アオノイシ

与野高校文芸部

アオノイシ

 渡された卒業証書は紙一枚でありながら、雄也には大変に重たいものに感じられた。今日、晴れて陸上自衛隊幹部候補生学校を卒業した雄也は、これから自分は多くの人の命を背負う人間になるのだという強い覚悟を覚えていた。その固い信念は雄也の過剰に堅苦しい挙手動作からも容易に推察できる。陸上幕僚長の言葉の中で「我々、そしてあなた達の懸命な努力こそが、この国の永劫の平和と安定にとって命綱なのです。」という文言に雄也は感銘を受けた。この言葉もまた、雄也の覚悟を喚起した一因である。

 その日の夜、家へ帰ると家族や親戚、地元の仲の良かった友人など大人数が集まっていて、家がだいぶ窮屈になっていた。その中に、幼馴染の奈津の姿もあった。皆雄也の卒業祝いに詰め掛けたのだ。帰るや否や皆から怒涛の勢いでおめでとうおめでとうと言われた。雄也は先の卒業式の時の覚悟とは別に、もう一つある重要な覚悟をしており、その緊張から、受け答えも少しぎこちないものになってしまったが、皆そんなことは露とも知らずに熱している。その中で、雄也に気づいた奈津が笑顔を浮かべて駆け寄ってきた。

「雄也、卒業おめでとう。ずっと頑張ってたもんね。」

「ありがとう。ようやくだよ。」

「雄也はやっぱりすごいなぁ。敵わないや。」

「ハハハ、いや、そんなこともないよ。これからが大変なんだから。」

「やっぱすごいよ。」

 そうして、あと二言三言話して、二人は少し沈黙した。彼の緊張が伝わってしまったのか、奈津もどことなく緊張しているようだった。

「……ね、ちょっと外散歩しない?」

「え、でもこれからご飯だって……。」

「いいからいいから!」

 そういうと奈津は、雄也の逞しくなった腕を強引に引っ張って連れ出した。

 もう何分歩いただろうか、二人は何か言葉を交わすこともなく歩いていた。心地よい春の風が夜桜を揺らした。二人の歩く河川敷には、桜の花びらが穏やかに散っていた。

「「あのさ」」

「な、何? 先にいいよ。」

「いや、奈津こそ……いや、ううん、やっぱ俺、言いたいことある。」

 そして、奈津の前へ出て向かい合う。

「奈津、俺、ずっと、奈津のことが好きだった。今も大好きだ。俺と、付き合ってください!」

「もちろん! 私も雄也が大好き!」

 二人は抱き合ってから、河川敷の芝生に寝転んだ。その時ふと横を見た奈津が、一群れのネモフィラが咲いているのに気が付いた。今は三月上旬なので、その淡青色の密集はもの珍しく思われた。好奇心に駆られた奈津が見に行くと、海のように青い石がネモフィラの群れの真ん中に置かれている。

「きれい! 持って帰っちゃおうかな。」

「昔からそういうの好きだよな。」

「いいじゃん。きれいだし!」

 その石をかざして奈津はニッと無邪気な顔で笑った。雄也は、この瞬間がいつまでも続いてほしいと強く思った。

 翌日、親戚、友人一同は地元へ帰り、奈津も一度帰ることになったので、駅まで見送りにいった。

「またすぐ戻ってくるから。雄也、初仕事、頑張ってね。」

「俺もすぐ迎えに行く。」

 二人は、必ず再会することを誓って抱きしめ合った。奈津が電車に乗り込んで出発したとき雄也は、電車が世界の果てまで行ってしまうのではないかと思うほど寂しくなった。


 あの駅での別れからの二年間、二人の再会はついに果たされなかった。奈津が帰ってから一週間後、ちょうど奈津の住む町で大規模な爆発が起きたのだ。しかしそれはただのきっかけに過ぎなかった。その爆発以後、数時間おきに町のいたる所で爆発が起き続け、一か月ほどで町は壊滅した。自衛隊も出動したが原因は不明のまま、瞬く間に日本は瓦礫の山となっていった。任務中に爆発が起こることも多く、隊も大きく削られていき、やがて自衛隊としても機能しなくなり、荒廃した現在では、それはもう只の小規模な「軍隊」であった。

