第11話 自称最強魔法使いの死


『ふっ……ふふふふふ……あっははははは! やった! ついにやったぞ……!』


 ゆらゆらと揺らめく青い炎の姿をしたエムリスは、上空から雪渓を見下ろして、咆哮のような笑い声をあげた。

 その声音は幼い少女のようであるのに対し、声の持つ雰囲気は妖艶な大人の女性といった趣きがある。


『ようやく……肉体から魂を解き放つことができた……!』


 その哄笑は大気を蠕動させることはなく、山々の間を縫って木霊することはなかった。生前当たり前にできたことができなくなっていることに、エムリスは頬を紅潮させて歓喜した。


『……わらわ、死んだぞ!』


 足元を見下ろす。

 雪渓のあちらこちらに、のたうつ蛇のような黒い線がいくつも見える。それらは底の見えない巨大な氷の割れ目であり、光の届かない血の底には幾多の人間や獣、魔獣の骸が転がっている。

 そのひとつに、氷漬けにされているエムリスの身体がある。

 上空を揺蕩う火の玉は、仄暗い亀裂の隙間に落ちているであろう自身の亡骸を見下ろそうとして、やめた。


『……ふん。今さらあんな肉体になど用はない。老いることはなく、傷や病魔さえ退けてしまう呪われた身体……』


 揺らめく青い炎は澄みわたる蒼天に向かってゆっくりと上昇を始めた。


『やっと逝ける……ようやく逢えるな、ユーシャ……』


 エムリスは文字通り天にも昇る心地で成仏のときを待っていた。並外れた生命力を持つエムリスは死後の魂になってもすぐには現世を離れることができずにいた。静謐な雪山の天空で、天に召される瞬間を今か今かと待ちわびていた。

 ところに、妙な気配を感じた。


『……ん? なんじゃ。またこの感じか』


 強風が壁となって押し寄せてくるような見えない圧迫感を感じる。水面に落ちた雫が立てる波紋の揺らめきを感じたような違和感。

 永い年月を生きてきたエムリスは何度もこの違和感を感じ取っていた。


『また異世界から人間が送られてきたのか……』


 世界の外から異物が混入してくることは珍しくない。自分の生きていた世界が不安定であることも、外の世界に「異世界に行く」という概念があることも、エムリスは承知している。


『ま。死んだ妾には最早関係ないことじゃがな』


 世界に生じた波紋から意識を逸らした瞬間、エムリスの視界はブラックアウトした。始めて経験する死の感覚にわずかな恐怖と大きな期待を抱きながら、青い火の玉となったエムリスは雪山の上空から姿を消した。


 ✕ ✕ ✕


 鼻が濡れた。


「う……」


 不快に思った次の瞬間、生臭い臭気が鼻腔を突き抜けタケルの脳を刺した。


「くっせぇ!」


 目を覚まし半身を起こすと、タケルを取り囲んでいた羊のような生き物が慌ただしく去っていった。

 晴天の下、牧草地の丘で目覚めたタケルは、シャツの袖で鼻を拭った。いつの間にか着ているものがベージュの七分丈のズボンに長袖のシャツ、皮のベストに変わっていた。

 小高い丘は羊の毛を倍にしたような見慣れない生物が群れをなして草を食んでおり、眼下には小さな森と、その奥に城壁に囲まれたヨーロッパ風の都市見えた。


「こ、これは……!」


 生前、海外旅行など一度もしたことのないタケルは、「どこそこの都市みたい!」という感想はでてこなかった。その代わり真っ先に思ったのは、


「ゲームの中で見たことある!」


 だった。

 立ち上がって真っ先に気づいたことは、視線の高さが違うという点だった。黄泉役所のカタログの中でタケルが選んだキャラクターは身長が178センチもある。生前より10センチ高い視界は、それだけで別世界だった。鏡がないために顔の確認はできないが、服装の違いからも、身体が変わったことが確認できる。

 鳥のさえずりりと牧草を揺るがす風と、羊だかヤギだかわからない生物が発する「ニェー、ニェー」という鳴き声のほかにはなにも聞こえない、長閑な草原だった。


「……え? なに、ここ?」

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