第3話 赤いべべ

 交通渋滞の国道8号線、西村は今来た45kmの道のりを赤信号で止まり、青信号でも交差点に入れずを繰り返し、苛々としながら西泉にある北陸交通本社に向かっていた。ピーピーピーピーと無線が入る、配車室からだ。



「106号車、どうぞ」

「106号車お疲れ様でした」


(・・・げ、佐々木かよ)



 無線機から聞こえたのは、ギャンギャンと小煩く吠える色付きサングラスを掛けたマルチーズ、いつも白いスーツに趣味の悪いネクタイを結んでいる事務方の佐々木次長ささきじちょうの機嫌の悪そうな声だった。

 次長のポジションは社長、部長に次ぐ管理職で、大人しく3階の事務所デスクに座っていれば良いものを時々こうしてに降りて来ては下らない事ばかりを重箱の隅を突きながらグダグダと説教する。



「106号車、西村。お前、深夜勤務だったか?」



 深夜勤務とは、タクシーに乗る客が殆ど居ない3:00から6:00の間を街の路肩で待機し、一銭の稼ぎにもならない憂き目に遭う、2ヶ月に1度回って来る当番の事だ。



「夜勤だよ」

「なら何で106号車が野々市のど真ん中を走っているんだ?えぇ?もうとっくに帰庫かえるしている時間だろう!?勤務時間の範囲をとっくに超えているぞ!子どもでも分かる規約くらい守れ!」

「何だよ、配車室から振られた予約配車だったんだぞ!」

「はぁ!?何だと!?」



 ガガガと雑音の向こうでマルチーズが後ろを振り返って配車室担当者にギャンギャン噛み付いているのが聞こえる。

 朝のこの時間帯なら顧客からの配車依頼の電話も多いだろうに、マルチーズのする事なす事、業務妨害以外の何者でも無い、御愁傷様だ。



「西村、お前、会社戻ったら反省書、書いとけ!」

「嫌だね、車洗ったら帰ってビールだよ、グダグダうるせえなぁ!」

「何だと!」



 ガガガ、今度は配車担当者が小煩いマルチーズに何か耳打ちしているようだ。ぼそぼそとしか聞こえないが、俺の耳には確かにと聞こえた。



「106号車どうぞ」

「106号車どうぞ」

「西村、帰庫後は帰ってよし」

「そうかよ、りょーかい」



 マルチーズの鳴き声がピタリと止んだ。やはり金魚はなのだ。





9:20本社着

太陽は既に斜め上で車内のクーラーを切ると北陸独特の湿気がまとわり付きそれが汗となって額にジワリと滲む。



(1、2、3、4、5、6、7、8、9、10、11)



 西村は昨夜からの勤務時間を指折り数えた事を後悔した。

それは例えば軽く風邪を引いたと思い体温計で熱を測ると38、0℃でぐったりしてしまうアレに近い。

 疲労感が半端ない。

 タクシーの鍵、乗務員証、ドライブレコーダーからSDカードを抜き、サンバイザーから青いバインダーを取り出し売上金が入った黒いポーチを片手に2階への階段を上る。

 売上金も重いが脚はそれよりも重くて思うように動かせない。ガヤガヤとこれから出庫のドライバーたちが清々しい面持ちで下りて来た。



「あれ、西どん。今上がりか?」

「どうせパチンコ屋の駐車場で寝込んでたんだろ?」

「ウルセェ、とっとと行けよ」

「言われなくても行くよ、お疲れさん」

「お疲れ」



 ドライバーの姿が無い活気のない事務所、配車室は客からの入電がひっきりなしで右往左往している。



「おい、管理、誰か居ないのか?」



 カウンターの奥に声を掛けるとひょろっとモヤシみたいな顔に銀縁眼鏡、ドライバーの勤務や運行状況、売り上げを管理する”運行管理者”の山田が書類の山を抱えておずおずと顔を出した。



(・・・・山田かよ)

