第31話 黄泉領事館 10
黄泉領事館の食堂は一階の入り口脇に設けられていた。会議室のような部屋に長い机と椅子が設置されていた。厨房は別の部屋にあるらしく、料理を持った女性が隣の部屋から出てくるのが見えた。
夕飯時の食堂はさぞかし賑わっているだろうと思われたが、人の姿は疎らだった。
食堂の奥の一角に、見るからにガラの悪い一団が屯しているのが見えた。ほとんど中身の残っていない酒の瓶を机の上や床に転がし、食い散らかされた料理がテーブルの上で無惨な姿を晒していた。
火のついた棒切れを口の端に咥え、口の中から煙を吐き出しながら酒を飲む。
リーダー格の体の大きな金髪を取り巻くようにずんぐりむっくりの坊主頭とひょろ長のロン毛が、ギャハハハとけたたましい笑い声を上げながら大声で会話をしていた。
「……やめよっか」
食堂の扉を開けた瞬間、タケルは彼らを見て一瞬で食事を諦めた。
立ち止まったタケルを、コハルが不満そうに見上げる。
「え、なんで? あたしお腹空いてるんだけど」
「ほら……先客がいるし」
「席ならたくさん空いてるじゃない」
彼らに関わりたくない、というタケルの思いにコハルが気づく様子はなかった。
「あ、誰お前ら。新入り?」
ひょろ長のロン毛が眠そうな三白眼をタケルたちに向けた。その声につられて金髪と坊主頭の顔も動いた。
「おわっ。女の子じゃん。かわいー」
「はあ? ガキじゃん。お前ほんとロリコンだな」
「うるせえ熟女好き」
「ああ? なんだとてめえ?」
勝手に言い争いを始めた坊主頭とロン毛を、金髪の男が机を蹴って黙らせた。
「うるせえぞリュウ、タカ」
「わ、わりい」
大人しくなった二人には目もくれずに、金髪の男がタケルとコハルに目を向ける。
「おい。ちょっとこい」
指を指されてタケルは後ずさった。
「こいっつってんだろ」
金髪の声が荒くなる。
「なにあの人、偉そうに!」
ぷんっと怒ったコハルが頬を膨らませる。
「あ、あんまり刺激しないほうがいいよ」
と言ってるそばから、コハルが勝手に男たちの方に向けて歩いていった。
「え? ……はあ、もう」
渋々、タケルもコハルと一緒に男たちのもとに向かう。
コハルは腰に手を当てて、金髪男の目を見ながら「なに?」と問いかけた。
金髪の男は火のついた木の枝を挟んだ指先をコハルに向けた。
「お前ら新入りか?」
「そうだけど」
「名前は?」
「人に名前を訪ねるときは自分から名乗るのが礼儀でしょ?」
「うおっ! 気ぃつよ! かーわいー」
「バーカ、女は大人しいほうがいいに決まってるだろ」
好き勝手話すロン毛と坊主頭を無視して金髪の男がニヤリと笑う。
「俺ァハルアキってんだ。この屋敷をウラで仕切ってる」
ウラで仕切ってる、という言葉はタケルにとってはトラウマだった。高校生のころ「この学校をウラで仕切ってる」という連中から何度か絡まれたことがあった。表で仕切ってるのが教師なら、ウラで仕切っている不良学生もいるらしい。こういった連中とは関わらないか、どうしても関わらなければならないときは、反抗的な態度は取らないのが吉だ。
「は、はじめまして! ぼくはその……」
「コハルよ。今日ここに来たの」
「そうか。この領事館のトップはユーサクとかいう野郎らしいが、ここは俺のシマでもある。俺の許可無しに勝手に使うことは許さねえ」
「おお……」
怯みつつも、タケルはコテコテの脅し文句に少し感動した。
「嫌よ!」
流れをぶったぎるコハルの声にその場にいた全員が注目した。
「ちょっと、コハルちゃん……!」
「ここってみんなで使う共同スペースのはずでしょう? どうしてあなたの許可がいるの?」
「言っただろ。ここはおれのシマだって」
「なによ、シマって! ここは陸地なんだけど!」
「縄張りって意味だ。ここでは俺がルールだ」
ハルアキの顔がずいっとコハルに迫る。いわゆるメンチを切るというやつだ。間近から睨まれて、コハルも少し顎を引いて後ずさる。
「おまえ、顔はいいのに性格が残念だなあ。女はお淑やかなほうがいい。俺が口の聞き方を教えてやるぜ」
ハルアキがコハルの細い腕を掴む。
「そ、そんなのアンタの好みじゃない! 余計なお世話よ! 離して!」
捕まれた腕を振りほどこうとするが、びくともしていない。
「女は年上のほうがいいんだけどなあ。腹がたるんで尻がでかいほうが興奮する」
