第18話

 タケルのなかに巣くう魔法使いの言うことには、《オーグル》を追いかけてきた道を戻れ、ということらしいが、そもそも道などないに等しい獣道を辿ってきたわけだから戻るのも一苦労だった。

 《オーグル》が移動中に残した足跡や傷つけた樹木などを頼りに手探りで最初に目覚めた、少し開けた丘の上まで辿り着いた。

 タケルが到着したときには、羊に似た動物の群れも、また丘に戻ってきていた。


『ウーリアがおるということは、町に近いということじゃな』

「そうなのか?」

『うむ。こいつらは人の住む町の近くに生息する習慣がある。家畜として食用にされることもあるしな』

「へえ。たしかに羊に似てて美味そうではあるな」


 森を隔てた奥に、城壁に囲まれた町が見える。始めて見たときはなんとも思わなかったが、一度森に入って、木々の大きさを把握してから改めてみると、町の異常な大きさが際立って見えた。

 森の木より城壁は圧倒的に高い。およそ三倍といったところだ。木も決して背が低いわけではなかった。15~20メートルとしても、城壁はだけで60メートル。城壁の中に見える建物の一つ一つも都会のホテルか高層ビルのように大きい。

 背中に背負った女の子を落ちないように背負い直して丘を降りる。

 足元に群がるウーリアを避けながら、タケルは城壁の町に向けて歩きだした。


「なあ、エムリスはあの町のこと知ってるのか?」


 頭の中の声は一瞬考えるように間をおくと『名前くらいはな』と答えた。


「そっか。で、なんて名前なんだ?」

『ヒュールル』

「へえ」

『……ふふっ』


 意味深な含み笑いが聞こえた。


「なに笑ってるんだ……? あ! お前もしかしてウソ教えやがったな!」

『おいおい。言いがかりはやめい。妾の言ったことが嘘だという証拠がどこにある?』

「その怪しい態度が何よりの証拠だろうが! ニヤニヤしてるの、声の調子からバレバレだからな!」

『くっくっくっ。なるほど。バカではあるが他人を疑うことはできるようじゃな。その感性は大事じゃ。大切にするがよい』

「詐欺師の講習会かなんかかここは」

『王都ソルエニークだったはずじゃ』

「本当かよ?」

『信じるかどうかはお主次第じゃ』

「胡散臭え……しかも、だったはずとか、曖昧だしな」

『仕方あるまい。妾も立ち寄ったことがあるわけではないからな。この辺りの都市で大きなものといえばそれくらいしか知らぬというだけじゃ』


 他愛もない会話をしながら森を抜けて町を目指す。

 気むずかしいかと思っていたエムリスは、実は大層お喋りな性格だったらしく、タケルをいじる方向でコミュニケーションを図ってくる。


 一時間は歩いただろうか。時計を持たない為に正確な移動時間はわからないし、今が何時なのかもわからない。体感は一時間くらい歩いたつもりでも、実際は三、四十分という可能性もある。

 エムリスの話は半分くらい聞き流していた。というより、過度な緊張から解放された精神的な疲れと、怪我と移動による疲労と背中に感じる女の子の柔らかさとで、話がぜんぜん頭に入ってこないのだ。

 エムリスの話は、自分がかつでどれくらい優れた魔法使いだったかを説明し、一方的に武勇伝を披露するという、タケルにとってもっとも鬱陶しい話題となっていた。新年に親戚が集まって宴会の席で聞かされる話と大差がない。酒臭い息を吐きかけられないのはまだいいものの、タケル一人が聞き役にさせられているのはうんざりする。

 辟易したタケルの思考は体を共有するエムリスに伝わっているはずなのに、自慢話がやむ気配は一切ない。

 《王都ソルエニーク》の城壁は目の前に見えているのに、その根本に辿り着くことがない。バカでかいから近くにあるように見えていただけで、実際は相当距離があったらしい。


「あのさ」


 と多少強引にエムリスの話を遮って問いかけた。


「さっき、助けてやるからぼくのこの体をよこせって言ってたよな?」

『うむ。言ったな』

「なんで体が欲しいんだ?」

『お主と身体を共有するなど煩わしいじゃろ。その上、妾にはこの肉体の手足を動かす主導権がないときた。お主ばかりが自由に動かせてずるいしな』

「いや、もともとぼくの体なんだからそこは譲ってもらわないと……」


 正確には黄泉役所で貸し出された支給品の体であるわけだが。しかしその割には妙に馴染む。生前の体と遜色なく、同じように動かせていることに、いまさら気がついた。


「てかこれ男の身体だけどいいの? エムリスって、女の人でしょ?」

『なぜそう思う?』

「声からして」


 言っておきながら、声変わりしていない男の子という可能性もなくはないのか。と思い直した。


『安直な発想じゃな。まあ勘は悪くない。妾の性別は、生物学上はたしかに雌に分類される』

「いや、言い方……」


 雌なんて言い方は生々しいし、失礼だと思うからあまり使って欲しくはなかった。


『別に男の肉体でも構わぬ。ちょうど自分の身体が欲しかったところじゃしな』

「うーん。まあ、ぼくはかまわないんだけど、これ一応レンタル品だからなぁ」

『レンタルとは借り物という意味じゃな。別に構わぬ。異世界のルールに従う必要もないじゃろうしな』

「うわ。悪い魔法使いだ……」

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