第35話 黄泉領事館 2日目 4
古ぼけた平屋の家屋には幼少期に訪れた祖父母の家に似た空気があった。
予期せぬ格好で昨日助けたランジュと再開を果たしたタケルは、二人の少女からの険しい視線に晒されながら裏庭の花畑に案内されてきた。
玄関先で裏庭の花を何本か譲ってもらえないかと、家の持ち主であるランジュに交渉したところ、渋々といった様子ではあったものの、了承を得ることができた。
そのまま裏庭に移動するランジュのあとをついてきたものの、気まずい雰囲気にタケルはややテンパりはじめていた。
「えっと……ここ、ランジュちゃんの家だったんだね」
気まずい間を埋めるために適当に話題を選んで話しかけると、ランジュは怯えた様子で肩をすくませて小さく頷いた。
「は、はい……あの、それを知ってどうするつもりですか?」
「え? いや、どうもしないけど………」
「ほんとうですか? わたしのことを見張ったり、後を着けてきたりしませんか?」
「いやいや! しないよ!」
昨日偶然知り合った男が急に訪ねてきて警戒する気持ちはわかるけれど、やや失礼なランジュの言葉にタケルはショックを受けた。
「ねえ、ふたりってどういう関係なの?」
なんとなくムッとした顔をしていたコハルがタケルの後ろから声をかけた。
タケルは歩く速度を落としてコハルと並ぶ。
「昨日偶然知り合ったんだ」
「どこで?」
「町の外で」
「……それ、聞いてないんだけど。なんで話してくれなかったの?」
「いや……実は彼女、なんていうか……狂暴な動物に追いかけられてて、そこに偶然居合わせたんだ。なんとかその動物を追い払ったんだけど。コハルちゃんに話さなかったのは、ランジュちゃんの話をすると、狂暴な動物の話も一緒にしなきゃいけないから。怖がらせちゃうかなと思って」
「それって魔獣のこと? それならあたしもハクヤさんから聞いたから知ってるけど」
「あ、そうか……」
タケルの受けた説明と同じ説明をコハルも受けたのだから、その存在を知っているのは当たり前のことだ。
「いや、そうじゃなくて……魔獣が存在していることは知らされていても、すぐ近くに出たなんて知ったらきっと怖い思いをさせると思って、黙ってたんだ」
コハルの眉間に寄っていた皺が引き伸ばされて消えた。
「え、そうなの? あたしを怖がらせないために、だまっててくれたんだ……」
嬉しそうな、それでも納得できないような複雑な顔のコハルを見て、タケルは騙したようで申し訳ない気持ちになった。
『なんじゃ、この娘見た目以上にチョロいではないか』
(おいエムリス、いきなり出てきてチョロいとかいうな)
『お主も思ったくせに』
(思っただけで口にしてないだろ)
花畑の中で腰を屈めて、ハサミで鮮やかな黄金色のククの花を摘んでいたランジュがすっと立ち上がった。三本ほどを束ねて紐でくくり、水で湿らせた布を切り口に巻いておずおずとタケルの前に差し出してきた。
「ど、どうぞ……」
「ありがとう。それで申し訳ないんだけど、花の代金はすこし待ってもらえるかな? この世界の……じゃなかった、今……お金なくて」
日本からの転生者であることが異世界の人にバレてはいけない、という制約を思い出して、タケルは慌てて言葉を濁した。
ランジュら小さく、それでもはっきりと首を横に振った。
「代金は結構です。もともとこの家の裏庭に生えていたものですので」
「え、そうなの? ランジュちゃんが育成したわけじゃないんだ?」
「わたしはずっとこの家に住んでいるわけではないので……」
古い家屋は手入れこそ行き届いているものの年季はかなりのものに見えた。あちこちに修繕のあとが見られるが、中には増築ともいえそうな大きな改築のあともある。
「ひとりで住んでるの?」
「え? えっと……」
なぜか言い淀むランジュを不思議に思っていると、背後から脇腹をつつかれて、タケルは気持ち悪く体をくねらせた。
「ちょあっ!? な、なんだよ……!」
「デリカシーないこと言わないの!」
ムッとした顔のコハルに怒られて、タケルは首を捻る。
はあ、とため息をついたコハルが手でタケルに屈むように促す。
「ん?」
腰を落としてコハルに顔を寄せると、同時にコハルの顔が耳元に迫ってきた。
「あんまりよく知らない男の人にひとりで住んでるなんて知られたくないに決まってるでしょ」
「……あ」
言われてようやく気がつき、配慮が欠けた質問をしたことを悔いた。
「ごめんランジュちゃん、ひとりで住んでるかって聞いたことには深い意味はなくて……家の修理とか手入れとか大変そうだなって思っただけなんだ」
ランジュからの警戒した視線が少しだけ和らいだ。
「……ここにはおじいさんとおばあさんが住んでいました。わたしを育ててくれた人です」
「本当の祖父母じゃない、てこと?」
「はい」
「住んでいた、っていうのは?」
