第26話 黄泉領事館 5

「あなたはタケル様ですか?」


 気づくと目の前にハクヤの顔があった。透き通るような白い肌に深海のように深く暗い青い瞳。ハクヤは美しさとミステリアスさを兼ね備えた不思議な魅力を持っていた。

 思わぬ近さにハッとなって身体を引く。


「あ……えっと、そ、そうです、けど……」


 顔を近づけて目を細めるハクヤの顔が迫る。どぎまぎするタケルの肩がぐいっと後ろに引かれた。


「そいつ、城壁の外の森で目が覚めたらしいっすよ」


 耳元でコータの声がした。タケルの肩をぐいっと引っ張りつつ、コータがハクヤの前に歩み出る。


「珍しいっすよね? 今までそんなやつ見たことない」


 細い顎に拳を当てて、ハクヤはすこしの間無言で思案した。

 しかし、すぐに顔を上げてタケルを見る。


「わかりました。そのお話しは後程詳しくお伺いすることにいたします。まずは、タケル様にはご説明と手続きをしていただきます。私と一緒にきてください」


 ハクヤの視線がちらっとコータに向けられる。


「コータ様、お勤めご苦労様でした。今日はもう自由にしていただいて構いません」

「やったね」


 屈託なく笑ったコータは、


「ハクヤさん、よかったら食事でも行かない?」


 とさらりと言った。

 ハクヤは身体ごとコータに振り向いた。


「私にはまだ仕事が残っています」

「わかってるってー。だから終わってから」

「すみません、お断りさせていただきます。先ほどジュン様からも同じようなお誘いを受け、お断りしたところですので」


 ハクヤは淡々と述べる。コータと行くのが嫌というより、誘いをいちいち受け入れていてはキリがないから、すべて断るようにしている、といったニュアンスに聞こえた。


「うーん、そっかぁ」


 へこんだのも束の間で、コータはすぐに気を取り直して顔を上げた。


「んじゃあ、今度みんなで飯に行きましょう! ちょうど新人も来たわけだし!」


 パンッとタケルの肩を叩く。

 みんなで、というのはハクヤにとっても意外な提案であったらしい。ほんのすこし目を見開いて、口の中で「みんなで?」と呟いていた。そしてそれは、あながち嫌そうな反応ではなかった。

 タケルからしてみれば、これはハクヤを誘うためのコータの口実であって、自分などはおまけのようなものなのだろうと感じた。それでも「みんな」の中に自分を入れてもらえたことは、これまで感じたことのない嬉しさがあった。

 タケルは熱くなった顔を隠すように下を向いた。


「べ、別に行ってもいいけど……?」


 顔がニヤケるのを必死にこらえながら、タケルは精一杯のイキった返事をした。

 ハクヤの仏頂面が心なしか優しく微笑んでいるように見えた。その小さな口元がそっと動く。


「いえ、時間がないので結構です」


 行く流れを盛大にぶったぎっての拒否だった。これにはさすがにコータも凹むだろうと思いきや、当の本人は「だはははは! 無理かー!」と笑っていた。


『ぷくくっ。せっかく頑張って返事をしたのに残念じゃったな』

(うるせええええ!)


 タケルは心のなかで盛大に叫んだ。


 瀟洒な外環から想像できるように、内装もまた中世ヨーロッパの宮殿を想起させる様式をしていた。

 赤い絨毯に飴色の壁と天井。電気などもちろん通っていないため、等間隔で置かれた蝋燭の火が橙色の明かりを押し広げている。

 人の通りが少ないと思われる廊下は、燭台に火が灯っていない。その為、窓から自然光が取り入れられる部屋や廊下はまだしも、そうでない場所は昼間でも明かりがないと薄暗くて歩くこともできそうになかった。

 ただし、生活の中心になる大きな廊下は、蝋燭一つで明るく照らせるように、鏡のように磨き上げられた銀装飾があちこちに飾られており、明かりを反射させた廊下は暗闇などどこにも見えないくらい明るかった。


「総領事はユーサク様で、次席領事は僭越ながら私、ハクヤが勤めさせていただいております」

「ソウリョウジ? ジセキ?」


 先行するハクヤの腰のリボンの揺れを眺めながら、タケルは聞いた。

 ハクヤは振り向くこともなく歩きながら、淡々と説明を続ける。


「この領事館の責任者の役職です。細かく分ければまだまだいらっしゃいますが、最初から全員を覚えていただく必要はありません」

「な、なるほど」


 ハクヤの細い肩がすぼめられて、後ろからでも小さくため息をついた様子のだとわかった。


「ユーサク様は大層いい加減な方で、しょっちゅう仕事をサボって遊びに出掛けています。最近はギャンブルに夢中で滅多に帰ってきません」

「ダメじゃん」

「ダメです。でも仕事はできます。気前がよくおしゃれなので、女性から人気もあります。なぜあの方が女性から支持されるのか、私には理解できません」


 そうぼやくハクヤの声音に嫌悪感は感じられなかった。

 ユーサクという総領事は、現世でいうところのイケオジというやつだろうか。なんとなくサングラスに白いスーツ、ディアストーカーハットを被りタバコを吹かしたハードボイルドな姿をタケルは想像した。

 ユーサクという総領事に、コハルはもう合ったのだろうか。

 

「あ。そうだハクヤさん、ここにコハルって子が来ていませんか?」


 ハクヤはチラッと振り向いて「おりますが」と答えた。


「無事に着いていたんだ……よかった」

「なぜコハル様のことをご存じなのですか?」

「なぜって……いっしょにこの世界に転生したからだよ。黄泉役所の蒼木さんから聞いてないですか?」

「二人同時にこの世界にいらっしゃる死者の方がいるとは聞いておりました。ですがその関係性までは伺っておりません。コハル様とはどのようなご関係ですか?」

「え? えっと……」


 言い淀んでいると、ハクヤが板チョコのような木製の扉の前で足を止めた。

「ここです」

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