第13話 洗礼2
明るみに現れたそれは、土色の大男だった。
タケルの知識でその大男に該当するものといえば、真っ先に出てくるのは鬼だった。肌は土色でも、質感は筋骨粒々の人体のように見えたからである。次に思い浮かぶのはオーガやゴーレム、サイクロプスといった定番のモンスターの名称だった。
決して小さくない木の枝葉の部分に頭を食い込ませている。遠目からでもその身体が異様な大きさだということがわかる。
テレビの画面の中でもなければ3D映像でもない。なにかしらの作品世界を再現したアトラクションでもない。圧倒的な存在感を放つ異形の怪物が目の前を歩いてくる。
『《オーグル》じゃな。珍しくもない魔獣じゃが、派生先が多く強さもピンキリじゃ』
頭の中の声が遠くに聞こえた。タケルは自分が呼吸を忘れていたことにようやく気づいて、慌てて呼吸をした。
「ーーヒュッ……おえ……! ゲホッゴホッ……!」
息を吸おうとして、緊張のあまり呼吸をし損ねたタケルは激しく咳き込んだ。
目に涙を浮かべつつも《オーグル》と呼ばれた怪物から目を離せなかった。急に突進でもされたらと思うと、その一挙手一投足のすべてが怖い。一瞬の瞬きさえも怖いと思った。
『落ち着け、バカ者』
頭の中の冷静な声に叱責されて、タケルはやっと息をした。
「はあ……はあ……おい、なんなんだよ、あれ……!」
『あれは《オーグル》という魔獣じゃ』
「ま、魔獣?」
言い慣れないが、聞き慣れた言葉ではあった。
ファンタジー系の創作物にはよく出てくる敵の系統のひとつである。
要するにモンスターか、とタケルは理解した。
異世界に転生して最初にモンスターに襲われるなんていうのはよくある展開だ。大体の場合、こういうときは最初に備わっている地味なくせに最強なスキルで返り討ちにして「あれ? 俺って意外と強いんじゃね?」となって戦い慣れしていくのがセオリーだ。
しかし、タケルに特別なスキルはない。それは最初に黄泉役所の男性職員に言われてわかっていた。男性職員は言っていた。「ただ異世界に転生して生活するだけの地味な余生だ」と。
しかし、タケルに特別なスキルがないからと言って異世界には魔法や魔獣が存在しないなどとは聞いていない。
「あいつ、強いのか?」
頭の中のエムリスに問うと、彼女は幼さの残る声ではっきりと、
『いいや、弱い』
と答えた。
「ほ、ほんとか? めちゃくちゃ強そうに見えるけど」
『妾ならば一瞬で屠れる』
「……じゃあ、ぼくなら?」
『一瞬で屠られる』
エムリスの巧みな手のひら返しは却ってタケルを冷静にさせた。
そりゃあそうだよな。と思う余裕ができた。
「逃げよう……!」
『懸命じゃな』
じりっと、タケルは後ろに一歩下がる。
《オーグル》の意識はより近くにいる、森から飛び出してきた少女に向いている。彼女のほうを追いかけてくれるなら、タケルは逃げきれる可能性は高いと思われた。
(だけど、その場合あの子はどうなる?)
『おい。余計なことを考えるでない。お主が助かるにはあの娘が襲われている隙をついて距離を取るほかないぞ』
「わ、わかってる!」
タケルは怒鳴って頭の中の声を黙らせた。
転生早々命の危機にさらされて、冷静に物事を判断している余裕などタケルにはなかった。
(くそっ……! なんであんな女の子が人気のない森の中でモンスターに襲われてるんだよ! このシチュエーションなら遭遇するのは狩人とか兵士とか傭兵とかおっさんキャラのはずだろう! せめてあの子がコハルちゃんと歳が近くなかったら……!)
《オーグル》の注意が一瞬タケルのほうに向く。距離があるせいか、すぐに興味をなくしたように《オーグル》はタケルを見るのをやめた。
その一瞬の間に、女の子は走り出していた。身を翻して再び森の中に逃げ込んでいく。
怒りを現すように《オーグル》が「ゴアアッ!」と吠えて、のっしのっしと追いかけていった。
後ろに向いていたタケルの意識は完全に前を向いていた。
『なにをする気じゃ?』
「……助けに行く」
『死ぬぞ?』
「やってみないとわからないだろ」
『やってみてからでは遅いということは往々にしてある。大丈夫。あの少女なら逃げきれる』
「ほ、本当か!」
にやり、と、エムリスが意地悪く笑う気配が伝わってきた。
『そう言っておけば諦めがつくじゃろ? お主は自分があの子を犠牲にして逃げることを正当化したいだけじゃ。お主が迷っている理由はそれじゃ。大丈夫、妾が大丈夫と言ったんじゃから、お主はなんの責任も負う必要はない』
エムリスのやり方はタケルの気に大いに障った。
タケルは《オーグル》と少女が消えた森のほうに向けて歩きだした。
『どこへ行く気じゃ?』
「あの子を助けに行く」
『なんじゃ、少し意地悪をしすぎたか? すまん、すまん。通りすがりの見ず知らずの娘じゃろ? 見捨てたところでお主にはなんの責任もなかろう』
「そういうことじゃない! 年下の女の子を見捨てて生き残るなんて、後味が悪すぎるだろ!」
『善人じゃのう。ふふふっ。まあ、好きにするがいい』
頭の中の声に苛立ちながら、タケルは次第に早足になった。
タケルにはひとつの算段があった。自分が死ねば、身体を共有しているエムリスも死ぬことになる。この声だけの少女は、自分は世界最強の魔法使いだと豪語していた。その言葉に嘘がないなら、いざとなれば魔法で助けてくれるはずだ。
「せっかく転生したのに死ぬ前と同じことを繰り返してたら意味ないだろ……!」
生まれ変わったことを強く意識しながら、タケルは鬱蒼と繁る森の中に踏み込んでいった。
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