「先日亡くなりました。おじいさんは一年くらい前に。だから今はわたしひとりです」
「そうか……」
こんなときなんと声をかければいいのかタケルにはわからなかった。御愁傷様とか残念だったとか、わかりきったことを繰り返し言われても慰めにはならないだろうと思う。
「ねえ」
コハルに呼ばれて、ランジュは一瞬目を見開いて驚きの顔をした。
「は、はい……!」
「あたし、コハルっていうの。あなたは、ランジュさんていうのよね?」
「はい……」
「あたし、実はこの町に来たばっかりで、町のこととかぜんぜんわからないの。このお花を届けるのが今日のお仕事なんだけど、届け先の場所とかわからないから、よかったら案内してくれないかしら」
「え?」
戸惑うランジュと目があった。タケルは頷いて「もしよかったらお願いしたい」と促す。
「……はい」
頷くランジュの顔はわずかに綻んでいた。
タケルが引き受けた仕事は、依頼書の内容自体は簡潔だったものの、資料の枚数は多かった。
理由は依頼書に書かれた花の特徴がイラストで描かれていることと、届け先の家が近くの風景込みでイラストで描かれているからだった。
ランジュを連れて家を出た三人は、疎らに民家が点在する静かな砂利道をゆっくりと歩いて町の中心に向かっていた。
道すがら、依頼人の家が描かれた紙をランジュに見せてみる。
「これ、どこだかわかる? 住所もなにも書いてなくて場所がわからないんだよね」
渡された紙を手に取りつつ、ランジュは「じゅーしょ?」と復唱して首をかしげた。
「ひょっとしてこっちって住所ないのか……!」
タケルが眉をひそませると、コハルも「そっか!」と納得した。
「だから絵で場所を渡されたってこと? そんなのこの町に詳しくないわたしたちが見つけられるわけないじゃない!」
「ランジュちゃんはぼくたちよりこの町に詳しいと思うし、心当たりがあったら教えてもらえたら助かるんだけど……」
藁半紙に書かれた絵は依頼者が描いたものだろう。簡易的なものではあるが特徴的な木や建物が描写されていて描き慣れていることがわかる。しかし途中からインクが足りなくなったらしく掠れていて、半分消えかけたような幻想的な演出がされてしまっている。線もよれよれで、どこか力ない感じがした。
「ここ、知ってる」
とティアがつぶやく。
「ティアおばあちゃんのお家……」
「ティアおばあちゃん?」
「はい。わたしを育ててくれたおばあさんと交遊があって。先日旦那さんがなくなったと……」
ランジュはハッとしてタケルが持っていたククの花を見た。
「これ、もしかしたら旦那さんに手向けるお花だったのかも……」
墓前か仏前かはわからないが、異世界にも死者へ花を手向ける風習があるらしい。漠然とそんなことを考えているタケルの目に、そわそわと落ち着かないランジュの様子が映った。
「どうしたの?」
「その……このお花じゃ、だめかも……」
「え? どうして?」
「これ、形は同じでも、色が違うから。亡くなられた人へ贈るククの花は、白銀。花言葉は、旅の無事を祈る。別れの挨拶。黄色いククの花だと友愛とか健康とかだから、意味が違ってきちゃうかもしれません……」
「じゃあ、もう一度ランジュの家に戻りましょう」
善は急げと踵を返すコハルに、ランジュが「待ってください」と声をかける。
「あの庭に白いククの花は咲いていません。見かけたことがないので」
「他にどこか取れる場所は知らないかな?」
ランジュは顎を指先で支えて思案する?
「この国の中にはないかもしれません……」
「てことは、外にならあるってことだね?」
タケルの問いかけに、ランジュはためらいがちに頷いた。
「どの辺りか教えてもらっていい? 取りに行ってくるから」
「え? 待ってよ、城壁の外には魔獣がいるんでしょ?」
コハルが困惑しながらタケルの服の裾を掴む。
「うーん、でも出たのは昨日だし。もういないかも」
それも、タケルとエムリスがそこそこの致命傷を与えて追い返している。あの魔獣と二日連続で遭遇する確率は低いように思われた。
「言葉で説明するのは難しいですね……」
とランジュも消極的な返事だった。
『なんなら妾が案内してなやろうか?』
ナビゲーターを買って出たのは意外にもエムリスだった。
(わかるのか?)
『当たり前じゃ。何年この地に生きていると思っておる』
(じゃあ……)
「わたしも一緒に行きます」
「頼むよ……え?」
突然割って入ったランジュの言葉につい反応して答えてしまった。
「はい……!」
と力強く返事をするランジュの隣でコハルが「は?」と言いたげな顔でタケルを見ている。
キャッチャーからの指示を否定するかのようにタケル無言で首を振って、自分のせいじゃないとアピールした。
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