第7話 黄泉役所 6

 異世界転生課課長、蒼木は鼻歌混じりでファイルに挟んだプリント用紙にボールペンを走らせていく。


「いい? リ・インカーネーション・システムっていうのはね、本来使うはずだった寿命を使い切らずに死んだ人に対する救済処置なのよ」


 顔を上げた蒼木は指先でボールペンを器用に弄びながら赤いフレームの眼鏡をくいっと押し上げた。

 尊流は左の手のひらを右手の拳でポンとたたいた。


「なるほど。だから面接のときすんなり審査が通ったんですね。寿命で死んだわけじゃないから」

「ザッツライッ! そういうこと!」


 片目を閉じて子供のようにはしゃぐ蒼木を、尊流は思わず可愛いと思ってしまった。


「でも、そういう人って結構いるんじゃないんですか?」

「まあね」


 と、蒼木は頷く。


「だけど、旧館に来る人ってほとんどいないですよね?」


 旧館の異様な静けさを思い出しながら、尊流は聞いた。


「まあ、みんなリ・インカーネーション・システムの存在なんて知らないもの。異世界転生なんてフィクションだと思うのが当たり前だし、こっちも大っぴらに宣伝してるわけじゃないからね」

「なんで大々的に宣伝しないんですか?」

「だって面倒くさいじゃん。たくさん人が来たらあたしの仕事増えるし」

「……最悪の役人だこの人」

「君だって、この制度の存在を知ったとき、心春ちゃん以外の誰かに話そうとは思わなかったでしょ? そういうことだよ」


 たしかに、尊流も似たようなことをしてきた。しかし、それは尊流が役所の制度を受ける側だからだ。


「いや……でも、ぼくとあなたとじゃ立場が違うじゃないですか。役所ならもっと公平にサービスしてくださいよ」


 天を仰いだ蒼木は、盛大なため息をついた。


「はー……あのねえ、役所はサービス業じゃないの。物事を円滑に進めるための公共の機関なの。それにねえ、本当ならこんなところに来ないで、死んだらさっさと極楽往生したほうが、あなたたちのためでもあるんだからね?」

「それ、さっき別の職員にも言われました。生きたいと思うことのなにがいけないんですか?」

「じゃあ聞くけど、死ぬことのなにがいけないわけ? 君が死のうが生きていようが世界は止まることなく動き続けていくわけ。なにも変わらないよ」


 なんて冷たいことを言うのだろう、と尊流はやや引いた。同時に異世界転生をしてまで生きることに執着している自分をバカにされたような気がして、じわじわと腹が立ってきた。


「そ、それは……だけど、生きていることには意味があるでしょう?」

「生きていることには意味はあるよ? でも生き返ることに意味はない。わかる?」


 蒼木は邪悪な微笑みを浮かべて問う。

 尊流は言葉に詰まるしかなかった。蒼木の言うことはもっともだと思う。生きていたときにはどんなに惨めな人生だろうと意味はあった。けど死んで蘇って、残してきたことを片付けることに、果たしてどれほどの意味があるのだろうか。


「ぼ、ぼくはともかく、意味がある人もいるはずです」

「そうだねえ。その人の周りにはなにか影響はあるかもしれないね。だけど世の中にはなんの影響もない。役所はね、世の中に影響があることにしか注力しないの。逆に言えばそこに注力することをやめたら、世の中に影響がでちゃうの。見てる世界が君たちとは違うんだよ」


