第20話 入国 3


 呆気にとられて人混みに紛れていくコータの背中を眺めているタケルの背中で、モゾモゾと動く気配がした。


「……ん」


 耳元で囁く吐息が聞こえて、タケルは背筋をゾクゾクと粟立たせた。

 ふわりと香る甘い匂いは少女の体臭だろうか。背負っている間は気付かなかった女の子の存在感が次々と現れて、タケルは急に緊張してきた。


『おい。キモい反応をするでない。とんでもなく不快じゃ』


 エムリスの直球過ぎる苦言のおかげで、タケルは冷静さを取り戻した。

 お叱りに反論する間もなく、背負った女の子が「え!?」と声を上げた。


「あ、目が覚めた?」


 頑張って平静を装いながら、軽く首を振り向けて問う。少女の姿を確認する前に、タケルは振り向けようとしていた頭を小さな手でガシッと掴まれた。


「い、痛い!?」

「降ろしてください!」


 少女の細い腕がタケルの後頭部を押す。肩たたきのようなか弱さで背中を叩かれ、細い腰をくねらせて足をバタつかせる。


「わ、わかった! わかったからおとなしくして!」


 背負っていることが困難というよりも、このまま少女の体に触れ続けることの罪悪感に耐えかねて、タケルは腰を屈めてそっと少女を降ろした。

 ずるりとずり落ちるように下ろすと、少女はよたよたとたたらを踏んでよろめいた。


「大丈夫?」


 差しのべようとしたタケルの手を叩き退ける。

 勢いよく動いたことで少女の胸元からなにかが滑り落ちるのをタケルは見た。それを指摘する前に少女に鋭い目で睨み付けられて、タケルは頭が真っ白になった。


「え? あ、えっと……」


 いい淀むと怪しさは益々羽上がった。

 女の子は綺麗なグレーの髪の毛で左目をサッと覆い隠すと、襟元を掻きあわせて、右目だけで器用にタケルを睨み付けている。


「あ、あなたは、誰ですか……!」


 怒りと恐怖が強く目に表れていた。言葉選びと声の端々から育ちのよさが伺える。

 コハルを除けば、生前、女子と話した時間は合計で三十分にも満たず、無関係故に自分は無害だと自認していたタケルは、初対面の女の子に怯えられることにショックを受けた。


「ご、ごめん。だ、誰って言われても、……ただの通りすがりとしか……」

「どうしてわたしを運んでいたのですか?」

「さっき魔獣? に襲われてたでしょ? それできみが気を失ったから……」


 少女はっと目を見開いた。


「あ……」


 思い出した、と顔に書いてあった。一応恩人に当たるであろう相手に酷い態度を取ったことを反省したらしく、女子は困ったように眉を潜めた。


「あ、あの……た、助けていただき、ありがとうございます……」


 怪しいやつを見る目をしているのに態度はしおらしく、言葉では礼を言っている。その様子がおかして、タケルは苦笑して「いや、無事でよかった」と答えた。

 少女をは辺りをキョロキョロと見回して「ここは……?」と呟いた。


「《王都ソルエニーク》らしいけど。君……あ、そういえば名前は?」

「……ランジュ、と申します」


 上目遣いに警戒しながら、小さくささやくように自己紹介した。


「ぼくはタケル。ランジュさんは、この国の人なんじゃないの?」

「そうなんですけど……この辺りにはあまり来ないので……」

「そうか。うちはどこ? 送っていくよ」


 ランジュはあからさまに警戒を強めた。怯えた顔でじっと睨み付けて、じりじりと後ずさる。


『おい、変質者』

「だれが……」


 声に出しかけて、タケルはあわてて頭のなかに念じた。


(誰が変質者だ)

『お主以外におるまい。会ったばかりの女に家の場所を聞いて、あまつさえ送っていくなどとよくも言えたものじゃな』

(べ、別に下心があったとかじゃないし!)

『そんなものはお主の勝手な主張じゃろ。この子は明らかにお主を警戒しておる。そんなこともわからずに何が送っていく、じゃよ。はー、やれやれ、これだからモテない男は嫌じゃ』

(そ、そこまでいうことないだろ……!)


 頭のなかでエムリスと会話をしている間、タケルはひとりで怒ったり悲しんだりと忙しく表情を変えていく。

 そんなタケルをランジュが一層厳しい目で睨んでいることなど、本人は知る由もない。


「あ、あの……見ましたか?」


 少女に問われて、タケルはエムリスとの会話を切り上げた。

 意識をランジュに向けると、彼女はジロッとタケルを睨み付けた。


「え? な、なにを?」


 ランジュは髪の上から左目を押さえた。

 見たか、というのが花の形をしたアザのことだと思い至った。


「ああ、その……」


 と、いいかけたタケルの反応だけですべてを察したらしい。ランジュはびくりと肩を震わせて、泣きそうな顔でさらに後ずさった。


「ええ……そ、そこまで嫌う?」


 警戒というより嫌悪に近い感情を向けられてタケルのほうが泣きそうになった。

 エムリスの言うとおり、ランジュからも変質者と思われてしまったのかもしれない。そう思うとこれ以上なにかを言うのはやめたほうがいいかもしれないという気になった。


『くっくっくっ』


 頭の中にエムリスの含み笑いが響く。この際笑い者にされたほうがいくらかマシだった。


「もう、大丈夫です。助けていただき、ありがとうございました……では……!」


 踵を返すランジュを引き留める暇も、理由も、資格もタケルにはなかった。

 人混みに紛れて見えなくなった少女の後ろ姿を見送って、タケルはため息を吐き出した。


『フラれたな』

「告白なんてしてないんだけど」


 ひとりでいたら、ただひたすら落ち込んでいたかもしれない。エムリスの軽口は腹立たしいけど、彼女の存在には救われたと思った。


『おい。それより、あの娘なにか落としていったぞ』

「え?」


 地面に目を向けると、白銀に光る輪っかと、この先についた細いチェーンがうねっているのが見えた。

 拾い上げて手のひらに乗せてみる。


「指輪?」

『女物だな』

「そりゃあ、あの子が持ってたんだからそうでしょ」


 なにを当たり前のことを言ってるんだ、と言いたげなタケルの言葉に、エムリスは『はあ』と盛大にため息をついた。


『お主、恋人に指輪を贈ったことがないな?』

「か、関係ないだろ!」

『それを関係ないと思っているところが問題だとなぜ気づかんのじゃ……』


 呆れた、とエムリス声が言っていた。

 追及する気になれず、タケルはこの話を掘り下げるのをやめた。

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