第34話 黄泉領事館 2日目 3

「おお……!」


 黄泉領事館を一歩出たコハルは、目の前に広がる光景に瞳を輝かせて唸った。

 公園のような円形の広場は午前の爽やかな日差しを浴びて美しく輝いていた。広場をぐるりと囲う欅に似た街路樹の下を多くの現地民が闊歩している。

 木とレンガで作られた商店が街路樹の奥で城壁のよう立ち並び、飲食店から衣服、雑貨、書物など様々な店が営業をはじめていた。

 広場から十字に伸びる道から老若男女様々な人が出入りして、活気のある様子が伺える。

 中世のヨーロッパを舞台にした映画のワンシーンのような光景に、タケルも密かに感動した。


(昨日広場を通り抜けたときにはなにも感じなかったのに……隣にコハルちゃんがいるからなのか?)

『この程度の光景でなにを感動しておるのじゃ。この世界にはさらに美しい景色がいくらでもあるというのに』

(今言うことじゃないだろ。風情のないやつだな)


 空気を読まないエムリスに腹を立てていると、コハルがタケルの袖を引いた。


「ねえ、まずはどこに行くの?」

「落ち着きなって。実はさっき掲示板に貼ってあった依頼をひとつ引き受けてきたんだ。この町の南側にある農園で栽培されている花を採集して依頼者に届けるってやつ」

「お花を摘んで届けるだけでお金が貰えるの?」

「そうみたいだね。簡単な依頼内容だから金額は安いらしい。だから数日前から掲載されてはいたけど、誰も引き受けてなかったんだって」


 ポケットから折り畳まれた藁半紙を取り出し、カサカサと開く。異世界オルエンスの言語は読めないものの、黄泉領事館では日本語に翻訳して書かれている。読み書きはできなくても言葉は理解できるため日常生活で苦労することはほとんどないとも説明を受けた。

 コハルが手元の依頼内容の紙を見ようとして首を伸ばす。


「報酬って?」

「1000モンだって。モンてのはこの世界のお金の単位らしい。1モン1円として考えてくれればいいって言われたよ」

「じゃあ、この仕事は1000円てことになるのね……1000円じゃ服って買えなくない?」


 眉間に皺を作って見上げるコハルを、タケルはフフンと得意気に見下ろす。


「まあこの依頼事態は安いけど、仕事の途中で他にもお金になりそうなものが見つかるかもしれない。RPGとかってそんな感じだし」

「ゲームの話じゃん」


 コハルはぷくっと頬を膨らませる。いい考えだと思ったのだが、コハルはお気に召さなかったらしい。


「とにかく、散歩がてら町の南側まで行ってみようよ」


 依頼書をポケットに仕舞うと、代わりに折り畳み式の簡易的な地図を取り出した。


「南側に行くには……あの道路から行けばいいみたいだ」


 円形広場から十字に伸びている通路のうち、向かって右側の道を指差す。


「じゃあ行こうか」

「うん」


 自然と横並びになって幅広の石畳の道を歩き始めた。


 円形の広場を抜けると住宅街に入った。

 石造りの道はアップダウンが激しく入り組んでもいるが、背の高い家が少ないせいか圧迫感はない。

 暑くもなく寒くもない気温は日本でいうところの5月相当の気候に似ていた。湿度が少なく乾燥しているため実際の気温より低めに体感しているかもしれない。


「いい天気……」


 そよ風に靡く前髪を指先で整えながら呟いたコハルの声がすんなり聞こえてきた。


「うん。人通りが少ないせいか、この辺りはすごく静かだね」


 《ソルエニーク》に来てから城門の前やメインストリートとなる大通りとその裏路地しか見ていなかったタケルにとっても、日曜日の昼下がりのような静かな町の様子は新鮮だった。

 地図によると町の南側は郊外に当たるらしく、城壁の敷地内といえ民家はまばらになり、農業と工芸が盛んな地域となってくるとのことだった。

 スマートフォンのナビ機能も検索も使えない状態で知らない町を歩くのはタケルにとってもはじめてのことだ。案はあるものの、スマートフォンを見ない代わりに周りの様子に目がいくためにじっくりと周囲を見ながら歩くことができた。


「ねえ、あれじゃない?」


 コハルに背中の服を捕まれて、強引に引き戻された。

 指差す先を見ると、防風林に覆われた古びた家屋の裏庭に多種多様の花がところ狭しと咲き乱れていた。

 その中に、依頼書に記されたイラストに似た、多弁の白い花が咲いているのを見つけた。


「……たぶん間違いない。ククの花だ」


 裏庭に入ろうとするタケルは、後ろから服を引っ張られて首が締まった。


「ぐえっ」

「ちょっと、どこ行くのよ!」

「いや、花を取りに行くんだよ」

「ここって人の家でしょ! 勝手に入って勝手にお花を取ったら泥棒じゃない!」


 確かにその通りだと、タケルは反省した。ただ、言い分はある。


「だって、RPGだとこういうのは勝手に採集していいものだし」

「ここゲームの世界じゃないでしょ!」

「……はい」

「お家の人に声をかけて、庭のお花を摘ませて貰いましょう」


 コハルはまっすぐ家の玄関へと向かい、迷わず扉を叩いた。


「スミマセーン! どなたかいませんかー?」


 しばらく待っても返事はなかった。


「いないのかしら?」


 コハルが首をかしげると同時に、傷だらけの古ぼけた扉が薄く開けられ、隙間から白い顔が半分覗き見えた。


「どちらさまですか?」


 長い銀髪で目元を隠した幼い顔には見覚えがあった。


「あれ?」


 タケルが疑問に思う内にコハルが扉の隙間に顔を寄せる。


「あの、あたしコハルっていいます。このお家の裏庭に生えてるお花をすこし摘ませてもらえませんか?」

「えっと……どれでしょう? ものによっては毒があったりして危ないので」

「毒!? 」


 ひえっ! とコハルが悲鳴を上げて顔をひきつらせる。

 ドアがさらに開いて、見覚えのある女の子が顔を付き出してきた。


「あ、でもちゃんと使えば薬になるものだったりするから……! わたしも一緒に見に行くので、それでも良ければ、どうぞ」

「ほんと!? ありがとう!」

「てゆうか、君、ランジュちゃんだよね?」

「え?」

「は?」


 白い髪の女の子からはともかく、コハルからも驚きの声と一緒に訝しそうな顔がタケルに向けられた。


「あ、あなたは昨日の……!」


 途端にランジュの表情が驚きから険しい顔に変わる。


「ちょっとおにいさん! 昨日のってなんのこと!? あたし聞いてないんだけど!?」


 ランジュのみならずコハルの表情も険しいものにかわり、タケルの立場は一気に悪くなった。

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