第29話 黄泉領事館 8
美しい彫刻と年期の入った焦げ茶色の階段を、手すりに体重を預けながら登る。あてがわれた部屋は番号からして、タケルの自室は2階にあると思われた。
(おい)
『……』
(居留守をつかうなエムリス。無理があるだろ)
『……ぐー』
(寝たふりもやめろ)
ダルそうな気配を滲ませてエムリスが口を開く気配がした。
『……なんじゃ? ふりなどではなく、妾は本気で疲れておるんじゃが?』
(あれ、そうだったのか? もしかして途中から口数が減ったのも疲れたからだったのか?)
『そうじゃ。もちろん、以前の妾なら多少魔法を使った戦闘をしたり、動き回ったくらいで疲れたりなどせぬ。この疲労はお主の疲労を妾も感じておるからじゃ』
(またぼくのせいかよ)
『そう拗ねるな。普段は感じぬが、疲労というのもなかなか心地よい。今日はよく眠れそうじゃ』
「ぼくも今すぐ眠りたいよ……」
最後の一言は思わず口からでた。肉体的な疲労ももちろん、精神的な疲労がかなり大きく感じられた。
一日の間に事故死から黄泉役所での死後手続き。そこからの転生。そして生死をかけた戦いと、盛りだくさんだった。
手触りのいい木製の壁を伝ってフラフラと2階の廊下に顔を出す。
片側が窓になった廊下の右手側に、似たような扉が5枚連なっている。
窓から差し込む夕陽はすっかり衰え、夜の気配が忍び寄って来ていた。廊下に灯された燭台の明かりのほうが光源としては強く効果を現している。
「この部屋のどれかがコハルの部屋かな?」
『お主、今からそのコハルとやらを探しに行こうなどと思うなよ?』
(は? なんで)
『疲れたと言ったろ』
エムリスは眠くて不機嫌な子供と同じような声音をしていた。
(はあ……わかったよ)
タケルは重い足を引きずって歩き、手前から二番目の扉に手を掛けた。
『あ』
「ああ?」
扉を開けながら、なにかを言いかけるエムリスに返事を返そうとした。その瞬間。
ーーゴンッ
部屋のなかで何か重いものが落ちる音がして、タケルは顔を上げた。
そこには、中腰姿勢で固まる女の子がいた。どうやら腰かけていたベッドから立ち上がろうとした瞬間だったらしい。
足元には今落としたものらしい林檎に似た赤い果実がコロコロと転がっていた。
突然扉が開いたことに驚き、赤茶色の瞳を大きく見開いて、じっとタケルを見つめている。長いブラウンの髪が乱れているところを見ると、寝起きのようにも見えた。大きめの麻のシャツがワンピースのように首もとから足の付け根までを覆い隠している
なにが起きたのか分からなかったのはタケルも同じだった。しかし、一瞬早くタケルが先に自分の失態に思い当たった。
「す、すみません……! 部屋、間違えました!」
何か言われる前に逃げろ、という気持ちで急いで反転して扉を閉めた。
「うわぁ……やっちまった……!」
部屋の前でしゃがみこんで頭を抱えた。
『あーあ。だから行ったじゃろ。誰かおるって』
(言ってねえだろそんなこと!)