「バーカ。幼いうちから自分好みに育てるのがいいんじゃねえか」
ロン毛と坊主頭が好き勝手話しながらギャハハハと笑う。
「ちょ、ちょっと待ってよ!」
タケルはとっさにハルアキの腕を掴んだ。タケルの腕の倍はある腕は固い筋肉で覆われた腕を掴んだ瞬間、腕力の違いを思い知らされて、タケルはゾッと背筋を粟だたさた。
次の瞬間、視界がぶれて、タケルは床の上に仰向けに転がった。
脇腹がジンジンと熱くなり、全身が痛み始めた。
「ぐぅ……い、……てえ……」
呻きながら上半身を起こすと、振り上げていた足を下ろすハルアキと目が合った。
「触んな、クソガキ」
瞳孔の開いた目でハルアキが睨み付けている。
蹴られた、と思った死ぬ瞬間、全身から嫌な汗が吹き出して、心臓がドクドクと鳴った。
『おい、お主。もう一度あの男の子腕を握れ』
立ちあがりつつ、頭のなかで聞こえた声に(……なんでだよ)と聞いた。
『手のひらに熱を集中力させておる。触れるだけであの男を丸焦げにさせられるぞ』
(そんなことはしなくていい。魔法を解除してくれ)
『なぜじゃ? あの男に腹を立てておるんじゃろ? 殺したいほどに』
(そんなふうに思ってない……ムカついてはいるけど)
『いい加減あきらめろ。妾に嘘をつくことはできぬ』
(思ってても実行しちゃいけないことはあるんだよ。いいから……)
坊主頭の男が席を立ち、タケルの前に歩み寄ってきた。
「野郎にようはねーんだよ。おめーはさっさと消えな」
タケルの胸元に坊主頭の手が延びる。
「触るな!」
考える前にタケルは吠えるような大声で叫んでいた。
「うおっ! 声でかっ」
驚いた坊主頭の男は思わず手を引っ込めた。
今、タケルの表面温度は石も溶かすほどに上昇していると思われる。その熱の有効距離がどの程度かはタケルはわからないが、触れた相手が無事で済むとは思えない。
普段出すことのない大声を出したことで、タケルは喉を痛めた。
「威勢がいいじゃねえか」
ハルアキが立ち上がり、タケルを睥睨する。
タケルはハルアキを見ずに頭を下げたまま姿勢を正した。そのまま正座に直り、揃えた両指の上に額を押しつけた。
「コハルちゃんには手を出さないでください。お願いします」
土下座をするタケルの頭上で、ププッと吹き出す笑い声が聞こえた。
「土下座とか久々に見たわ」
「一瞬イキった後にノータイムで土下座とかクソだせえんだけど。おれなら死んでも土下座とかしたくねえわ」
笑い声が聞こえたあとに、すぐ近くで「おい」とハルアキの声が聞こえた。
「二度と俺たちに歯向かうんじゃねえぞ。次はねえからな」
「わかった」
グリッと肩を踏まれた。
「わかりましただろ」
「わ、わかりました」
チッと舌を打つ音を残して、ハルアキの気配が遠ざかった。
「おい、本当に女の子も返しちまうのかよ?」
坊主頭がハルアキに問いかける声が聞こえた。
「ああ? 別にいいわ。考えてみたら俺、ロリコンじゃなかったし」
「だよな」とロン毛の声。
「ハルアキもちょっと肉がたるんだくらいの女のほうがいいよな!」
「お前とは一生趣味が合わねえわ」
そんな会話が遠ざかっていく。
「いてて……」
顔を上げると、コハルが心配そうに顔を覗き込んできた。
「大丈夫?」
「うん」
手を借りて助け起こしてもらいながら、二人で食堂を出ていく。
毛足の長い絨毯の敷き詰められた廊下を、コハルが地団駄を踏みながら歩いていた。
「もう! なによあれ! ムカつく! 絶対許せない!」
「まあまあ」
宥めるタケルをコハルはジロッと睨みつけた。
「おにいさんもさ! なんで土下座なんてするの? 言われっぱなしで悔しくないわけ?」
「うーん、まあ、腹は立つけどね。でも、あーゆーのには関わらないのが一番だから」
「だからって土下座までする? 触るな、とか言うから反撃するのかと思ったのに」
「いや……ぼくに触れたら、あの人に大怪我させちゃうから」
「……は?」
なに言ってんだこいつ? とコハルの顔が言っていた。
「と、とにかく、同じ異世界転者同士で争うのはよくないよ」
「……ふん。わかったわよ」
あまりわかったようには見えない態度でコハルは頷いた。
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