第27話 黄泉領事館 6

 ハクヤが細い指でコンコン、と小気味よい音を響かせてノックをする。

 暫く待っても中からの返事はなかった。人が動く気配もない。


「……どうやらユーサク様はいらっしゃらないようですね」


 想定内といった様子であっさり回れ右をしたハクヤは、総領事室の扉の前を離れると、ひとつ隣の部屋の扉を開けた。


「ユーサク様の代わりに私が手続きを行います。どうぞこちらへ」


 促されるままに隣の部屋に足を踏み入れる。

 毛足の長い絨毯の上に革張りのソファーが向かい合わせに置かれた応接室のような場所だった。

 カーテンが開けられ、窓からは目に染みるような西日が差し込んでいた。


「お掛けください」


 ハクヤに誘導されて二人掛けのソファーの真ん中に腰を下ろす。

 壁際の机の引き出しがら書類を取り出したハクヤは、羽ペンとインクを器用に片手に携えて戻ってくると、タケルの向かい側に座った。

 明るいところで見るハクヤは顔の輪郭も切れ長の少し冷たい感じのする目も、すっと通った鼻梁もすべてが整っていて、直視するのがはばかられるくらいの美人だった。


「改めまして、ようこそ異世界オルエンスへ。タケル様はリ・インカーネーション・システムの対象者となり、残りの余命を異世界で過ごすことを認められました」

「は、はあ……」


 確かにそんなことを言っていた気もするが、タケル自身はそこまで難しく考えていなかった。コハルがもう少しだけ生きられる場所があれば、どこでもよかったのだ。


「黄泉領事館はリ・インカーネーション・システムで転生された人々の生活を支援し、快適に《オルエンス》で過ごしていただくためのお手伝いをさせていただきます。ここを拠点に《オルエンス》で生活をしていただけます。基本的な衣食住はご提供させていただきますが、金銭は差し上げられません。金銭を得たい場合は、働いて稼いでいただく必要があります」


 タケルの頭にはすぐにコータの顔が浮かんだ。先輩転生者は城門で列整理のバイトをしていた。あんな感じで働き先が用意されているのだろう。


「登録していただければ日雇いの仕事をご紹介致します。町に出て求人情報を探すという方法もありますが、慣れないうちはこちらでご紹介する仕事をこなしていただくのが安全かと思われます」

「そうします」


 ハクヤは手元の書類にサラサラと文字を書き込んでいく。先に決めることを決めて、最後にサインをするタイプか、とタケルは納得した。

 顔を上げたハクヤと目が合う。


「では次に、この世界での転生者の皆様の立場をご説明致します」

「立場?」


 頷くと、ハクヤは細く綺麗な指を三本立ててタケルの目の前に付き出した。


「破ってはいけない厳守事項三つを、覚えていますか?」


 もともと愛想のなかったハクヤの顔から僅かに残っていた柔らかさも消えた。怖い話をするような威圧的な空気を感じさせる声音に、タケルは緊張した。


「お、覚えています。転生者だとバレてはいけない。生態系を乱す行為は禁止。あとは……ここの言うことは絶対」

「ここ、とは?」


 ハクヤがじっと見つめてくる。分かっていてあえて確認のために聞いてきているらしい。


「ここですよ。この《黄泉領事館》の原則に従うこと、です」


 ふっとハクヤがわずかに微笑んだ。


「そうです。逆に言えば、それさえ守っていただければ我々は常にあなた方の味方です」

「もし違反したら?」


 興味本位の半分冗談でタケルは聞いた。その直後、柔らかくなったハクヤの表情は一瞬で固くなり、眼光は鋭くなった。


「違反者を捉えて黄泉役所へ強制送還することになります。抵抗する場合は異世界専門の黄泉警察が違反者を捕まえに来ます」

「こわ……そこまでするんですか?」

「当然です。本来異世界転生などは自然の摂理から外れた忌むべき方法なのです。できるかといってやるべきではない、という考えが一般的ですし、まして推奨などされておりません」

「異世界の領事館で働くあなたがそれを言うんですか?」

「本来は、という話をしているのです。私がそう考えているわけではありません」


 そう答えるハクヤの声は淡々としていて、異世界転生について良いとも悪いとも思っていないように聞こえた。興味がないようにも見える。


「私としては、寿命を残して亡くなった方は、自分の寿命を使いきる権利があると思っています。そのための選択肢として異世界転生をすることは、悪いとは思いません。死んだらそれまで、などという考えは古いと思います」

「……うん」


 死についてそこまで考えたことのなかったタケルは、ハクヤの話についていくだけの自分の意見がなかった。

 タケルの反応から、自分が少しムキになっていたことに気がついたハクヤが、拳を口元に当ててコホンと咳払いをする。


「この世界にあなた方が異世界からの転生者であると知っている人間は、基本的にはいません。存在を知っているのは、私たちのように死後の魂を管理する特別な機関の人間だけです」

「この世界にもあるんですね」


 ハクヤは唇を引き結んで一瞬言い淀んだ。


「まあ……あるにはあります。ただしそれは、私たちのように役所や領事館といった機関にはなっておりません。ただ集められて階級ごとに楽しく過ごすだけといいますか」

「へえ。楽しく過ごせることはいいことですね」


 ハクヤはため息とも、ひと息ついた息づかいたもわからない一呼吸を交えて言った。


「この世界で転生者だとバレてはいけない理由は大きくわけて2つあります。ひとつは、転生という概念をこの世界に持ち込むことを禁止されているからです。これも生態系を乱す行いのひとつに含まれます」

「な、なるほど」

「もうひとつは、身元が不明となるからです」

「……というと?」

「転生してきた人には家族がいません。家もなく出自も曖昧になります。つまり、いついなくなっても誰も気にしないということです。そうなると悪い人間に狙われやすくなります」

「物騒ですね……」

「言っておきますが、この世界の治安はまったくよくないです。法律なんてあってないようなものですし、そんなものを気にして生活している人はいません。倫理観はその人の人柄がすべてです」

「……なにかあったら黄泉領事館が守ってくれるんじゃないんですか?」

「避難所としては使っていただいて結構です。ただしトラブルの救済はしません。基本的には自分の身は自分で守っていただきます」

「そんな……!」

「厳守事項の生態系を乱す行為は禁止、という項目は、恋愛禁止や繁殖禁止のほかにも、トラブルを起こすな、という意味合いもございます。殺すこと、殺されることもタブーなのです」

「……どうすればいいんです?」

「目立たず、控えめに生活し、こちらから提供する仕事をこなして、慎ましく余生を過ごすことをお勧めいたします」

「それじゃあ転生した意味がないじゃないですか!」

「自我と肉体を保有しつつ日々生活をおくれるだけでも転生した意味はあると思います。ただ生きるだけならこの領事館から一歩も外に出なくても生活はできます」


 タケルは視界が狭窄して暗くなった気がした。思っていた異世界とは大分違う。

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