「・・・お、お帰りなさい〜」

「ほれ、受け取れ!」



 俺がタクシーの鍵とSDカードを山田に向かって投げると下手くそな少年野球チーム3軍選手の如く書類を撒き散らし、何とかSDカードキャッチした。



「西村さん〜、これSDカード大事なんですから止めて下さいヨォ〜」



 その間抜けな姿を笑い飛ばしていると山田はズレた銀縁眼鏡を直しながら、106号車のラベルが貼ってある棚にタクシーの鍵と乗務員証、SDカードを片付けた。

 このSDカードには常に車内外の様子が録画され、客とのトラブルや事故の際の重要証拠となり、時には”事件容疑者”の移動経路捜査の為に警察署に提出する事もある。


ピーピッツ


飲酒検知器に運転免許証を置きストローで息を吹き込む。異常なし。



「はい、西村さんいいですよ〜」



 事務所に置かれた4本の長机ではドライバーたちがその日の売り上げを運行管理表と照らし合わせて計算し、キャッシュディスペンサーに放り込む清算作業を行う。

 ブラック企業とも言える昨夜の仕事は管理表の25行目まで埋まりチケットでの営業は、(株)ユーユーランドの1件のみだ。



「・・・・あの金魚って何者なんだよ」



 あの赤いワンピースと感情が乏しい碧眼が頭の片隅にチラついた。



「じゃあな、お先」

「あ、お疲れ様でした〜ぁ」



 間の抜けた山田の声に見送られながら1階の休憩室に向かうと、今朝ホテルの待機場で大欠伸おおあくびをしていた124号車の北のじーさんドライバーが呑気な顔で仲間たちと缶コーヒーを飲んでいた。



(・・・・喉乾いたな)



 本来ならば何も飲まずに家に帰り至極幸せなビールを喉に流し込むのだが、この蒸し暑さがそうさせなかった。

 俺がスラックスのポケットの中で小銭を探し自動販売機の前に立つとじーさんがいやらしい声色で喋り掛けて来た。



「おい、西村ぁ」

「なんすか」



 ピーガタン、無糖のブラックコーヒーが水滴を弾いて自動販売機の取り出し口に落ちる。カチャンカチャン、中腰に屈んで釣り銭を受け取って制服のポケットに無造作に入れた。



「お前、赤いおべべの送りしたんだって?」

「なんすか、赤いおべべって」

「昭和生まれじゃねぇしな、童謡とか知らんだろ」

「知らねえスヨ」



 缶コーヒーのプルタブを開けると安っぽいインスタントの香りが鼻をくすぐった。



「おべべってのはなぁ」



 するとじーさんはパイプ椅子からガタリと立ち上がり缶コーヒーをマイク代わりにリサイタルをおっ始めた。周りの数人が微妙な手拍子で囃し立てる。疲労困憊の耳にはとても耐えられない地獄絵図。



🎵あ〜かいべべ着た可愛い金魚🎵



「べべってのは着てるモンだよ。赤いワンピースだったろ、金魚」

「・・・・・あぁ。着てましたね」

別嬪べっぴんさんだろ、色っペーし」

「そうすか?」

「なんかこう、乳が貧相なのも良い」


(あんたの好みだろ、ロリコン野郎が)



 じーさんは下衆な笑い顔でパイプ椅子に座り直すとそれはギシギシと悲鳴を上げた。



「北さんが無線取らねーから夜勤の俺が行ったんすよ?佐々木には因縁掛けられるし眠いし最悪だよ。何で配車断ったんすか」



 じーさんの名前は北 重忠きたしげただ、五分刈りで額の真ん中にピンポンダッシュ出来そうな見事なホクロが付いている。そいつかホジホジと鼻の穴を弄りながらパイプ椅子にのけ反った。



