第17話 洗礼 7


 荒ぶるタケルに頭の中の声が『静まれバカタレ』と冷静に諭してくる。

 声を出し尽くして、はあはあと荒い呼吸を繰り返しながら周囲の様子を見る。抉れた地面やなぎ倒された木を見て、改めて恐怖を感じた。


「よく生きてられたな、ぼく」


 体の内側で、タケルの意見に同意する息遣いが聞こえた。


『まったくじゃ。じゃが、命の危機を感じてからの動きは悪くなかったぞ。考えることを放棄しなかったのは偉い』


 誉められなれていないタケルは「偉い」と言うエムリスの言葉に素直にテレた。


「だ、だってそんなことしたら死ぬだけじゃないか」

『そうじゃ。じゃが、それをして死んだ連中を大勢見ておる。喜べ。お主、戦の才能があるぞ』


 これがゲーム世界の話だったらテンションの上がる褒め言葉だったかもしれないが、実際に言われてタケルが思ったのは、


「冗談じゃない。こんな生きた心地のしないこと、二度とごめんだ」


 という感想だった。


『お主は温厚な奴じゃな』

「別にそういうわけじゃ……」


 反論しようとしてタケルは我知らず眉を潜めた。何かおかしい。


『おい。あの娘、放っておいていいのか?』

「ああ、そうだった」


 タケルは自分がなにに違和感を感じたかわからないまま、途中から悲鳴も聞こえなくなった少女の姿を探した。


「逃げてくれていたらそれでもいいんだけど……」


 そんなことを考えながら辺りを見回すと、最後に追い詰められていた木の根もとに、その少女は倒れていた。

 乱れたグレーの長髪が顔を被っているせいで表情は見えない。タケルが近づいてもピクリとも動かないが、外傷は見当たらない。


「気絶してる……のかな?」

『そのようじゃな』


 動かない少女を前にしてタケルは途方にくれた。


「ど、どうすんの、これ?」

『捨てていく……』

「マジかよ」

『……という選択肢はお主にはないようじゃな?』


 エムリスの巧みな話術でタケル答えは引き出されてしまった。どうするのが正解かはわからないが、どうしたいかは、薄々気づいていた。


「こんなところに残していったらまた《オーグル》に襲われるかもしれないよな」

『じゃな。そうでなくても、この辺りには他にも魔獣はおるしな』

「助けるなら最後までちゃんと助けるほうがいいよな」

『優柔不断な奴じゃなぁ。この娘を助けるための理由付けは終わったか?』


 嫌みな言い方をするな、とタケルは顔をしかめた。


「とりあえずさっき丘の上から見えていた城壁に囲まれた町に運ぶことにしよう」


 一瞬、どうやって運ぶか悩んだ。スタンダードな方法としてはやはり、おんぶ一択だろう。抱っこはなんとなく恥ずかしいし、お姫様抱っこは気絶した人相手だと逆に誘拐している絵面に見えなくもない。

 寝ている人間に触れる機会は多くない。それが幼いとはいえ女の子なら余計にあることではない。当然、気絶してる人間をおんぶした経験もないために、抱き起こすのさえおっかなびっくりのたどたどしいものになった。


『くっくっくっ。鈍くさいのう』

「う、うるさい……」


 エムリスの辛辣な感想にタケルは内心密かに傷ついた。

 少女の頭を起こすと、顔にかかっていた髪の毛がサラリと落ちて両目が露になった。そこに思いがけないものが見えて、タケルはゾワッと背筋を粟立たせた。

 少女の左目瞼からこめかみにかけて、はっきりとした赤い痣が浮かんでいた。よく見ると、それはなにかの花を模した形をしていて、痣というよりは刺青に近い模様といえるものだった。


『痛みはないだろうな』


 いたそう、と思ったタケルの心理に、エムリスが答えてくれた。

 赤い痣、というだけで咄嗟に痛みを連想してしまったが、同時にタケルはこの赤い花模様の痣を美しいと思った。


「めっちゃキレイだよな、これ……」


 タケルは思ったままを口にして、すぐに首を捻る。


「いや、でもこれなんだ?」

『バースマークだ』

「バースマーク?」


 どこかで聞いたことがある、という以上の知識はタケルにはなかった。

 模様も発色も到底痣とはいえないくらい美しいバースマークに見惚れつつ、寝ている女の子の横顔をまじまじと眺めるのは失礼だと感じて、タケルは少女を座らせたまま木の根元にいちど凭れかけさせた。

 腕を首に回し少女のお尻に手を回して四苦八苦しながらなんとか背負う。重くはない。人間というより、大きな猫を背中に背負っているような柔らかさと温もりを感じた。


『おい、ロリコン。年端も行かぬ女の子を背負った感想はどうじゃ? 正直に述べてみよ』

「悪意しかない質問はやめろ。てかなんでロリコンなんて単語知ってるんだよ」

『お主の思考は妾に通じておる。お主今、自分で、ぼくはロリコンじゃないからなんとも思わない、と言い聞かせておったじゃろ。そこから単語を拾ったまでのこと』

「……勘弁してください」


 歩きだそうとして、タケルはすぐに足を止めた。キョロキョロと辺りを伺って青ざめる。


「……やばっ。町の方角ぜんぜんわからねえ」

『ふむ。妾もこの辺りの地理には疎い。一旦戻って丘の上から町の方角を再確認するのが懸命じゃな』

「その間に魔獣に遭遇したらどうするんだ?」

『遭わぬよう祈れ』

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