第33話 黄泉領事館 2日目 2

「じゃあ、おにいさんが悪いじゃん」


 食堂で対面の席に座ったコハルが木製のコップから顔を上げつつ言った。


「そうなんだけどさ……」


 渋い顔をしながらタケルが顔を伏せてプレートの上のサラダを貪る。

 コハルと朝食を取りながら今朝起きた出来事を愚痴っぽく話したところ、一方的に殴られたことを同情してくれるかと思いきや、逆に正論でねじ伏せられた。

 昨夜食堂を占領していたハルアキたちの姿はなかった。さすがに寝泊まりまで食堂でしているわけではないらしい。

 異世界オルエンスに居を構える黄泉領事館の朝食は、学校給食のように決まった献立の料理を提供する形のものだった。

 今朝の献立はパンとバター。塩辛いベーコン風の肉と山盛りのサラダ。コンソメに近い味のスープ。そして林檎のような果実がまるごと一つ提供された。

 サラダと肉をパンに挟んだ疑似サンドイッチを食べ終えたタケルは、皿の上に食べかけのサンドイッチが乗せられていることに気づいて顔を上げた。


「食べないの?」


 コハルは眉間に皺をつくってお腹をポンと叩いた。


「もうお腹いっぱい」

「そっか。じゃあ遠慮なく貰うね」


 渡されたサンドイッチには小さな歯形がいくつも残されていた。タケルには、コハルの食べかけを貰うことに抵抗はないが、コハルはタケルが自分の食べかけを食べることに抵抗はないのかと気になった。


「な、なにじろじろ見てるのよ?」

「なんでもない」


 コハルはなにも気にしていない、と判断して、タケルは半分残されたサンドイッチを口に含んだ。


「これ、ちょっと食べたいんだけど、全部は食べられないのよね……」


 細い指先で赤い果実をころころ転がしていたコハルと目があった。


「ん? いいよ」


 とは言ったものの、さすがにコハルのりんご半分と自分のりんごひとつを食べ切る腹の余裕はないため、ひとつはポケットに入れて持って帰ることにした。


「で。今日はどうする?」


 小さくりんごを噛りながらコハルが問う。


「なにが?」

「予定! あたし、町を見てみたいんだけど、一緒に来てくれる?」

「ああ、いいよ。昨日ちょろっと案内してもらったときに見たけど、日本とは全然ちがったよ。ゲームの世界みたいだった」

「あたし、ゲームってあんまりやらないからよくわかんないけど……遊園地みたいな感じ?」

「うーん、まあ、そんな感じ。昔のヨーロッパみたいな? 行ったことないからイメージでしかないけど」

「へえ! 楽しみ!」


 果汁のついた指をぺろっと舐めてコハルが席を立つ。


「早く行きましょ!」

「ちょ……! まだぼくが食べてる途中でしょうが……!」


 黄泉領事館に併設された便利屋ギルド《YOROZU》の掲示板を睨んで、タケルは低い唸り声をあげた。


「うーん。どの仕事が割りがいいと思う?」

『……おい。もしやそれは妾に問いかけておるのか?』

(他にいないだろ。コハルちゃんは今出かける準備してるんだから)


 朝食を終えて一端部屋へ戻ることにしたタケルとコハルは、この世界での通貨を持っていないことに気がついた。

 散歩がてら町を見るだけで構わないとコハルは言うが、タケルとしてはせっかくなら食べ歩きなどして楽しく異世界で生活して欲しいと考えていた。

 それには金がいる。ハクヤから、ギルドに来ている依頼をこなす仕事をして金を稼ぐのがおすすめだと言われた。高額でなくていいから手っ取り早く金を稼げる仕事はないかと、便利屋ギルド『YOROZU』に顔を出したのだ。


「迷子のペット探しや家の掃除、畑仕事や装備の手入れなんてのもあるみたいだぞ」

『労働に勤しむなど人間とは愚かな生き物じゃ。いや、クソ真面目というべきかの』

(嫌な言い方するなあ。金を稼ぐなら働かないとだろ?)