「金魚、山代までとんでもねぇ早く行ってくれって言ったろ?」

「それはそうすけど」

「とんでもねぇよ」

「そうすね」



 俺は天井を降り仰ぎコーヒー色の液体の最後の一雫を口に落とす。すると北のじーさんがちょいちょいと手招をした。



「なんすか」

「ま、良いからこっち来いって」



 長机の側に寄るともう少し近く寄れとまた手招きし、チョイチョイと自分の耳を指す。俺に耳を貸せと言うのだ。面倒臭いジジィだ。



「なんすか、もう」



 吐く息が臭い、淀んだドブの臭いがする。やはりここは地獄。



「日勤の奴があいつ金魚の配車断るのはアレがあったからなんだよ」

「アレ?」



 北のじーさんが眉間に皺を寄せながら耳打ちする。



「・・・金魚な、あいつ乗ってる時に起こしやがったんだよ」

「発作?」

「あぁ、じーっと静かに座っていたかと思えば急にペラペラペラ話し出して大笑いしやがって。お前、どうだった?」

「あぁ、牛丼がどうとか喜んでましたよ」



 腹を抱えて笑う。周囲のじーさんたちも何処かにやけて気持ちが悪い。



「西村、おまえ牛丼で済んで良かったなぁ!」

「そうすか」



 それまで女子高生がクラスの片隅で内緒話をしていた風が、まるで選挙の街頭演説をするかの様にバカでかい声で高らかに話し始めた。



「あの嬢ちゃんなぁ、笑いながら運転している俺の首を後ろから絞めやがったんだよ!」


(・・・・・まじか。)


8号国道で事故るかと思ってゾッとしたぜ」



 北のじーさんは自分の首を摩りながら俺の顔を見上げた。



「お前、大丈夫だったみてぇだな」

「・・・・途中急に笑い出しましたけど」

「あっぶねぇ」

「・・・・金魚の手首、凄かったんすけど、知ってます?」

「あぁ、岡田病院からの送りだろ?金魚イっちゃってるんだよ」

「マジすか」



 北のじーさんは胸のポケットから萎びた革の運転免許証入れを取り出し、ペラペラと1枚の紙を取り出して俺に見せた。

 それはピンク色に真っ赤なハートマークが乱れ飛ぶだ。



「金魚、デリヘル嬢なんだよ」

「そうなんすか」

「西村、おまえ、手ぇ出すなよ?」

「まさか、俺、嫁いるんすよ?」



 北のじーさんはその名刺をまた大切そうに運転免許証入れに挟むと胸ポケットに仕舞い込んで言った。



「金魚ってのはな、雑食なんだよ。あいつら何でも喰うからな」







 西村の稼ぎは良い。事務所に張り出される実績売り上げ順位では140人中、15位を常にキープしていた。

タクシードライバーはただ街を走っているだけでは閑古鳥、客の手が上がりそうな場所や時間帯を考えて無駄なくタクシーを走らせれば自然と売り上げも多くなる。


 依って実績から諸々差し引かれた手取りも悪くはなかった。

子どもが生まれた事もあり、2年前に手狭なアパートからこのマンションに引っ越した。濃い赤茶色の煉瓦を貼り付けた”ダイアパレス金沢”の築年数はそこそこ古く、エントランスもオートロック式ではなかったが贅沢は言っていられなかった。それでも6階のベランダからは医王山や片町の夜景が見渡せ、夏には犀川に打ち上がる花火を楽しむ事が出来た。

