第9話 黄泉役所 8
蒼木は短いタイトスカートの膝に、尊流と心春の契約書を挟んだ二つのカルテを置いて、何事かを書き込んでいる。
しばらくして書き終えた蒼木が、カルテを尊流と心春の目の前に突き出した。
「はい。記入するところはだいたいわたしが書いておいたから問題なしよ」
「あ、ありがとうございます」
「じゃあ、今からふたりに一番大事な話をするから。まずはその契約書の真ん中辺りを見てみて。赤い文字ででかでかと、絶対厳守って書かれてる欄があるでしょ?」
蒼木の言うとおり、プリントの真ん中あたりに赤文字の激太フォントで『絶対厳守!!!』と書かれていた。
その内容をチラッと見て、尊流は早々に読むのを諦めた。
「……なんか、難しい言葉で回りくどく書いてあるせいでなにが言いたいのかさっぱりわからない」
尊流がわからないのだから中学生の心春にもなにがなんだかちんぷんかんぷんだろう。それでも必死に読み解こうと細かな文字を睨み付けている。
蒼木は他人事のようにうんうんと満足そうに頷いていた。
「でしょうね。わたしもこれ読む気にはならないし」
尊流は顔を上げてじろっと蒼木を睨む。
「一番大事なことがわかりにくく書いてあるってずるくないですか?」
「睨まないでよぉ、ちゃんと説明してあげるから。要約すると、一個目の注意事項は、正体をばらすのは禁止。現地の人に異世界から転生してきたことがバレちゃダメってこと」
「バレる要素ってなにかあるんですか?」
「基本的にはないかな。自分で話したりしなきゃね。それだって、信じてもらえるかあやしいところだけど」
「じゃあそんなに気にする必要はないですね」
「わかんないよぉ? 奇抜な行動してたらこいつ怪しい! って思われてバレるかも」
「過去にバレた人いるんですか?」
「いるいるー」
「地獄行き、ですか?」
恐る恐る聞く尊流に、蒼木は細い顎を指で押えて思わせぶりな反応をした。
「うーん、どうかなぁ? 厳密に言えば違うかなぁ? 地獄よりももぉっとこわいところだよぉ」
胸の前で手首の力を抜いた両手をだらんと垂らして、蒼木は怖さを誇張する。昔ながらの幽霊を現す表現に、尊流は逆に拍子抜けして、うっすら感じていた恐怖さえ何処かに消え去ってしまった。
黄泉役所の人間は地獄という場所に関して曖昧にはぐらかす傾向がある。口にすのもおぞましい場所ということなのだろうか。
尊流は地獄という場所に逆に興味が湧いた。
「それは……はふん!」
どんなところか訪ねようとした瞬間、尊流の脇腹に心春の小さな拳がめり込んだ。続く言葉を遮られた尊流は椅子の上で気持ち悪く身体をくねらせる。
「ね、ねえ! そんなことより、ふたつめのやぶっちゃいけない約束事ってなんなの?」
必死に話をそらそうとする心春の顔には、地獄よりも怖いところがなんなのかなんて聞きたくない、と書かれていた。
蒼木がくすりと笑う。
「はいはい。じゃあふたつめ。異世界の生態系を乱すことは禁止」
尊流と心春は揃って首をかしげた。その姿を見て蒼木がふふっと笑う。
「あんたたち、本当に兄妹じゃないんだよね?」
心春がムッと唇を尖らせる。
「そんなわけないじゃない。今日、さっき会ったばっかり。初対面よ」
うんうんと尊流も頷く。
「それに生態系を乱すな、なんて言われてもなんのことかわかりませんよ」
蒼木は腕を組むと、うーんと唸りながら、ちらっと心春に目を向けた。
「具体的に説明するのはちょっと控えたいところだけど、まあそうね、こういう教育も必要よね」
「もったいぶらずに早く言ってください」
尊流が急かすと、蒼木は「わかった、わたかった」と投げやりに答えた。
「生態系を乱すなってのは、異世界の人間との間に子供を作るのが禁止ってこと。避妊をすれば恋愛オーケーって思われがちだけど、それも禁止されている。変に情が湧くと別の世界から転生してきたとか、すーぐペラペラしゃべるんだもん。てなわけで、異世界の人との恋愛自体が禁止されてるの」
尊流と心春は、今度は揃って顔を赤くした。恋愛、子作り、避妊といった言葉に耐性がなく、また興味もあるお年頃である。
そんな二人の熱を冷ますかのように、蒼木はさらに冷たい口調で言葉をつづける。
「いうなれば君たちは外来生物なの。その世界のものじゃない血を混ぜることはダメ。殺すこともダメ。わかった?」
尊流のとなりで心春がちいさく頭を上下させた。尊流も「わ、わかりました」と納得した。
「で、最後みっつめ。異世界にある黄泉領事館の言うことはちゃんと聞くこと!」
「黄泉領事館? そんなのあるんですね」
尊流が口にした疑問に蒼木は「とーぜん」と答えた。
「ねえ、領事館てなに?」
