貴賤など無い。タクシードライバーも一般人から見れば水底を彷徨っている職種と思われているだろう、デリヘルもタクシー営業もたいして変わりは無い。

 しかも目の前に居るのは、丁寧な接遇第一だ。タクシーに乗り込んだ西村は運転席右下のハンドルを上げると後部座席のドアを開けた。



「どうぞ。頭ぶつけない様にお気を付け下さい」



 そう声を掛けて金魚を車内にエスコートする西村の姿は、執事が高貴な姫君にかしずく様で、日頃、商売相手下品な男に粗略な扱いを受けている金魚の胸は不思議と高鳴った。

 そっと手でドアを閉める。その一つ一つが彼女の心を捉えて離さなかった。



「・・・・ありがとう」

「どういたしまして」

「こんな風にタクシーに乗せてもらったのは初めて」

「そうですか、申し訳ありません」



 それはそうだろう。

同僚をあまり悪くは言いたくないが加賀営業所のドライバーは定年後再雇用の昭和の遺物ばかりだ。荷物をトランクに入れる事も出来ない、言葉遣いも碌でも無い年寄りばかりだ。



「それでは出発します、何処までですか?」

「金沢の西泉まで」

「西泉ですか?」

「はい。ドンキホーテの裏です」



 一瞬ドキッとした。金沢市西泉には北陸交通本社と西村の自宅マンションが有る。



(・・・・・そんな近くに住んでいるのか)

「わかりました。深夜料金と迎車料金が加算されますので割高になりますがお支払いはチケットで宜しいでしょうか?」



 乗車料金が未払いにならないように念を押す。すると金魚はワンピースのポケットから10,000円札を5枚取り出し西村に見せた。



「あ、大丈夫です。25,000円もあれば十分ですから。現金ですね?」

「お願いします」

(今日のは50,000円か、羨ましいぜ)

「それでは車、出します」

「はい」



 ウインカーを左にシフトレバーをドライブに落としアクセルを静かに踏むとタクシーは牛丼屋の駐車場から本線に入り金沢市を目指して走り出す。潰れたパチンコ屋や寂れたコンビニエンスストア、延々と続く黒い田畠、助手席側に目を遣ると遠くに高速道路のLEDライトがオレンジの線を棚引かせている。

青い案内標識が”小松市”となる頃には片側1車線から2車線へと増え、24時間営業のレンタルショップやファミリーレストランが立ち並び煌びやかな雰囲気に包まれた。



(お、コンビニ)



 尿意が限界になった西村はルームミラーの金魚の様子を窺い見た。働いてご奉仕小腹も満たしこの時間帯ならば眠っても良さそうなものだが張り詰めた空気が漂っている。ピリピリとした緊張感すら伝わってくる。殆ど毎日のようにタクシーを利用して慣れているだろうに。そこであの不可解な言葉を思い出した。



『何処か連れて行ったりしませんか?』



 乗用車かタクシーで何か嫌な思いでもしたのだろうか。



「お客さま、申し訳ないのですがコンビニ、寄っても宜しいでしょうか?」

「どうしたの?」

「すみません、ちょっと。トイレに」



 金魚はあぁ!という顔をしてどうぞ、と頷いた。

交差点の先に青い看板を見つけ、ウィンカーを左に出してタクシーはスムーズに四角い白線の内側に停まる。

 売上の入った黒いバッグを小脇に抱えタクシーの鍵を抜いた西村は(申し訳ない!)と右手を顔の前で拝んでコンビニエンスストアに駆け込んだ。

その背を見送った金魚は、青い誘蛾灯に集まる虫たちがバチバチと一瞬で生を終える、それを虚な碧眼の目でぼんやりと眺めた。



「ふぃ〜、間に合った。間に合った」



 濡れた手で髪の毛を逆立てながら西村はドリンク冷蔵ケースの前で足を止めた。ガラスに少し疲れた自分の顔が映る。



(・・・若い子なら、ヨーグルト?いや、ハードル高すぎだろ。烏龍茶か)



 ピッピッ、コンビニエンスストアのレジに無糖ブラックコーヒーと烏龍茶のペットボトルを置いた。



「袋、お付けしますか?」

「いや、いいわ」



 金魚は緑色の行燈が消えたタクシーの中からこちらをじっと見つめていた。愛想笑いをする西村に手を振る。どうやら明るい方の金魚の様だ。鍵を開け車内に入ると甘い飴の匂いがむせ返るほどに彼を出迎えた。



「いや、お待たせしました」

「ううん、大丈夫」

「これ、良かったらどうぞ」



 気温差で既に汗をかいている烏龍茶のペットボトルを振り向きざまに手渡すと差し伸べられた金魚の左手の指先に触れた。ギョッとする程に冷たく、冷蔵ケースから今、取り出したペットボトルどころでは無かった。



「だ、大丈夫ですか?」

「何が?」

「クーラー強いですか?」

「ううん」

「指、凄く冷たいですよ?」

「あぁ。これ、時々冷たくなるの。大丈夫」



 天井にかざした指先は綺麗に整えられていた。淡い桜色の可愛らしいネイルに手首の痛々しい傷痕。全てが危うかった。



「・・・・ありがとう、嬉しい」

「いや、100円ちょっとのお茶ですよ。大袈裟な」



 ルームミラーの中の金魚はペットボトルの烏龍茶を胸に大事そうに抱えていた。



「お客さま、洋服、濡れますよ?」

「ううん。いいの」



 結局、金魚は烏龍茶が温くなってもそれの蓋を開ける事は無かった。


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