奈津とは二年経った今日も音信不通である。

「さすがにもう望みは薄いだろう。あの地域のほぼド真ん中の家だったってんなら余計にな。」

 この二年で二等陸尉に昇進した(役職名はそのままだが、昇格したというだけで以前のような明確な職務の区分はなくなっていた)雄也は、奈津のことを仲間や上司に話すたびにこんな心無いことを言われていたが、彼は決して奈津が死んだとは認めなかった。爆発が起こって現場に行く先々で、何か奈津の痕跡はないかと探し回った。もちろん任務がすべて終わってからだが。

 ある日、雄也の後輩である長谷川が息を切らしながら勢いよく会議室に入ってきた。会議中だった幹部たちは一斉に長谷川を見た。長机の短辺に座って会議を仕切っていた隊長がすかさず注意をする。

「なんだ長谷川、今は会議中だぞ。」

「爆発の原因が分かりました!」

「何? どういうことだ。」

「あの爆発は、人間によるものでした。」

 厳密に言うと、元は人間だった人の手が、ある日突如としてペイルブルーの色に発光しだし、その手が触れたものは何でも破壊してしまう、破壊方法の大半は爆発であるが稀に違う破壊現象も起こる、発光しだした人のほとんどが自我を失っている、発光しだした人は皆一週間以内に青い石に触れている、とのことだった。説明を聞いた雄也は、奈津との最後の夜のことを思い出していた。あの日、奈津は青い石を持ち帰った。そして彼女が帰った数日後に彼女の家付近で爆発現象が発生した。ここでふと気づくことがある。もしかすると、この現象の中心にいるのは奈津ではないか。そうだとすると、まだ彼女はどこかで爆発を起こしているかもしれない。ここまで考えたとき、雄也はいてもたってもいられなくなった。そして、長谷川に勢いよく詰め寄って質問攻めにし出した。

「皆が皆自我を失っているわけじゃないんだよな?」

「は、はい、報告によれば……。」

「もし失っていたとして、治す方法はあるのか?」

「いえ、それはまだ……。」

「じゃあせめて、自我が残っている人の手の発光は治せないのか?」

「それもまだ何とも……。」

「じゃあ、」

 そう言いかけたとき、隊長が低い声で、

「木更津、落ち着け。」

と言い、さらに声を低くしてから神妙な面持ちでこう言った。

「……射殺だ。」

 雄也は隊長に振り向くなり固まってしまった。他の隊員も静まり返って目を丸くしながら隊長を見ている。

一同は隊長の判断があまりにも残酷で冷徹なのに面を食らってしまったのだ。

「い、今何と……?」

「射殺だ、と言ったのだ。」

「射殺って……。」

「相手は触れただけであらゆるものを破壊できる、という説明を聞いていなかったのかね? もう手の施しようのないのは小学生でも分かることだ。残念だが、生き残っている無事な人々を救うためにもこうすることが一番手っ取り早く最適だ。そもそも、大半は自我がないのだろう? だったらそれはもう人間ではない。エイリアンだ。」

「元は彼らも人間です。彼らだって、こんなことになるだなんて誰も思っていなかったはずです。それなのに殺すなんてあんまりだ。皆もそう思いませんか?」

 雄也の問いかけに首を縦に振る者は一人もいなかった。皆俯いて黙っている。そのうちの一人である後藤が立ち上がって、雄也をたしなめるように言った。

「この場合、射殺という判断が最も妥当でしょう。隊長がおっしゃる通り、触れられないのでは仕方ありません。治療法はおろか、この現象が一体何なのかさえ今ようやく分かったという所であるのに、他に何が出来ると言うんですか?」

「今はまだ分からないかもしれませんが、いつか必ずその方法は見つかるはずです。だから……。」

 ここで隊長が、自分の後ろの窓を開け放った。その向こうには、かつての姿など見る影も無いほど荒廃した瓦礫ばかりの東京の街が広がっている。そしてこう言った。

「その『いつか』が来る頃にはこの瓦礫の山はどうなっているだろう? 更にうずたかくなっているか、寧ろ更地になっているか、はたまたこの瓦礫がみんな人間の死体になっているかもしれん。それでもお前は『いつか』を待てと言うんだな?」

 国民を天秤に掛けられた雄也は何も言い返すことが出来なかった。と、その時突然、沈黙した会議室にサイレンが響き渡った。日の出町付近で爆発が発生したという。皆急いで出動準備に向かう中、雄也だけは最後まで会議室に立ち竦んでいた。


