第19話 入国 2
森の中の獣道をひたすら歩いていたタケルの視界は急に開けた。
目の前には遥かな牧草地が広がり、整えられた砂利道には荷車を引く人の姿がポツポツと見えた。
人々の向かう先は《王都ソルエニーク》の城門で、レインボーブリッジほどの幅を持つ巨大な石造りの橋の向こうに入城を待つ人の群れができている。
「入国審査みたいなのがあるのか。ぼくの身分を証明してくれるものがこれしかないけど、すんなり通してくれるかな」
ポケットに押し込んでいた黄泉役所から貰った書類を取り出す。
『おお。懐かしい文字じゃな。なんと書いてあるかは読めんが』
「エムリス、日本語知ってるのか?」
『ニホンゴ? この文字はニホンゴというのか。それは知らんかった。じゃが、この文字は見たことがある。昔よくつるんでおった男が使っておったわ』
「転生してきた人に会ったことがあったのか」
この
『詳細については分からぬが、この紙の一番上に書いてあるか《あなたの暮らしのすぐそばに! パブリックギルド YOROZU! 子守りから介護までなんでもお申し付けください!》はこの世界の言語で書かれておるぞ。この組合の者だと伝えれば町に入れてくれるのではないか?』
「黄泉領事館て、いったいなにやってるんだ……」
まだ見ぬ異世界の黄泉役所支店に不安を感じて、タケルは眉間に深い皺を刻んだ。
『入国するなら早く列に並んだらどうじゃ。お主、さっきから道行く人に白い目で見られておるぞ』
「え?」
女の子をおんぶして突っ立っている男性は確かに怪しい。ひょっとしたら兄妹に見えるかもしれないが、背中の子が起きているならまだしも、気を失っているのがいけない。腕をダランと脱力させて額をタケルの右肩に乗せている様子は誘拐に見えなくもない。自分が見かけたら何か事件を疑うだろう。
五十メートルくらいの幅広の橋を渡って「最後尾」と書かれた木札を持つ男性が立つ列に並ぶ。
「おい! あんた、入国希望の人?」
大声で呼ばれて、タケルは思わず身をすくめた。
振り返って見ると、褐色に日焼けした短髪の青年がタケルを睨み、話しかけていた。「最後尾」と書かれた木製のパネルを地面に置いて、それに寄りかかるようにしている。
「え? あ、うん」
何を聞かれているかわからずに曖昧な答えを返す。青年は別の列を指差した。
「よその国からの入国はあっちの列だよ!」
青年は明らかに距離感を間違えている大声で指示してくる。尊大な態度も相まってかなり威圧的に感じる青年に、タケルは怯えながら苛立った。
「……わかりました」
不満を滲ませて返事をして踵を返したところに「待てよ!」と声がかかった。
「あんた、荷物も持ってないの? その寝てる女の子はなに? ……おまえ、何を売ってる人?」
怪訝そうな目でタケルを睨む。
「う……そ、それは……」
『おい。余計な嘘をつかずに、例の書類を見せてそこの所属だといえば楽じゃろうが』
エムリスの声が頭のなかで響く。助言を受けてタケルは急に冷静になった。
「ああ、そっか」
「ん? なにが、そっかなのさ?」
褐色の青年が眉を潜める。
タケルはエムリスへの返答を口にだしているせいで青年との会話がちぐはぐになっていた。じわりと額に嫌な汗を浮かべながらタケルはしどろもどろで答えた。
「あ、いや……そ、そういえば……これ! これがあったと思って!」
取り出したるは黄泉領事館に提出する予定の契約書。この世界において唯一タケルの身分を証明してくれるものだ。
胡散臭いものを見る目で青年が「んー?」と唸りながら紙に顔を寄せる。
「え! なんだ、あんたお仲間か!」
青年は歓喜した様子で声を張り上げる。ただでさえうるさいのに、嬉しい声は余計に耳に響いた。
「お、おなかま?」
「俺、出身フクオカなんだよ! フクツ! わかる?」
嬉々として語る青年を見てタケルは青ざめた。フクツはわからないが、フクオカは福岡のことだろう。ならばフクツは彼の生前住んでいた地名だと思われる。
決して少なくない人々が周囲にいる上京で《破ってはいけない三つの厳守事項》をあっさりと破る様子に度肝を抜かれた。
「お、おい! それ言っていいんですか? (異世界からの転生人だと)バレたら地獄いきなんじゃ……!」
大慌てのタケルを見て青年は余裕の表情でフンと鼻を鳴らした。
「こんな会話程度でバレるわけないだろ? むしろお前のその慌てかたのほうがよっぽど怪しく見えるぜ?」
「そ、そうか。すみません」
確かに知らない地名を話し合っているくらいで異世界からの転生人だと判断される要因にはならないだろう。いきなり入国の受付で声を荒げるタケルを人々は白い目で見ていた。
タケルの相手をしながら、青年は「外作業からの帰りの人はこっちに並んでくださーい! 初めて入国の人は奥の扉から入って受付をすませてくださーい!」と案内している。
「あの、ところであなたは……」
「あ、コータでいいぜ。今はそう呼ばれてるんだ」
青年は白い歯を剥き出して爽やかに笑った。主人公の友人のイケメン枠にいそうなタイプの青年だ。
女の子の友達はもちろんいなかったが、男の友人もいなかったタケルには歳の近い同性の圧力は中々につらい。
『くっくっくっ。なんじゃ。お主、もしや人見知りか?』
「……うるせえ」
「あ?」
エムリスに言ったつもりの言葉にコータが反応して、タケルは焦った。
「あ! いや、こっちのはなしで……それでコータさんはここでなにしてるんですか?」
「なにって、仕事してるんだよ」
最後尾、と書かれた木製の看板を大剣のようにドンと地面に突き立ててコータは胸を張る。
それを見たタケルは不思議そうな顔で言った。
「仕事?」
「そう、仕事。働かざる者食うべからずって言うだろ。オレ、入国管理のアシスタントを任されてるんだ。お前……あ、わりぃ、名前なんていうんだ?」
「サクライタケル、です……」
「タケルか。タケルも黄泉領事館で仕事貰ってるだろ?」
「いや、ぼくは今さっき《オルエンス》にきたばかりで、まだ黄泉領事館に行ってないんです」
え!? とコータは大仰に驚いて体を仰け反らしていた。
「そんなことある? 普通目覚めるのって黄泉領事館の自分の部屋のはずだぜ?」
「ぼくも蒼木さんからそう聞いていたんですけど、なぜか近くの森のなかで目が覚めて。魔獣から逃げてるうちに気絶した女の子を見つけて保護した……みたいな?」
大分内容をはしょってはいるが、大体こんな感じというラインを伝えた。
タケルの話を聴きながら、コータの顔はみるみるうちに青ざめていった。
「近くに魔獣が出たのか? ヤバイじゃん、それ。上に報告しないと……!」
看板を肩に担いで走り出そうとして、コータは足を止めて顔を振り向けた。
「あ、タケルはちょっとここで待ってな! 報告したら黄泉領事館に案内してやるから」
「え? でもコータさんは仕事中なんじゃないんですか?」
「大丈夫、もうすぐ昼休憩だし。それに魔獣が出たとなれば仕事どころじゃなくなるからな。すぐ戻るからまってろよー!」
タケルが返事をする前にコータは走り去っていった。
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