第14話 洗礼3

 《オーグル》と名前も知らない少女の行方を追うのはそれほど難しくはなかった。

 なにしろ《オーグル》の通ったあとは木々が薙ぎ倒され岩には亀裂が入り、地面は歩行の重圧で凹んでいたからだ。


「気性が荒い二足歩行のクマみたいだな……」


 生きていた頃なら、山の中でクマの痕跡を見つけたら即座に下山を検討するはずだ。それなのに、今は逆にクマよりももっと凶悪なモンスターを自分から追いかけている。


「なあ、エムリス」


 タケルと身体を共有しているという自称世界最強の魔法使いを呼んでみるが、返事がない。


「……おい、エムリス? 寝てるのか?」

『ぐー、ぐー』

「起きてるだろそれ」

『気安く話しかけるでないわ』

「呼び捨てでいいっていったのはそっちだろ? それよりあの《オーグル》とかいうモンスター、なにか弱点とかないのか?」

『知らん』

「なんだよ。話し方がおじいちゃんみたいだから、てっきりなん千年も生きてる物知りキャラなのかと思ってたのに」


 石が砕かれて流の変わった小川を渡る。かすかに前方から木が割れる音がした。


『あながち間違ってはおらんよ。何千年と生きてはいたし、知識も豊富じゃ』

「豊富とか言っておきながら《オーグル》については知らないんだな」

『あんな下級の魔獣など気にとめたことなもないからな』

「あ、そっすか」


 自称最強の魔法使い様は考え方が凡人とは違うらしい。

 木々の隙間に土色の肌が見えて、タケルは足を止めた。息を潜めて足音を消して忍び寄ると、少し奥に少女が倒れていた。

 怪我をして倒れたわけではなく、走りつかれて息を切らして座り込んでいるように見える。どちらにしても追い詰められている状況には変わらなかった。


『なにか策はあるのか?』

「隠れながら石を投げて注意を引く。その間に女の子が逃げればいい」

『なるほど。つまりは無策ということか』


 始める前に作戦を否定されてタケルのやる気は萎えた。


『ほれ。やるならさっさとやらんと。様子をうかがっているうちにあの娘は殺されてしまうぞ』

「わかってるっての……!」


 イライラしながら呟いて、タケルは手近にあった手頃な大きさの石をひとつ手に取った。

 運動は得意ではないが苦手という意識もない。チーム競技は苦手であり、かといって一対一のスポーツで一緒に汗を流して楽しむ相手もいなかったために、運動能力を発揮する場がなかったのだ。

 それにこういうのは思い込みが集中力なる。当たるとも思えば当たるし、外れるかもと思えば当たらないのだ。


(当たれっ!)


 と念じてタケルは渾身の力で石を投擲した。

 拳ほどの石は緩やかな弧を描きながら《オーグル》の背中に命中した。

 振り向く《オーグル》の視線にドキッとしつつもタケルは息を殺して木陰に潜む。どうやらタケルの居場所はバレていないらしい。


(よし、いける……! このまま移動しつつ陰から石を投げて女の子から徐々に引き剥がせば……!)


 次の石を探そうと地面に目を向けたとき、メキメキと不穏な音が聞こえて、タケルは顔を上げた。

 《オーグル》は引き千切るように一本の若木を地面から抜いて、両手に持っていた。その木をおもむろに振りかぶる。


「……おいおい」


 嫌な予感がして、タケルは腰を屈めたまま走った。

 同時に《オーグル》が投げた若木がゆるやかに回転しながら飛んできて、近くの木を数本まとめて薙ぎ倒す勢いで衝突した。

 若木といっても電信柱ほどもある丸太が、投げられた勢いも乗せてぶつかったのだから、その衝撃は車の交通事故ほどもあった。


「おわあっ!」


 タケルの悲鳴は衝撃音に消されて《オーグル》には届かなかったらしい。

 投げられた木を受け止める形になった木々は半ばからひび割れ、中には幹が砕け、半分に折れるものもあった。

 衝撃で飛散した木片のひとつがタケルの顔面に直撃した。スマートフォンほどの大きさの木片でも、鼻の頭の皮は擦りむけ、鼻血が流れた。


「はあ……はあ……!」


 一度死んだときとは違う、明確な死を予感して、タケルは体がすくむのと同時に頭が冴えていくのを感じた。生き残る手段を考えなければ死ぬ。という意識が、パニックよりも冷静さのほうに傾いていた。

 頭の中の声が『おい、気を付けろバカタレ』とタケルを罵った。


「なにを……!」


『怪我など久しく負った記憶はないんじゃ。痛みに対する耐性がない」

「ぼくの怪我って、おまえも痛いのか?」

『痛い。二度と怪我をするな』

「無茶言うなよ……!」


 地べたを這うようにしてほふく前進しながら草むらに隠れる。緊張と恐怖で想像以上の早さで体力を消費していた。


『だから言ったろう。お主の策など無いにひとしいと』

「はあ……はあ……なんでいまさらそんなこと……」

『敗因は明確じゃ。お主に《オーグル》を殺すつもりはなく《オーグル》にはお主を殺すつもりがある。その差じゃ』


 ヒヤリと背筋を冷たいものが撫でた。エムリスのいうことは、正しい。

 ぐいっと鼻血を拭って木陰に身を潜めて息を殺す。《オーグル》は当てずっぽうに木を投げているに過ぎない。タケルの居場所はまだバレていない。


「どうすればあいつを倒せる?」

『無理じゃな。あいつとお主のとでは生物としての格が違う。勝つことはできんよ』


 勝つことはできないが、今ならまだ逃げることはできる、と言われている気がした。


「エムリス、あんた自分で最強の魔法使いだとか言ってたろ。魔法であいつを倒すことはできないのか?」


『ふむ』と、エムリスは一瞬思案する間をおいた。


『妾ならできる』

「じゃあ……!」

『じゃが、この身体では無理じゃ。魔法を使うようにできてはおらんからな』

「な、なんだよ、それ……!」


 《オーグル》の攻撃がやんだ。木陰から顔を出して様子をうかがうと《オーグル》は女の子のほうに巨体を向けるところだった。

 タケルは足元に落ちていた石を拾って、《オーグル》に向けて投げつけた。当たるのを確認する前に走って移動する。

 石に反応した《オーグル》が、それが飛来してきたであろうほうを振り向いて威嚇の雄叫びを上げた。

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