 現場に到着したとき、跡形もなくなった民家の瓦礫から炎が上がっているのが見え、まだ爆発からそれほど時間は経っていないようだった。ここは国内でも比較的に被害がほとんど出ていなかった地域だったので、炎を見た隊員たちは皆拳を握りしめた。隊は救護班と捜索班、そして新たに追討班と三つの部隊に分かれて救助に当たった。雄也は捜索班である。そのうち雄也と長谷川、他数名は山の中に逃げ込んだ人を捜索していた。

 誰かいますかと声を上げて、返事を聞き漏らさぬよう耳をそばだてていると、ふと、近くの草むらの中から誰かのすすり泣く声が聞こえる。まだ生きているかもしれないと思った雄也は声を上げて呼びかけてみた。

「そこに誰かいるのですか? いたら返事をしてください。」

 応答はない。未だすすり泣きの音がするだけである。怪しんだ雄也が草をかき分けて叢中を進もうとした時、突然すすり泣きの主が、

「来ないでッ!」

と声を荒らげたので、びっくりして足を止めた。その声はよく聞き覚えのある懐かしい声だった。もしやと思って雄也は胸いっぱいに期待を膨らませた。付近には雄也一人である。まだ確証はないので恐る恐る訊いてみる。

「……奈津なのか?」

……。

 思い過ごしだったのだろうか。それでも雄也はもう一度尋ねた。

「奈津なんだろ? そうなら返事をしてくれ。」

「……そうだよ。」

 その答えを聞いたとき、雄也は全身が熱くなるのを感じた。暖かい涙が際限なく溢れ出てくる。ああ、一体この瞬間をどれだけ待ち侘びていたことか! 雄也は我慢しきれずに叫んだ。

「奈津!」

 そうして雄也が草むらに飛び込もうする間際、奈津はおもむろに立ち上がって、ペイルブルーに淡く発光した手を見せた。

「その手……。」

「私、だよ。私がこの世界を壊しちゃったの……。」

 雄也は、奈津が泣きながら口にした言葉の意味をよく呑み込めずに固まってしまった。硬直する唇をどうにか動かして声を絞り出す。

「……そんな、嘘、だよね? こんな時に冗談なんて……。」

 奈津の悲愴な顔と手の発光をもう一度眺めなおしてみて、雄也は言葉を切った。これは現実なのだ。

「……雄也、ごめんね……。」

 奈津のその言葉を聞いて、雄也はどうしようもなく悲しくなって奈津を抱きしめてやりたい衝動に駆られた。二度の警告も忘れて雄也が近づくと、奈津も、ダメ、と言いながら後ずさった。その拍子に雄也が奈津を押し倒すような形で二人とも地面に倒れ込む。そして、後ろにつかれた奈津の手の指先から、閃光のような速度でぺイルブルーの亀裂が山の中を駆け抜けていった。はっとして奈津を見下ろすと、奈津は全身にはち切れんばかりの力を込めていた。

「早く……ッ、離れてッ……。」

 そう言われて立ち上がった直後、山が大噴火したかと思うほどの大爆発を起こし、真っ二つになった。爆風で雄也は吹き飛んだが、なんとか木にしがみついて事なきを得た。奈津は爆発の跡に立ち尽くしてわなわなしている。本当はここで追討班に連絡をするなり自ら銃を抜くべきだったのだろう。しかし雄也はそのいずれもしなかった、否出来なかったのだ。

「逃げろッ!」

 奈津は困惑して雄也を見つめている。爆発を聞いた隊員達が応援に向かって来ている。雄也はまたも叫んだ。

「逃げろ奈津ッ! 早くッ!」

 最後に頷きかけ、それに応じて奈津も頷いた。そして一目散に山中の暗がりに逃げて行った。


 山が吹き飛んでから部隊はすぐに安否確認に向かった。それによって、山に逃げ込んでいた町の住人の八人が犠牲になったことと、長谷川含め三人の隊員が手足の欠損など重症を負ったことが分かった。その報告を聞いたときの雄也の絶望は言うまでもないだろう。そのせめてもの償いとして毎日欠かさず長谷川の見舞いに行った。

