第16話 洗礼5
「……はへ?」
何が起きたのかは理解できても、なぜそうなったのかは理解できなかった。
それは《オーグル》も同じだったらしく、暫く投擲した体制のままポカンとした顔をしていた。
「な、なにをしたんだ?」
『んー? なに、ちょっと燃やしただけじゃが?』
大したことはしてないけど、という台詞のわりには、声には自慢げなニュアンスが含まれていた。
「それは見ればわかるけど、どうやって?」
『言葉では説明しにくいな。どれ、ためしに足元に落ちておるその木屑を拾ってみよ』
言われたとおり、少し屈んで三十センチほどの木屑を掴む。触れた瞬間、木屑は燃え上がり、持ち上げようとする端から、炭となってぼろぼろと崩れた。
「なにこれ、こわっ」
『いま、お主の身体の回りは炎が取り巻いておる』
「炎?」
試しに手のひらから肩までを眺めてみる。目を凝らすとぼんやりと滲む瞬間がある気はするが、火らしきものは見えない。
「そんなふうには見えないけど」
『人間の目に見える程度の温度などたかがしれておるわ』
タケルは一時期インターネットの動画でよく見ていた、工事現場の溶接の場面を思い出した。ガスバーナーの炎は紫に近い透明だった。外炎と呼ばれる火の外側は温度が高く、透明に近いと聞いたことがある。
タケルを取り巻く炎は目に見えないくらい高温のもの、ということらしい。
では百歩譲ってエムリスの言うとおりの現象がタケルの身に起きているとしよう。それでもまだ、納得いかないことがある。
「おい。ぼくの身体じゃ魔法が使えないって話じゃなかったか?」
『その辺は話すと長くなる。今できるのはこれが限界じゃ。触れれば炭にできるが、触れることができなければ勝ち目はないぞ?』
「大丈夫。触れば勝ちなんて楽しょー……」
楽勝すぎる、と言いかけたタケルの口は《オーグル》が人の体ほどもある岩を持ち上げている姿を見て止まった。
「……燃やせる?」
『あれは無理』
「ですよね……!」
《オーグル》の放り投げた岩がゆるやかに弧を描きながら落ちてくる。大きな岩が落ちてくる威圧感は相当なものだが、さすがに遅すぎる。この岩を避けることは容易いと思われた。
野球のフライを避ける気持ちで上を注目しながら移動する。
『前っ!』
頭の中で声が爆発した。なにも考えず咄嗟に頭を下げてしゃがむと、左の耳元をなにかが通りすぎていった。少し遅れて風を切り裂く擦過音が聞こえた。
タケルの後ろでボウリングの球ほどの石が木をぶち抜いて土を抉っていく。
おそろしいことに《オーグル》は上に投げた岩を劣りに小振りの石でタケルの頭部を潰す搦め手を使ってきたのだ。
「マジかよ……知性があるようには全然見えないのに!」
『おそらく考えてやったことではない。前に誰かがやったのを見て真似した、くらいの知識じゃろうな』
経験値、という言葉がタケルの頭に浮かんだ。生死のかかった場面においての経験値が圧倒的に違う。
ボコッと地面から人間の頭ほどある石を掘り起こして《オーグル》が大きく振りかぶる。
『岩は無理じゃ。溶解しきる前にお主の頭が吹き飛ぶ』
「具体的な表現やめて。イメージすると怖くて動けなくなるから!」
止まっていたら恰好の的になるだけだ、と思い、タケルは木々を盾にしながら《オーグル》を中心に円を描くように走る。
実際、木では投擲された石を防ぐことはできないため、正確な狙いをつけさせない、という気休め程度の効果しか期待はできない。
《オーグル》は止まっている的を狙うのは得意でも、動いている的に当てるのは不得手のようで、惜しくもないところに石は飛んでいく。
《オーグル》が次の石を拾うタイミングで少しずつ距離を詰めてくる。《オーグル》の手の届く範囲に石がなくなり、目視で探すためにタケルから視線が逸れた。
「それっ!」
その瞬間、隠し持っていた石を《オーグル》に向かって投げた。
タケルの拳ほどの石は《オーグル》の分厚い皮膚に触れても傷ひとつつかない。ただし、タケルの投げた石は赤く熱せられ、触れた
「グウオオオオッ……!」
誰が聞いても苦悶とわかる悲鳴を上げて《オーグル》が石の当たった左胸を押さえる。
「今しかない……!」
タケルは自分で自分に言い聞かせた。ヒヨッていてはチャンスを逃す。《オーグル》の懐に飛び込んだタケルは左手で丸太のように太い《オーグル》の右手首に触れた。肉の焼ける音はまだしも、匂いにタケルは怯んだ。
魔獣だろうがなんだろうが、生き物を殺す、という事実にビビったのだ。
『バカタレ!』
エムリスの叱責が頭蓋を撹拌させた。すぐに怯んだ気持ちを引き締め直したものの、一瞬タケルが手を止めた隙に《オーグル》は強引に腕を振った。
「うわっ……!」
弾き飛ばされたタケルは投げ出され、尻餅をついた。そこへ《オーグル》の左手が迫る。
咄嗟に頭をかばう形で左腕で頭を隠す。腕に触れた《オーグル》の指先が焦げた。悲鳴を上げながら反射的に手を引っ込める。
「グルルルル……」
唸りながら、《オーグル》は後ずさった。
「消えろ!」
祈るように叫びながら、タケルは《オーグル》の足元に赤々と燃える石を叩きつける。
負傷した腕を庇いながら、《オーグル》は森の中に姿を消した。
「はあ……はあ……!」
興奮覚めやらないタケルは周囲を睨んで他に魔獣と呼ばれる生物がいないかどうかを確認し「あああ…!」と声を搾り出しながら隠し持っていた石をすべて地面に叩きつけて捨てた。
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