 朗らかな笑顔の裏に氷のように冷たい言葉のナイフを隠し持っている。蒼木という女性はただ陽気で適当な人ではないのだと思わされた。


「蒼木さんは、ぼくたちを異世界転生させる気がないんですか?」


 この人の機嫌を損ねさせたら異世界転生の話が無くなると思って、尊流は下手に出ていた。しかし、最初から転生させる気がないとしたら話は別だ。

 睨む尊流を見て、蒼木はケタケタと笑う。


「そぉんな怖い顔しないでよ。あるある。最初から君たちを転生させるつもりで話をしてるってー」

「そう見えないから怒ってるんですよ!」


 ムー、と下唇を突き出して蒼木はわかりやすく拗ねた。


「いーじゃんちょっとくらいお話ししたってー。こんなとこまで死者が来ることなんて滅多にないんだからさー。わたしだってお話したいんだよ」

「じゃあもっとリ・インカーネーション・システムを広めればいいじゃないですか」

「忙しくなるのはやーだー。のんびり楽しくお仕事がしたいのー」

「なんですか、それ……」


 付き合いきれない、といった様子で、尊流は椅子の背もたれに身体を預けてため息をついた。

 尊流と会話をしながらも、蒼木は手元の書類にペンを走らせていく。適当な会話をしつつ仕事を進めていけるなんて器用だなと尊流は感心した。

 そんな蒼木が突然前のめりに身を乗り出した。


「で、聞くまでもないと思うけど、二人は同じ異世界に転生するってことでいいんだよね?」

「は、はい」


 反射的に答えてしまってから、隣の心春の表情を確認する。

 目が合った。尊流は無言で「いいよね?」と問い、心春はそれに答えるように、小さく一度頷いた。

 そんな心春の様子を見ていなかったのか、蒼木は心春に向けて「心春ちゃんも、それでいいの?」と確認の質問をした。


「う、うん。いいわよ」

「そ。わかった。しつこく聞いてごめんねえ。一応、心春ちゃんの意思もちゃんと確認しておかないといけなくてさ。このお兄さんがロリコンで、心春ちゃんを脅していないとも限らないしね」


 冗談ぽく言っているが、内容はなかなかに辛辣だ。


「ロリコンじゃないですよ」


 抗議すると、蒼木は「あはは、ごめん、ごめん」と軽く言った。

 もっとちゃんと反論したいところではあるが、生前の尊流の推しキャラに幼女が一人もいなかったかといえば、そんなことはない。もし、そういった情報も黄泉役所に知られているとしたら、迂闊な言動はすべて命取りになる。注意しなければと、気を引き締めた。


「オッケー。となるとぉ、今んとこ規定数に余裕のある世界は……」


 蒼木は椅子を回転させて机に向き直ると、別の分厚いファイルを取り出してページを繰り始めた。


「今んとこ規定数に余裕がある異世界はぁ……」


 蒼木がノリで転生先を決めようとしているように思えて、尊流は不安になった。


「あ、あの、あんまり危なくない異世界にしてくださいよ? なるべく治安がよくて、できるだけ日本から転生した人が多い地域がいいです」

「わがまま言うな」

「希望を伝えるくらいいいじゃないですか」

「うーん……よし、ちょっと電話するねー」


 蒼木は机に備え付けられていた電話の受話器をとって耳に当てた。

 足を組んで肩に受話器を挟む姿は仕事馴れしたベテランのOLといった様子だ。


「あ、もしもしぃ? お世話になりますぅ黄泉役所転生課課長の蒼木ですぅ。死者二名なんですけどぉ、部屋空いてますぅ? ……あ、意外と余裕ある感じなんですねー。そうなんですよぉ、一度に二人ってなかなかないから頼めるところ少なくってぇ。はぁい、よろしくお願いしまぁす。ではではぁ。……いいって」

「ゆるっ!」

「なにかが決まるときってこんなもんよ?」


 笑いながら書類にペンを走らせ、椅子を回して尊流に向き直る。


「二人が向かうのは《オルエンス》っていう世界ね。雰囲気としては中世のヨーロッパって感じ」

「中世ヨーロッパ……ですか」


 尊流は複雑な面持ちで呟いた。

 それを見て蒼木がムッと口を尖らせる。


「なぁに? 不満なの? 好きでしょ、中世ヨーロッパ。現世の異世界転生ものといえば中世ヨーロッパと相場が決まってるんでしょ?」


 蒼木の言うことは一理ある。一昔前に比べれば少しは減った気もするが、現世で刊行されている異世界転生系の小説やゲーム、アニメなどの舞台となるのは、やはり中世ヨーロッパ風が多い。

 それでも、「転生したがる人ってこういうのが好きなんでしょ?」みたいな言い方は少し腹が立つ。


「そういう情報ってこっちにも伝わってきてるんですね。もしかして異世界転生課ができたのって、現世で死後に異世界転生するのが流行ったからとかですか?」


 蒼木はフンッと鼻で笑って足を組み直した。


「逆よ、ぎゃく。こっちはもう何百年も前から異世界転生って概念があったの。たぶん、誰かがこっちの情報を持ち帰って異世界転生が広まったのね。まったく。だから臨死体験ツアーなんて組むなって言ったのよ。黄泉の名所巡りなんて絶対すぐ飽きられるんだから!」


 ぶつくさ文句を垂れ流す蒼木を見て、尊流は現世も黄泉も社員も会社もあんまり変わらないのかも、と複雑な気持ちになった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る