『あ、とは言った。その先を言う前にお主が扉を開けてしまったんじゃ。まったくせっかちな奴じゃ』
(わかるわけねぇだろ、そんなの……)
突然、背後で扉の開く音がして、背中に衝撃を受けた。
「おわっ!?」
「え!?」
尻を押されたタケルは前のめりに倒れ込んだ。
同時に後ろから女の子の悲鳴も聞こえた。
「いてて……」
「ちょっと、なんでこんなところにしゃがんでるのよ! 間違えて扉当てちゃったじゃない!」
「はあ? いや、えっ?」
「てゆうか! なんであたしに気づかないのよ!? あなた、おにいさんでしょ!」
廊下に這いつくばったまま、タケルは仁王立ちで見下ろす少女を見上げた。
ふっくら柔らかそうな頬をぷくっと膨らませて不満全開で睨む女の子に見覚えはない。しかし、初対面のはずなのに、どこかであったような気がしてならなかった。
女の子の顔色をチラチラ伺いながらタケルは恐る恐る聞いた。
「……ひょっとして、コハルちゃん?」
じろっとタケルを睨み付けたまま、幼い顔がぐいっと鼻先に迫ってきた。
「そうよ! なんで気づかないわけ?」
「だ、だってその姿になってからは初めて会ったし……」
黄泉役所で会ったときの心春は、ザ・中学生といった幼い容姿をしていた。見ようによっては小学生にも見えたかもしれない。
ところが黄泉役所から提供された異世界での器のコハルは、少し成長していた。女性らしい膨らみがはっきりと現れ、雰囲気も大人っぽくなっている。しかし中身が中学生のコハルのものだから、容姿に反して幼い言動となっているように見える。
「ちよつと見ない間に、なんか大人っぽくなったね?」
「な!? ちょ……ど、どこ見てるのよ! ヘンタイ、ヘンタイ!」
「うう……やめて、そんなにはっきり言われるとさすがに傷つく」
「え? あ、その……ごめん」
一瞬しょぼんと顔を曇らせてから、コハルはむっと唇を尖らせた。
「でもさ、姿が変わったのなんてお互い様じゃない! でもあたしはすぐに分かったわよ!」
「……ぐうとしか言えない……」
「しかも勝手に部屋に入ってくるし! デリカシー無さすぎ! あたしの部屋だからよかったけど、他の人ならタイホよ! タイホ!」
「ごめんて」
「……ひょっとしてわざとじゃないでしょうね?」
「コハルちゃんの部屋の番号なんて知らないんだからわざと間違えるなんてことできるわけないでしょ」
本当に? といいたげなジト目で睨んでくる。
『くっくっくっ。威勢のいい女児じゃな。いいぞ。もっと言え』
(黙って寝てろ!)
はあ、とコハルがため息をついて目をそらす。
「……いいわ。今回は許してあげる」
なんとかコハルが折れてくれて、タケルはほっと息を吐き出した。
「ん」
とぶっきらぼうに言って、コハルは小さな手を差し出してくる。
「え?」
差し出されたコハルの手に、タケルは自分の手をそっと乗せた。
「お手じゃないわよ! 立ち上がるのに手を貸してあげたの!」
「あ! ああ、なるほど!」
コハルの手を借りて、タケルは立ち上がる。
黄泉役所ではタケルの鳩尾くらいだったコハルの背丈が、今は鎖骨くらいまで成長していた。
コハルは繋いだままのタケルの手を引く。
「ちょっと来て」
「え」
コハルは自分の部屋にタケルを連れ込んで部屋の扉を閉めた。
調度品は豪華で鏡のついた机もスツールもベッドも華やかに見えるものの、使われてた形跡がないせいで生活感がないように見えた。
「座って」
ベッドを指示されて、タケルは戸惑いながらその縁にちょこんと腰かけた。
ベッドの縁に座るタケルの目線は、目の前に立つコハルよりほんの少し下になった。
「あ、あの……コハルちゃん?」
「今までどこにいたの?」
コハルは怒っていた。不機嫌を通り越して怒りを感じる目をしている。
「ごめん、ちょっとトラブルで……」
「起きたらすぐに迎えに行くって言ったのに」
「……うん。言った。ごめん、約束破って……」
コハルから返事はない。すぐに許せないくらいには、怒っているらしかった。
タケルにしても、トラブルに巻き込まれただけではあるのだが、それはタケルの言い分であり、言い訳でしかない。
目覚めてすぐに会いに行くという約束は破られた。事実はそれだけだった。
コハルにしても、約束を守られなかったことは悲しいし許せないと思いつつ、タケルがわざと約束を破ったわけではないと理解はしてくれているようだった。
そのせいか不機嫌にしつつもしきりに、はあ、とため息をついていた。
しばらく気まずい沈黙が続いた後に、コハルが一言、
「……次は許さないからね」
と呟く。
「うん。わかった」
タケルは答えつつ、もうコハルとの約束を破ることはないようにしようと誓った。
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