また、タクシー会社から歩いて10分と徒歩で通える、それがこのマンションを選ぶ決め手となった。



「ただいま帰りました〜っと」



 玄関の扉を閉めるとベランダで洗濯物を干していた嫁が振り返った。

ともは俺の2歳年下で恋愛結婚、現在専業主婦、髪は黒く肩までのボブ、目は奥二重で個性的な顔立ちをしている。

ウェストは、胸も尻も大きく、お世辞にも線が細いタイプとは言い難い。太ももを汗が流れる。



「お帰りなさい。遅かったね、何かあったの?」

「朝イチの予約配車で山代行って来た」



 ジャケットをハンガーに掛けエアコンのリモコンを押す。

 智は電気代が掛かるからとエアコンは寝室だけと決めているが仕事上がりくらいは許して貰おう。

 寝室を覗くとカーテンが引かれた薄暗い部屋の敷布団の上で、腹に白いタオルケットを掛けた息子がスヤスヤと寝息を立てている。起こさないようにそっと襖を閉める。



「ええ、山代ぉ、頑張ったねぇ」

「褒める?」

「褒める、ほめる」



 臙脂色のネクタイを外すとリビングの真ん中に置かれたベージュの革のソファに放り投げた。

 冷蔵庫のドアを開けると冷気が汗ばんだ首筋を撫でる。そこにはキンキンに冷えた缶ビールが今か今かと俺を待っていた。ご丁寧な事にグラスまで冷やしてある。出来た嫁だ。



「シャワーの前に一杯だけ飲むわ」



 プルタブを開ける、プシュッと飛び散る泡、夜勤明け、この瞬間が堪らない。コップに注ぐ時間も惜しく水滴の付いた缶のまま、黄金色の液体をグイッと喉に流し込む。



「うめえ、生き返るわぁ!」

「じゃ、軽く何かおつまみ作るわね。胡瓜竹輪で良い?」



 そう言うとともは冷蔵庫から竹輪と胡瓜を取り出しキッチンに立った。まな板の上で棘が付いた新鮮な胡瓜を手際よくサクサクと縦に切り、ビニール袋を開いて竹輪を取り出す。一本、また一本と竹輪に挿し込まれる胡瓜。



「あ、ダメだって」



 西村は智の背後に立つと青いギンガムチェックのエプロンを捲り、デニムのスカートの裾に左手を滑り込ませた。汗ばんだ太ももを指先がジリジリと這い上がって行く。



「良いだろ、俺、疲れてるんだよ」

「なら、おとなしく座ってて」

「もう勃ってる」



 黒いカットソー半袖Tシャツの上から胸を揉みしだき指先でブラジャーを下げる。既にその部分は膨らみ、そっと摘むと掠れた声が漏れて手に持っていた竹輪がコロコロと床を転がった。



「ダメだって」

「そんな手付きで胡瓜挿し込むお前が悪い」

「何、馬鹿じゃないの?」



 黒い下着の隙間から指を入れ、茂みを探って突起の上で円を描く。智は思わず踵が上がり爪先立ちになる。スリッパがぱたりと音を立てる。



「駄目だって、こうが起きちゃうから」

「起きないように声、出すなよ」

「無理」

「無理じゃない。」



 智の匂い立つ首筋に誘われ軽く口付けた。



「あ」



 舌を這わせ肩甲骨の窪みを丁寧に舐める。淫部が震え、その瞬間を待ち焦がれている。



「・・・・ん」

「声、出すなって」



 中に呑み込まれる感覚に西村の体温が上がる。エアコンの風が心地良い、付けておいて正解だった。カーテンが揺れてフローリングの床に波を作る。



「あ」

「動かすぞ、声出すなよ」



 西村はぐちゃぐちゃと音を立てる感触を味わいながら、指をゆっくりと出し入れした。背筋を這い上がる快感に堪らなくなった智は片足の指を使って器用に下着をずり下ろすと腰をくねらせた。



「・・・・裕人、もう」



 右の親指と人差し指で豊満な胸を擦りその部分の周囲を優しく撫でる。喘ぎ声を漏らすまいと紅潮した智の顔が歪んだ。



「ん。も」

「駄目、もう少し」



 湿り気でふやけた指を浅く深く挿入すると、淫靡な音が蝉の鳴き声に合わせて静かな部屋に響いた。西村は智の体内から指を引き摺り出すとベルトを外しチャックを勢いよく下げるとスラックスとトランクスを太ももまで降ろして彼女の腰を引き寄せた。



「・・・・ん」



軽い喘ぎ声、形の変わったそれを淫部に当てがい、ぬるりと挿入する。



「あ」

「だめ・・・だって・・・洸が起きるだろ。声出すなって」

「だ・・・・・・」

「出すな」



 ベランダの壁に止まったアブラゼミが、腰を振る2人の動きに合わせて強弱を付けて鳴き始めた。 

 智はキッチンのシンクの縁に掴まりながらゆっくりと出し入れされる西村を受け入れて悶えていたが、西村の脳裏には桜色の髪を振り乱し、赤いワンピースを捲り上げられた金魚がビチビチと悶える姿が浮かんでは消え、それは白濁とした液となり智の太ももを伝って落ちた。

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