第25話 黄泉領事館 4
歩きながら食べる、という習慣は、タケルにはない。それは育ちがいいからとか、品行方正を心がけているからといった理由ではなく、単に友達がいないからだった。
生きていた頃は、町中でバカ騒ぎをしながら飲み食いしている連中は、いったい何が楽しくてあんなに騒いでいるのか理解できずにいた。
しかし、自分がいざ同じことをしてみると、楽しいのだ。自分はあんな連中とは違う、と思っていた。しかしそれは、食べ歩くといった娯楽をやる機会がなかっただけのこと。そのことに、タケルはカバブを口に含んで歩きながら気がついた。
一緒に食べ歩きをする友人がいない。歩きながらの買い食いする楽しみを教えてくれる人が誰もいなかった。
『悲しい現実じゃな』
傷心しているところを茶化されて、タケルは自分の悩みが一気に安っぽいものになったような気がした。
(おまえそれ、絶対思ってないだろ。ニヤニヤしながら言ってんのがバレバレなんだよ)
『いやいや。思っておる。思っておるよー? 可愛そうな奴じゃなーって』
(可愛そうとかいうな!)
「どう? 美味かったろ?」
先を歩くコータが振り向いて味の感想を求めてくる。
「めっちゃ美味しかったです」
「俺もこっち来てからずっとくってんだー。でもあれなにげに高いからさ。めっちゃ頑張ったときに自分のご褒美的な感じで食ってんだよね」
「え? そんな高いものご馳走してもらっちゃってすみません」
「はあ? なんで謝るの? そこはありがとうだろ。俺が奢りたくて奢ってんだから気にすんなよ」
生前一度も言われたことのない暖かいか言葉だった。
「あ、ありがとうございます……」
ふいに鼻の奥にツンとした刺激を感じて、タケルは目頭が暑くなった。
『おいおい、なにも泣くことはあるまい』
(な、泣いてないし!)
コータがタケルの面倒を見てくれるのはく、先に異世界転生制度を利用した先輩だからだろう。
タケルにもその意識があるせいか、コータへは自然と敬語になっていた。
マロニエに似た木が立ち並ぶ自然公園のような広場の一角に、小振りな迎賓館のような瀟洒な建物があった。
三角形の屋根を有し、木製の梁が外部に露出したチェダー様式に似た建物が軒を連ねる町において、その建物は左右が対象で豪華な装飾を誇るネオ・バロック様式の特徴を持っていた。
カントリー的な雰囲気で統一されている町のなかで突如現れた絢爛な神殿のような建物はとにかく目立つ。その目立ち方もいい意味ではなく、悪目立ちに近い。英文法の中に突然ひらがなが混じるような違和感がある。
美しい建物ではあるが、足並みを揃える気がないように見えて、印象はあまりよくなかった。
恐ろしいのは、コータの歩みがその悪目立ちの館に向いているということだ。
広場の半ばを過ぎた辺りで、タケルは我慢できずに聞いた。
「あの、コータさん。もしかしてあの建物が……」
コータは肩越しに振り返って「そう」と笑った。
「黄泉領事館兼、なんでも請け負う便利屋ギルド《YOROZU》の店舗でもあるんだぜ!」
なんでも請け負う便利屋ギルド、とはコータがそう認識しているだけという可能性もあるが、城門で入国の列を捌く仕事をしていたコータの様子を思い返すと、やっていること自体は大差がないのかもしれない。
正面に領事館としての入り口らしき両開きの門があり、建物の右側に半個室のバーのような部屋が併設されていた。部屋の中にカウンターテーブルがあり、数人の気配がした。
「領事館の受付のハクヤさんは無愛想だけどめっちゃ美人だぜ! でも惚れるなよ? 俺も狙ってるんだからな!」
「そ、そんなのぼくの勝手じゃないですか」
一応抗議してみたが、惚れるつもりはない。現状コハルより優先される人間関係は存在しないというのがタケルの気持ちだった。
『そのコハルとやらは、お主の恋人か?』
(違うよ。コハルちゃんはぼくの……そうだな、言うなれば、恩人かな。てゆうか、ぼくが考え事をするたびにいちいち声をかけてくるなよ)
『断る。なにを聞こうが妾の勝手ではないか』
(ならそれに答えるかどうかはぼくの勝手ってことでいいよな)
『それはならぬ。妾が聞いたことには直ぐに返事をせよ』
(横暴だ)
『お主は妾に貸しがあることを忘れるでない。妾が力を貸さねばお主は《オークル》に殺されていた』
(そうしなきゃおまえだって宿ってる肉体を失ってたんだからお互い様だろ……と、言いたいところだけど、まあ、わかったよ。なるべくおまえの声には答えてやる)
『うむ。それがよい』
タケルが体の内側に宿るエムリスと会話を繰り広げているうちに、コータはコータで、タケルに向けた牽制が空振りに終わったことを嘆きつつも笑い飛ばしていた。
入り口の前の短い階段を上り、映画のなかでしか見たことのない金属の輪っか式のドアノックをゴンゴン鳴らして、二人は中からの返事を待った。
やがて片方のドアが開かれて、細く開いた扉の隙間から女性が顔を出した。
濃紺のロングスカートのワンピースに白いエプロンをつけたメイド姿をしていた。白に近い金髪をうなじで束ねて左の肩から胸の前に垂らしている。
やる気のない三白眼で、エメラルドグリーンの瞳をキョロッと動かしてコータとタケルを見た。
「ただいまー、ハクヤさん」
コータの明るい挨拶をスンッと受け流して、大きく扉を明け直したハクヤは軽く頭を下げた。
「お帰りなさい、コータ様」
頭を上げると、ハクヤはじっとコータを見つめて「お早いお帰りですね。魔獣の影響ですか?」と尋ねた。
「さすがハクヤさん。情報が早いね」
「配達員をしているジュン様から聞きました。手分けして要所に伝令をしている、と言ってすぐに出ていかれましたが」
コータがやれやれといった様子で両手を開く。
「表門は大騒ぎですよ。魔獣が出ると閉門しないといけないから、並んでた入国希望者への説明とか対応で却って忙しいくらい」
「それ、コータさんは手伝わなくていいんですか?」
タケルは純粋に疑問に思ったことを聞いた。門を閉めたところで入国管理をしている職場の仕事量が減るわけではないと思う。
コータはへらへらと笑って言った。
「しょーがねーんだよ。おれたちは雇われの非正規社員。バイトみたいなもんだからな。任されてる仕事はすくねーんだよ」
「そうなんですか? この世界での転生してきた人たちの立場ってどうなってるんですか……」
首捻るタケルの目の前にハクヤの顔が迫った。
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