「……長谷川、調子はどうだ?」

「はい、だいぶ良くなりました。まあ、まだ右足が無いっていう感覚には慣れませんが。」

「そうか。」

 長谷川は笑って言っているが、雄也はその顔を見ることができず、「そうか」としか言えなかった。

「その、ごめんな。」

「え、どうして先輩が謝るのですか?」

長谷川をはじめ他の隊員全員まだ爆発の主犯者が誰なのかは知らない。だから雄也が謝るのは本来おかしいのだが、彼は謝らずにはいられなかったのだ。

「……いや、なんでもない。とにかく、早く良くなってくれよ。」

「はい! 絶対にこの手でこの地獄を終わらせてやりますよ!」

 長谷川はそう意気込んでいるが、終わらせるには奈津を殺さねばならない。肯定も否定も出来ず苦笑して雄也は病室を後にした。


 あれから数日後の夜遅く、雄也は奈津と再会した山へ行った。もちろん一人でこっそりと。もしかしたらまた会えるかもしれないという淡い期待と、どうにか彼女を殺さない手段を探るためだ。名前を叫びながら草むらを漁ったり倒木をひっくり返したりしているうちに三時間が経っていた。諦めて帰ろうとした時、木の陰から、

「……雄也?」

と呼ぶ声が聞こえたので彼は急いで声の方へ行った。果たしてそこに彼女はいた。この前は気づかなかったが、ライトで照らされた奈津は暗闇でも分かるほど黒く汚れていた。

「奈津、可哀そうに。こんなに汚れてしまって……。」

「仕方ないよ。お風呂なんてもう二年も入れてないんだから。……こんな汚い彼女でごめんね。」

「ううん、また会えただけで嬉しいよ。」

 雄也は抱きしめようとしたが、奈津の手を見て現状を思い出したのでやめにした。それから二人は座り込んで、二年間のことを絶え間なく語り合った。雄也はこの瞬間、全く何からも解放された心地だった。でも時折、長谷川のことがちらつかない事もなく、僅かに苦しくもあった。そうして話題が落ち着いてきた頃、ようやく本題を切り出した。

「今日ここへ来たのはね、その手の治療方法を一緒に探したいと思ったからなんだ。そうすればきっとまた元の生活に戻れるよ。」

 奈津は少しの間沈黙した。雄也の予期した反応とは違った。そして、彼女が次に発した言葉は雄也の希望を粉々に打ち砕いた。

「……もう、いいの。私はこのままで。」

「どうして……?」

「もちろん私だって、雄也とまた一緒にいたい。結婚して、子供産んで、おじいちゃんおばあちゃんになったら二人でのんびり暮らしたかった……。でもね、私が治ったって、今まで犠牲にしてしまった人たちが戻るわけじゃない。街ももう元には戻らない。それなのに一番の犯人は幸せに生きていけるなんて虫が良すぎるよ。」

 雄也は何も言えなかった。その論理のあまりに正しかったので言い返す隙がなかったのと、奈津は彼の何百倍もの罪の意識を背負っていることに今まで気づかなかったのだ。それなのに自分は罪の意識から逃れることと自分の望みを叶えることばかりに精一杯になっていて、他の人の犠牲を全く考えていなかった。彼は大いに己を恥じた。そして、自衛隊失格だと痛感した。

「……きっと自衛隊の方で私を殺せって命令が出てるんでしょ? 雄也は優しいから私が殺される前に私を治したかったんだよね。ありがとう。私、雄也のそうゆう所が大好き。」

 命令が出ていることを言い当てられて雄也はちょっとびっくりした。

「奈津には適わないな。」

 奈津は苦笑しながら立ち上がって、

「また来てくれると嬉しいな。最近は発作が起こらないから。」

と言った。どうやら発作が起こると爆発が起こるらしい。

「私、雄也になら殺されてもいいよ。」

 疲れた顔で笑う彼女の向こう側が少しづつ明るくなってきている。雄也は泣いているのを気づかれないように急いで本部へ帰った。


 それから雄也は、長谷川の見舞いの後奈津との面会というルーチンを出動がない日は欠かさずおこなった。その間に多くの、手が発光した人々(発光者)は討伐されていった。奈津の言葉が食い込むように雄也の頭を反芻し続けていたが、雄也は未だ諦めがつかずにいたので、日ごとに発光者が討伐されていくことに焦りを感じ始めていた。そんな中で行われた会議で、雄也に追い打ちをかけることが起こった。発光者の一人が奈津であることが判明してしまったのだ。中でも彼女は強力な個体であることも分かって、直ちに討伐するよう命令が出た。