と心春が問う。尊流も説明できるほど詳しくは知らないため、蒼木に助けを求める視線を送る。
「黄泉役所の支店みたいなものかなー。
と、蒼木はかんで含めるように心春に言い聞かせた。
その説明を聞いて反応したのは尊流だった。
「ぼくのイメージしてた領事館とは少し違いますね。生活のサポートって、なにをしてくれるんですか?」
「基本的には全部だよ。衣食住の手配とか仕事の斡旋とか」
「手厚いっ!」
思わず尊流が声を上げると、蒼木はわははっと豪快に笑った。
「一応こっちの提供する制度を利用してもらってるわけだからね。いきなり異世界に放り込んで無茶されて即死亡なんてことになったら異世界側にも迷惑だし」
「なんか現実的ですね。あんまり異世界転生って感じがしませんよ」
「実際の異世界転生なんてそんなもんよ。他にも面倒な規約とか条件があるけど、その辺は向こうの領事館の人から聞いて。異世界ごとに微妙に違うからわたしも詳しくは知らないからさ」
現世で何かしらの制度を利用する場合も手続きが多い印象がある。死んでなお部署をたらい回しにされ、規約を聞かされることにうんざりした。
「わ、わかりました。これ以上なにか言われても頭に入ってこないので大丈夫です」
「そうだよねぇ。ごめん、ごめん。じゃ、早速異世界に送還しようか」
蒼木は引き出しからホテルのルームキーのような細長いクリスタルのキーホルダーが付いた鍵を二本取り出して、尊流と心春にそれぞれひとつずつ渡した。
「この部屋を出て廊下をまっすぐ行くと階段があるから、二階に上がって。鍵に書かれた番号の部屋で寝てちょうだい」
鍵を受けとりながら尊流が眉を潜める。
「それで異世界に行けるんですか?」
「そう。目が覚めて部屋を出れば、そこは夢と幻想のファンタジー世界が広がっているってわけ」
半信半疑の気持ちで渡された鍵を見つめる。
「ほんとかなぁ?」
尊流の心の声を心春が代弁してくれていた。
「疑う気持ちもわかるけど、ここはもう死後の世界なんだよ。現世の常識なんか通用しない。黄泉役所なんて施設があるから現世の感覚に近いのかもしれないけど、これだって死者を混乱させないための仕様なんだよ」
蒼木の話はすんなりと尊流の胸に落ちてきた。最初、尊流は自分が死んだことすら気づいてはいなかった。そんな状態でいきなり三途の川を渡れとか、賽の河原で石を積み上げろといわれてもすんなりと受け入れられはしないだろう。そう思うと、生前慣れ親しんだ環境で半自動的に死者を捌いていく黄泉役所という機関は非常に効率がいいと思われた。
尊流は椅子から立ち上がりなが、契約書を書く蒼木の手元を覗き見た。なにを書いているまでは読み取れないものの、いくつもある契約書の空欄を長い文章で埋めていく。
一般的な死者が辿るルートから逸脱したこの異世界転生制度改めリ・インカーネーション・システムを利用しようとする尊流たちは、黄泉役所側からすれば、やはり厄介者でしかないのだろう。
今更ながら、尊流は蒼木をはじめとするこの施設の職員に対して申し訳ない気持ちが湧いてきた。
「すみません、蒼木さん。面倒なことをお願いして」
視線は手元の契約書に落としたまま、蒼木は「んー?」と返事をした。
「いーの、いーの。これがあたしの仕事なんだから。それに、これは寿命を残して死んだ人の正当な権利なんだから。胸張って異世界の生活をエンジョイしてらっしゃい」
あっという間に二人分の契約書を書き終えると、とんっ、とペンの尻で机を叩いて顔をあげた。
「あ。でも厳守事項は絶対守ってよ? 破ったらこっちにもペナルティがあるんだから。あたしに休日出勤や残業させたら、それこそ許さないかんね?」
ジトッと尊流を睨む。プレッシャーに圧されて尊流はふいっと顔をそらした。
「わ、わかってますよ」
「はい、これ」
筒状に丸めた書類を胸元に押し付けられて、尊流は反射的にそれを手に取った。心春にも同じものを手渡している。
「この書類を
「わ、わかりました」
「んじゃ、ここでの手続きはおしまい。ほら、さっさと行きな」
しっしっ、と追いたてるように手を振られて、尊流は心春と一緒に部屋の扉まで下がる。
ドアに手を掛けたところで、一瞬迷ってから蒼木に顔を振り向けた。
「あの、いろいろありがとうございました」
愛用のマグカップに口をつけようとしていた蒼木は、ルージュを引いた唇をにやりと歪めて笑った。
「ボン・ボワイヤージュ。バイバイ」
ひらひらと手を振る蒼木を残して、異世界転生課を後にした。
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