第28話 黄泉領事館 7


「では、厳守事項についてはよさそうなので、続きをお話しします。この世界には、魔法が存在し、魔獣という普通の動物とは違う危険な生物が存在します」

「……はい」


 言われるまでもなく、タケルはその存在についてよく知っている。不意に鼻の頭につけられた傷が気になって、そっと触ってみた。渇いたカサブタの感触がした。


「……もうご覧になられたのですね?」


 ハクヤの目がスッと細められた。


(……しまった!)

「ひょっとして森で目覚めたときに遭遇しましたか?」


 ハクヤの視線はどんどん鋭くなる。まるで取り調べを行う婦人警官のような目をしていた。


「え!? えっ……と……」

(な、なんでそこまでバレてるんだ? コータは、ぼくが森で目覚めたとしか言わなかったよな……)

『ばかたれ。お主の反応はわかりやすすぎじゃ』

(ええ!? ぼく、そんな分かりやすい反応してた? というか、エムリスにだってぼくの顔色なんて見えていないはずだろ?)

『顔の筋肉の動きは感じ取れるし、向こうの反応を見ればどんな顔をしておるかなどわかるわい。そもそもなぁ、魔法や魔獣の話を聞いてあんな薄い反応をしていては、知っていると言っているようなものじゃ。嘘でもよいから大袈裟に反応せんか。聞き下手め』

(う、うるさい! コミュ障にはハードル高いんだよ!)

『ひとつ忠告しておいてやろう』

(なんだよ)

『妾と体を共有しているということは、この娘には伝えるでないぞ』

(はあ!? な、なんでいきなりそんなこと……!)

『理由はいずれわかる。とにかく、妾のことは出さぬのが吉じゃ。よいな』

(ざっけんな! 理由になってねえぞ……)


「タケル様」


 ハクヤに呼ばれて意識を目の前の女性に戻した。


「は、はい」

「タケル様は、魔獣と遭遇したのにも関わらず、どうやって逃げ切ることができたのですか?」

「……いやぁ、えっと……」


 タケルは後頭部に手を当てて言い淀んだ。

 起こったことを正直に話せば、エムリスと体を共有していることをばらすことになる。直前に、それをするなとエムリスから釘を刺されたばかりだ。律儀に従う必要はないと思いつつ、これは疎かにしてはいけない類いの忠告だと、なんとなく直感していた。

 かといって、他人とまともにコミュニケーションなどとったことのないタケルは、嘘をつくことも苦手だった。

 内心のパニックはすぐに体を共有するエムリスにも伝わった。


『まったく世話が焼けるのう。すべての魔獣が人間よりも巨大で強いわけではない。遭遇した魔獣が小柄だったとすればよいではないか』


 なるほど、と思う間にエムリスに言われたこととほとんど同じことを口走っていた。


「ぼ、ぼくが見た魔獣はちいさかったんです。腰くらいまでの高さしかなくて」


 ハクヤが顎に手を当てて「……なるほど」と呟く。


「では、なぜそれが魔獣だと判断できたのですか? 《オルエンス》に来たばかりのタケル様に、魔獣と普通の動物との区別などつかないと思うのですが」

「おあ……そ、それは……」

『全身禍々しい黒で頭には角が生えていた、とでも答えればよかろう』

「か、体が黒かったんです。頭には角が生えていて、雰囲気も普通じゃなかった……!」

「どんな角ですか?」

「ど、どんな……って……」

『《ウーリア》のように渦を巻いていた』

「う、渦を巻いていたんです。《ウーリア》みたいに!」


 再びハクヤの目がすっと細められた。


「なぜ《ウーリア》をご存知なのですか?」

(し、しまったー!)

『お主バカじゃのー』

(おまえが言えっていったんだろ!)

『一言一句そのまま言うとは思わんかったわ』


 しばらく目を細めて睨んでいたハクヤは、細い顎に手を当てて「あ」と口を開いた。


「……コータ様ですね。先ほどコータ様から仄かにカバブの匂いがしました。帰りにお二人で食べてきたのですか?」

「え? あ、ああ、そ、そう……! そうです! 」

「……わかりました」


 キシッとソファーを鳴らしてハクヤが席を立つ。その音に引っ張られるようにタケルも顔を上げた。


「ひとまず、私からのお話しは以上です」


 コツコツと踵を鳴らしてタケルに近づきながら、ハクヤはポケットから鍵を取り出した。人差し指ほどの大きさのアンティークな鍵で、お尻のほうに木製の札が下げられていた。木札には《202》と書かれている。


「こちらタケル様の部屋の鍵です。タケル様がこちらの施設でお目覚めにならなかったトラブルについては、こちらで原因を調べて、後日改めてお話しを伺うことにします。今日はお疲れのことと思いますし、早めにお休みになることをお勧めします。夕食が必要でしたら一階の厨房で食べられます」


 力なく鍵を受け取ったタケルは「どうも」とだけ返し、ふたたび項垂れた。期待していた異世界転生と現実の違いにショックを隠しきれずにいた。

 頭上から「コホン」と咳払いが落ちてきた。


「申し訳ございません。こちらは応接室件、総領事室となっております。用件がお済みの方はご退室をお願いします」

「あ、はい。すみません」


 事務的に言われて、タケルは申し訳ないと思いつつも少しショックを受けた。

 部屋を出ていこうとするタケルをハクヤが見送る形になった。

 扉に手を掛けたとき、ふと思い出して、タケルは踵を返して体ごとハクヤに顔を向けた。


「そうだ、ハクヤさん。痣ってほっとけば勝手に消えるものですか?」

「アザ? ですか?」


『おい』

 エムリスが『なにを言う気だ?』と言いたげに声をかけてくるが、タケルは止まらなかった。


「さっき顔に花柄の痣がある子を見かけ……て……」


 ツカツカと踵を鳴らしてハクヤが迫ってきた。

 無表情の顔に凄みを感じる。


「どこで?」

「いえ……えっと……ま、町中でたまたま偶然……」

「どんな形ですか? 色は?」

「あ、あかっぽかったような……一瞬だったんでよく覚えてないです。すみません、すれ違いざまにチラッと見えて。変わった模様だったし、顔になんか書いてあると思って気なったもので……」

「関わってはいけませんよ」

「え?」

「彼らは魔法使いです。この国で……いえ、この世界でもっとも嫌われている人種です」


 淡々としたハクヤの言い方がさらに冷たく感じられた。


「……厳守事項は三つのはずでは?」

「それは黄泉領事館の定める厳守事項です。魔法使いに関わるな、というのはこの世界の暗黙のルールです」

「も……」

「もし関わったら、などとう質問はおやめください。私たちはあなた方の生活を補助することはできますが、保護することはできません。領事館に害が及ぶと判断された場合、あなたは私たちの敵ということになります」


 冗談を言っているようには見えなかった。 ハクヤは静かにタケルに近づくと、扉を開いて退出を促した。


「お疲れ様でした。今日はゆっくりと休んでください」


 言い方は優しげでも、どこか刺のある声音に聞こえた。

 小さく頭を下げて、タケルは応接室を後にした。

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