 その日の夜、雄也は突然隊長に呼び出された。部屋には雄也と隊長の二人きりで空気が張り詰めている。

「どうなさったのですか。」

 隊長は遠く窓の外を見ている。その前のテーブルには、雄也と奈津の密会を捉えた写真が置かれていた。

「木更津、それは一体なんだ? なぜ発光者と楽しそうにしている。まさかあれか、お前が散々探し回っていた例の恋人か?」

 言いながら雄也を睨む隊長の眼光は、彼を石にした。彼はこういう時に気の利いた言い訳を考えるのが最も苦手だった。

「……すみません……でした。」

「お前がさっさとヤツを殺さないおかげで、今も誰かの命が消えていくんだ。分るよな? お前は長谷川や他の隊員だけでなく民間人まで殺めたいのか?」

「そんなわけないじゃないですか! 私だって早くこの地獄を終わらせたい、一人でも多く助けたいと思っているんです。だけど……。」

「だけど?」

「……彼女たちも、人じゃないですか……。」

「まだ寝ぼけた事をいっているのか。いいか? ヤツらは危険個体だ。ああなってしまった以上、もう人ではない。」

 雄也は、隊長のその一言で一気に頭に血が駆け上っていくのを感じた。そして次の瞬間には、隊長の鼻先に拳を突き出していた。しかし隊長は依然余裕な様子で、

「……誠実なお前には出来ないよな、そんなこと。だって、大量に人を殺めた発光者にすら同情するような奴だもんな?」

 そして隊長は雄也の耳元まで来てこう呟いた。

「お前は自衛隊失格だ。」

 この言葉は雄也にとって最も痛手であった。自分が自衛隊失格であることは自分がよく分かっている。しかし隊長は追撃の手を緩めない。

「個人の感情だけで勝手な行動をして、人々の被害などお構いなし。もっとも、今はもう自衛隊ではなく軍隊の様相を呈してはいるが、そんな奴に自衛隊が務まるかね?」

「……お構いなしなわけじゃ……。」

「言い訳はいらんッ! とにかく、貴様には自衛隊をやめてもらう。」

 雄也は黙然とした。彼は今日までに何度も辞表を渡そうとしては止めを繰り返していたが、逃げるような形で責任を取ったと言うことを彼の生来の正義感は許さなかった。だからこの辞表を出す絶好の機会に於いても、彼はすぐに辞職の意を決することができなかったのだ。

「……だが、こう人手も足りん時に抜けられるのも少々困る。そこで、お前にチャンスをやろう。今回のことをもみ消すチャンスだ。」

「チャンス……それは一体何を……?」

「簡単なミッションさ。塩原 奈津、こいつを殺せ。お前の手で。」

 隊長は写真を指でトントン付きながら不敵な笑みで言った。

「他の人の命をみんな見捨てて恋人を取るか、一人の犠牲で残りの国民何百万の命を救い出すか、どっちがいい?」

 雄也は元来意志の固い男である。我々の努力こそがこの国の平和と安定の命綱である、という信念を持ってやってきた雄也にはどうしてもこの信念を曲げることはできなかった。

「……分かりました。やります。」


 翌日も爆発は起こった。しかしその場所は、申し合わせたかのように雄也にとって最も残酷な場所で、そこにいた発光者も、今回ばかりは彼が最も会いたくなかった人だった。この頃は季節もよく分からないほどに日本は崩壊してしまったが、現場には一本の桜の木が鮮やかな桃色を纏って佇立している。そんな穏やかな風景とは反対に、隊員達は奈津の四方を包囲して殺気をみなぎらせていた。奈津は隊員たちの真ん中から雄也に話しかける。

「ここ、雄也が私に告白してくれた場所だよね。この桜も、よく覚えてる。良かった、壊さなくて。」

「うん。」

「私ね、ずっと怖くて、寂しくて、そして何よりも皆に申し訳なかった。大事なものが次々に壊れていくのが耐えられなった。何度も死のう死のうと思ったけど、いざ死ぬとなると怖くなって、結局今日まで生きてきちゃった。……私って最低だよね。卑怯で臆病でわがままな女だよ。」

「そんなことない!」

「ふふ、やっぱり雄也は優しいね。昔からずっと……。だから、そんな雄也にまた会えた時、とっても嬉しかった。ちょっとだけ心が軽くなったみたい。その時同時に決心もついたの。雄也になら殺されてもいいって。雄也、私の最期のお願い、聞いてくれる?」