『働く以外にも金を稼ぐ方法ならあるじゃろ』

(なんだよそれ。言ってみろよ)

『金目のものを売れば良い』

(……なるほど。でもそんなもの持ってないぞ?)

『昨日、鎖のついた指輪を拾ったではないか。値打ちは知らんが腐っても指輪じゃ。多少の資金にはなるじゃろ』

「いやいや……」

(あれはランジュって子の落とし物だろ。勝手に売るなんてことできるか)

『落とすほうが悪い』

(鬼か……とにかく、売るってのはありだけど、指輪を売るのはなしだ)


 掲示板をの前に人が集まりはじめた。朝食を終えた転生者たちが食堂や部屋から出てきたらしい。

 黄泉領事館ソルエニーク支部には総勢二十人からの転生者が日本から来ているとのことだった。初日に顔を会わせたコータとハルアキを筆頭とした不良三人、そして今朝の黒い男もその二十人のうちの一人だったということになる。


「おまたせっ」


 後ろからポンッと肩を叩かれ、声がかけられた。声からして、肩を叩いた主はコハルだとわかる。


「ああ、おかえり」


 振り向いたタケルは、出かける準備を整えたコハルを見て密かに驚いた。

 明るい栗色の髪を高い位置でポニーテールにくくり、スカーフをりぼん代わりに巻いてた。良く見ると細く編んだ髪の毛でポニーテールの束をくるりと巻いて括るという、手の込んだおしゃれをしていた。

 服も最初に着ていたTシャツではあるが、袖口を折り返して細いりぼんを巻いてあったり、同じスカートなのに先程より短く、脚を見せるなどいくつも工夫している様子が伺えた。

 その細かなお洒落が積み重なってコハルをより可愛らしくそれでいてセクシーに見せていた。


『ほれ。思ったことは言ってやらんと伝わらんぞ』

(ぼくはそんなキャラじゃないって……軽率に可愛いとか言ったらセクハラになるかもしれない)

『はあ? なんじゃそれは……』


 呆れた声で言ってから、エムリスは沈黙した。


「ねえ、なにか感想は?」


 ほんのり頬を染めたコハルがじろっとタケルを睨むように見上げる。

 服装の感想を聞かれているということは、さすがにタケルにも察しがついた。


「え……と、スカート、さっきより短いけど、どうなってるの?」


 コハルは露骨にムッとした顔で折り畳まれたスカートを見せてきた。

 腰の位置で折ってスカートの長さを調整しているのだ。


「それ、女子高生がよくやってるやつ?」

「中学生だってやってるから」

「そ、そうなんだ……」


 タケルは複雑そうな顔でうつ向いて目をそらした。


「なによ。あんまり嬉しそうじゃないわね」

「いや、スカートはただでさえ防御力が低いのに短くなんてしたら余計に危ないんじゃないかと思ってさ」

「紳士ぶらないでよ。ホントは興味深々のくせに」

「ひどくない?」


 憮然としながらもタケルはコハルの脚をチラ見する。当然興味はあるしなんなら好きでもある。それはそれとして、危険な目に遭う要因はつくらないで欲しいという気持ちもタケルの本心ではあった。

 しかしそれを強制するような関係ではないし、それこそコハルにとっては余計なお世話だろう。

 コハルは小さく溜め息をついた。


「持ってる服がないからできることでお洒落するしかないんだもん。しょうがないでしょ」

「なら、今日服を買おう」

「そんなお金ないでしょ」

「だから稼ごう」


 外を指差して、コハルに《YOROZU》の店舗を出ていこうと促す。

 タケルの後ろをついてきたコハルが「どうやって?」と興味深そうに問う。


「異世界だからこその稼ぎかたがあるよ」


 得意気に笑ってコハルと一緒に町に出た。

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