第12話 洗礼1
異世界転生課課長の蒼木の話だと、目覚めるのは黄泉役所の《オルエンス》支店だった。
蒼木に言われたとおり、黄泉役所の旧館二階を訪れた尊流と心春は、それぞれ持たされた鍵の番号に従って部屋へと入り、ベッドに横になった。
心春の様子は尊流からは見えないためにわからないが、少なくとも尊流は、言われたとおり横になって目を閉じた。
目を閉じると、黄泉役所に来てからの行動が次々に頭のなかに思い出されてきた。どれも夢の中での出来事のように現実味がない。
これは夢かもしれない。
目を覚ませばそこは病院のベッドで、視界には見慣れない白い天井と点滴の機材が映るはずだ。
興奮で寝付けないと思ったのは一瞬のことで、気がつけば意識は深い眠りの底に落ちていた。四肢を動かすことも瞼を開けることもできない。
目覚める行為のすべてを諦めて脱力したと思ったとき、鼻の頭をベロベロと舐められたのだ。
「……なんでこんなところにいるんだ?」
タケルは今一度、他人事のように呟いた。
服飾は黄泉役所で見たカタログそのままだし、手には
「転生に失敗した……ってわけじゃなさそうだな……」
『おい』
「は!?」
どこからともなく声が聞こえて、タケルはキョロキョロと辺りをうかがった。
「な、なに? 声? 人の声がする……」
タケルは無数にいる羊のような動物を一匹ずつ目で追って「いま、話しかけた?」と問いかけた。
『バカタレ。ウーリアが話すわけなかろう』
まただ、と思ってタケルは頭を抱えた。やけに尊大な女性の声。いや。女性というには幼く、しかし幼いわりには老成した口調と雰囲気を持った不思議な声だ。
「うぐぐっ! な、なんだこの……頭の中に直接声が響いてくるようなこの感覚は……!」
『うむ。察しがよいな。
「ええ! ど、どうやって……まさかこの世界のコミュニケーションの取り方はテレパシーだったりするのか……!」
『そんなわけなかろう。落ち着け、外来人』
タケルはビクッと身体をすくませた。
「え? 外来人……て?」
「とぼけても無駄じゃ。お主、異世界から転生してきたんじゃろ?」
頭に直接話しかける声のせいでパニックに陥っていたタケルは、一気に冷静さを取り戻した。
「は、はあ? なななな、なにをいってるんでしゅか?」
転生してきたことを認めるわけにはいかなかった。異世界からの来たことがバレたら即地獄行きだ。
『ふむふむ。なるほど。異世界からの転生したことがバレると地獄とやらに行かされるのか。これはよいことを聞いた』
「な、なんでそれを知ってるんだ!」
『いま、お主がそう考えたではないか。妾にはお主の思考が手に取るようにわかる』
タケルの顔にどろどろと簾がかかった。
「さ、最悪だ……プライバシーの侵害だ……」
草原に膝立ちになって絶望する。がっくりと手をついたところで、ハッと我に返る。
「というか、頭に直接話しかけてくるあんた、一体誰なんだ! どこにいる!」
『よくぞ聞いてくれた。妾の名はエムリス! かつてこの世界最強の魔法使いだったものじゃ!』
意気揚々と語る少女の姿が脳裏に浮かんだ。もちろん、タケルはエムリスという、おそらく少女であろう人物を知らない。声の様子から「たぶんこんな感じの女の子」という仮想の少女が、腰に手を当てた仁王立ちでふんぞり返っている様子を思い描いたにすぎない。
「ま、魔法使い?」
『なんじゃ。お主、信じておらぬのか?』
「いや、さすがに頭に直接話しかけてくるくらいだから、タダ者じゃないってことくらいはわかるけど……それで、エムリスさん? は、今どこにいるんですか?」
『エムリスでよい。で、妾が今どこにいるのか、だったな。その質問の答えは簡単じゃ。お主の中におる』
簡単だとか言っておきながらまったく簡単ではない答えにタケルは首を捻った。
「えっと……哲学的な話?」
『チガウ。もっと物理的な話じゃ』
「物理的?」
『うむ。つまり、妾がおるのはお主の身体の中ということじゃ』
「は、はあ?」
(なに言ってるんだコイツ?)
『おい。お主の粗末な脳ミソでは妾の言っていることが理解できないのもわかる。じゃがコイツとはなんじゃ、コイツとは!』
「ご、ごめんない! てか、考えてること筒抜けはダメでしょ! そっちの考えてることは伝わってこないし!」
『当然じゃ! 妾はかつて最強だった魔法使いだぞ。ひとつの身体で意識を共有していようとも、こちらの思考を閉ざすことくらい簡単にできるわい』
姿は見えなくても、言葉の端々からエムリスが得意気にふんぞり返って宣言している様子が目に浮かんだ。きっと腰に手を当てて胸を反らしていることだろう。
そんな姿を想像してタケルはやれやれとため息を吐いた。
「なんだよそれ……じゃあ、まあ、ぼくのなかにエムリスがいるとしてだよ? なんでそんなことになったのさ?」
『うむ。これは……』
エムリスが話を続けようとしたとき、背後の森から大量の鳥が一斉に飛び出した。ギィギィと激しく鳴き声をあげながら、木々をざわめかせて、ひと塊になった黒い影が空に昇っていく。
エムリスがウーリアと呼んだ羊に似た動物たちが蹄の音を轟かせて一斉に丘を下っていく。
「な、なんだ?」
騒々しい森を眺めがらタケルが呟く。
『さあな。じゃが、動物たちは怯えておる。なにかがこちらに向かってきておるようじゃな』
「な、なにかって?」
『おそらく、魔獣じゃろう』
「ま、魔獣?」
山から吹き下ろす風が草木をざわめかせて過ぎていく。
ガサッと音を立てて森の中からなにかが飛び出してきた。
「うおあっ!」
そこそこ距離があるにも関わらず、タケルはびびり散らかして悲鳴を上げた。
飛び出してきたのは小柄な少女だった。年の頃はコハルと同じか少し上だろうか。グレーの長髪で顔の半分を隠し、髪の隙間から見えるグリーンの瞳で背後を警戒しながら走り出てきた。薄いピンクのブラウスもカーキ色のロングスカートも、森の中でくっついたであろう枯れ葉や泥で汚れていた。
『ビビリすぎじゃ』
頭の中の呆れた声を無視する意味も込めて、タケルは「お、女の子?」と呟いた。
森を突き抜けてきた少女は乱れた髪をバサッとかきあげると、タケルの方を見た。そしてあからさまに迷惑そうな顔をした。それから一言。
「早く逃げて……!」
と低く叫んだ。大声ではなくタケルにだけとどくように思いの込められた言葉だった。
「いや、逃げるって……」
呟いたタケルの耳にズンッと重いものが地面に落ちるような重低音が聞こえてきた。伐採中の大木を最後にへし折るときのような、メキメキという音がしたと思う間に、暗いもりの奥から人形の影がぬっと現れた。
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