 そこまで奈津が言ったとき、突然隊長が割り込んできて、

「塩原 奈津さん、ご安心ください。この男、木更津が必ずやあなたのお望みを叶えてくれるでしょう。」

と不気味な紳士を気取った口調で言った。そしてすぐに雄也を蛇のような目で一瞥し、他の隊員に銃を下げるよう指示をした。こうなってしまってはもう雄也は引き下がることはできない。

「……分かった。」

とだけ言って、機関銃の銃口を奈津の額に向ける。周りは皆運命の瞬間を今か今かと待ち望んで息をのんでいる。雄也は肩を上下させて何度も深呼吸をするが、一向引き金を引く決心がつかない。五分が過ぎる。十分経つ。十五分してもまだ銃を構えて固まっている雄也にとうとうしびれを切らせた隊長が怒鳴りつけた。

「どうしたッ、何をしている。早く撃ち殺せッ! これは命令だぞッ! まさか、あの事を忘れたわけじゃなかろうな?」

 周りの隊員たちもじれったそうにして雄也を睨みつけ、中には貧乏ゆすりをしだした者もある。雄也は構えた機関銃をガチガチと震わせながら立ち竦んでいた。何度も何度も自分に言い聞かせながら。これは人類のため、これは人類のため、これは人類の……。その時ふと、奈津が両腕を広げて、

「さあ、雄也、早く悪夢を終わらせて。」

と言った。その言葉には、奈津の不安、怒り、やるせなさ、落胆、覚悟、強さ、清らかさ、優しさ、愛情の全てが、奈津の全てがこもっていた。彼女は笑っていた。どうしようもなく悲しい顔で、微笑みかけている。十数年愛し続けた人の最期にこんな顔をさせなければならない事が、雄也にとってこの上ない罪悪のように感じられてきた。胸が突き刺されるように痛い。雄也は全身に力を入れて、ある決心をした。

「もう我慢ならんッ! 木更津ッ、そこをどけ、私が殺る。」

 そう言って隊長がづけづけと雄也のもとへ歩き出した。雄也は物凄い反応速度で振り向き、隊長の靴すれすれの地面を撃った。隊長は後ろに跳ね飛んで尻もちをついて、目を丸くしてこちらを見ている。

「な、何をする……、お前、分かってるよな……?」

「すみません。ですが、僕は止める気はありません。」

 そういうと雄也は持っていた機関銃を捨てて奈津のもとへ歩きだした。

「何してるのッ? 早く撃ってよ! 雄也が殺してくれるから覚悟が出来たのに!」

 奈津の叫びにも狼狽えることなく、尚も敢然とした顔で歩く。

「ねえッ、何とか言ってよッ……。私……もう何も壊したくない……。」

 雄也は奈津の心を痛いほどよく分かっていた。彼女はずっと孤独だった。この地球上で最も心優しい少女は、この地球上で最も残酷な力をなすり付けられた。きっと彼女は死ぬことを何よりも望んでいるはずだ。しかしそれでは彼女の孤独は永劫拭われない。せめて最期くらいは幸せに満ち足りて欲しい。雄也はその強い思いを一滴残らず伝えるように奈津を抱きしめた。

「……奈津、寂しい思いをさせたね。一緒にいこう。俺はどこへでも一緒にいくよ。」

「……雄也……どうして……。」

「言ったじゃないか、俺は奈津が一番好き。この世界の誰よりもお前が大好きなんだ。これは俺のわがままでもあるんだ、それならいいよね?」

「……もう……ばか……、私だって大好きなんだから!」

 雄也の足先から徐々にペイルブルーの光が上がってくる。奈津の体が緊張しているのを感じた。

「いいよ、力を抜いて。」

「じゃあ…。」

 そういうと奈津は、雄也の右の腰から拳銃を取り出して、自身の頭に銃口をぴたりと付けた。

「雄也のことだから、自分だけ先にいっちゃう気でしょ?」

「やっぱ奈津には敵わん。」

「ふふ。ずっと一緒だよ?」

「ああ、ずっと一緒。」

「……ありがとう……。」

 そうして二人は抱き合ったまま、優しい銃声の中で星のように消えていった。最期の破壊は今までの中で最も穏やかなものだった。二人の立っていた地面には、ネモフィラの花が咲いていた。

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